「二所ノ関」と検索すると、二所ノ関部屋、二所ノ関親方、二所ノ関一門という複数の言葉が登場する。実は、この3つは同じ意味ではない。2026年11月現在、二所ノ関部屋は第72代横綱・稀勢の里が親方を務める相撲部屋であり、茨城県稲敷郡阿見町を拠点としている。所属力士には第75代横綱・大の里や、十両で活躍する白熊らがいる。
一方、二所ノ関一門は複数の相撲部屋が歴史的な系譜や関係を共有する集団を指す。加えて、現在の部屋名に至るまでには、2013年の旧二所ノ関部屋閉鎖、2014年の再興、そして2021年12月の名跡交換という大きな転換点があった。所在地、所属力士、歴史、放駒部屋との関係まで整理すると、「二所ノ関」という名称が持つ意味が見えてくる。
【まず知っておきたい】二所ノ関は部屋名?それとも一門名?

二所ノ関という名称には、主に2つの意味がある。ひとつは日本相撲協会に所属する個別の相撲部屋、もうひとつは相撲界の伝統的なグループである二所ノ関一門だ。
二所ノ関部屋は稀勢の里が率いる個別の相撲部屋
二所ノ関部屋は、元横綱・稀勢の里が師匠を務める相撲部屋である。師匠の正式な年寄名は二所ノ関寛(にしょのせき・ゆたか)。本名は萩原寛で、茨城県牛久市出身だ。
稀勢の里は第72代横綱として活躍し、2019年1月場所を最後に現役を引退。その後、荒磯親方として後進の指導にあたり、2021年12月に二所ノ関を襲名した。
現在は茨城県阿見町に部屋を構え、横綱・大の里をはじめとする力士の育成に取り組んでいる。師匠自身が横綱まで上り詰めた経験を持つことから、現役時代の実績を次世代へ伝える指導者としても注目されている。
二所ノ関一門は複数の相撲部屋によるグループ
二所ノ関一門は、二所ノ関部屋だけを指す言葉ではない。日本相撲協会の相撲部屋には、出羽海一門、高砂一門、時津風一門、伊勢ヶ濱一門、二所ノ関一門という5つの伝統的なグループがある。
一門は、各部屋の歴史的なつながりや相撲界での関係を背景に形成されてきたものだ。二所ノ関部屋を本家とする系譜からは、佐渡ヶ嶽部屋や片男波部屋など、数多くの部屋が分家・独立によって広がった。
つまり、二所ノ関部屋は一門を構成する個別の部屋であり、二所ノ関一門はその部屋を含む、より大きな集団である。この違いを理解しておくと、相撲ニュースに登場する「二所ノ関」という言葉を正確に読み取れる。
【1909年から2026年まで】旧二所ノ関部屋の歴史と閉鎖・再興の全貌
二所ノ関部屋の歴史は、現在の稀勢の里体制から始まったわけではない。そのルーツは明治時代にさかのぼり、昭和の大相撲を代表する横綱を輩出してきた名門として知られている。
明治42年に創設された名門のルーツ
二所ノ関部屋が創設されたのは1909年(明治42年)。友綱部屋出身の2代海山太郎が弟子を連れて独立したことが始まりとされる。
その後、昭和初期には横綱・玉錦が台頭。さらに戦後には、横綱・大鵬を育てた名門として大きな存在感を示した。大鵬は幕内優勝32回を記録し、昭和の大相撲を象徴する力士の一人となった。
二所ノ関部屋の歴史を語るうえでは、分家独立を比較的積極的に認めてきた点も見逃せない。佐渡ヶ嶽部屋や片男波部屋などの系統が広がり、一門全体の発展につながった。これは、分家独立を抑制する伝統を持つ出羽海一門とは異なる特徴だった。
2013年1月、旧二所ノ関部屋が閉鎖
長い歴史を持つ旧二所ノ関部屋にも、存続の危機が訪れる。
2013年1月場所を最後に、当時の二所ノ関部屋は閉鎖された。師匠は元関脇・金剛の二所ノ関親方だったが、2012年秋ごろから健康上の問題で入院し、部屋の運営を続けることが難しくなった。
後継者を探す動きもあったものの、部屋付き親方の間で継承がまとまらず、閉鎖という判断に至った。所属力士や親方らは、ほかの部屋へ移ることになった。
横綱・大鵬らを育てた旧部屋の看板が下ろされたことは、相撲界にとっても大きな出来事だった。
2014年12月、元大関・若嶋津が名跡を取得して再興
閉鎖から約2年後の2014年12月、二所ノ関の名跡が再び動く。
当時、松ヶ根部屋を経営していた元大関・若嶋津が年寄名跡「二所ノ関」を取得し、11代目を襲名。これによって二所ノ関部屋が再興された。
ここで重要なのは、2014年の再興が2013年以前の旧部屋の建物や運営をそのまま復活させたという意味ではないことだ。松ヶ根部屋からの名跡変更によって、伝統ある二所ノ関の名称が受け継がれたのである。
二所ノ関部屋の歴史を時系列で整理
| 時期 | 出来事 | 意味・関係者 |
|---|---|---|
| 1909年 | 二所ノ関部屋創設 | 2代海山太郎が友綱部屋から独立 |
| 昭和初期 | 横綱・玉錦が活躍 | 部屋の発展を支えた代表的な力士 |
| 戦後 | 横綱・大鵬らを育成 | 名門としての地位を確立 |
| 2013年1月 | 旧二所ノ関部屋が閉鎖 | 当時の師匠の健康問題と後継者問題が背景 |
| 2014年12月 | 二所ノ関部屋が再興 | 元大関・若嶋津が11代目を襲名 |
| 2021年12月 | 名跡交換・部屋の継承を承認 | 元横綱・稀勢の里が二所ノ関を襲名 |
| 2022年1月 | 新体制でスタート | 旧部屋は放駒部屋、荒磯部屋は二所ノ関部屋へ |
| 2022年6月 | 阿見町に新施設が開所 | 現在の二所ノ関部屋の拠点が整備された |
【2021年の名跡交換】稀勢の里の二所ノ関襲名と放駒部屋の関係
二所ノ関部屋を調べる際、特に混乱しやすいのが2021年12月に行われた名跡交換である。
この出来事は、単に親方の名前が変わったという話ではない。旧二所ノ関部屋と荒磯部屋の双方で、師匠や所属力士、部屋の名称が入れ替わる大きな再編だった。
元横綱・稀勢の里が二所ノ関を襲名した理由
2021年12月2日の日本相撲協会理事会で、年寄名跡の変更と部屋の継承が承認された。同月24日には、新番付の発表とともに具体的な変更内容が公表された。
当時の二所ノ関親方は、元大関・若嶋津。2022年1月に65歳の定年を迎えることから、後継者への引き継ぎが進められていた。
そこで、荒磯親方だった元横綱・稀勢の里が年寄「二所ノ関」を襲名。一方、元大関・若嶋津は年寄「荒磯」を襲名することになった。
これにより、稀勢の里が率いていた荒磯部屋は二所ノ関部屋へと名称を変更した。
旧二所ノ関部屋は放駒部屋として継承された
もう一つの要点が、元関脇・玉乃島の放駒親方による部屋の継承だ。
それまで二所ノ関部屋に所属していた年寄や力士、行司、呼出、床山らは、新たな師匠のもとで放駒部屋へ転属した。これに対し、荒磯部屋の関係者は新しい二所ノ関部屋へ移ることになった。
つまり、2021年の再編は次のように整理できる。
- 荒磯部屋:元横綱・稀勢の里が二所ノ関を襲名し、二所ノ関部屋へ名称変更。
- 旧二所ノ関部屋:元関脇・玉乃島の放駒親方が継承し、放駒部屋へ名称変更。
- 元大関・若嶋津:年寄二所ノ関から年寄荒磯へ名跡を変更。
このため、「現在の二所ノ関部屋は旧二所ノ関部屋がそのまま稀勢の里に引き継がれたもの」と理解すると、実際の経緯とは異なる。
受け継がれたのは、伝統ある二所ノ関の名跡と部屋の名称であり、2021年の再編では荒磯部屋が新しい二所ノ関部屋となった。一方、旧二所ノ関部屋の系統は放駒部屋へと引き継がれている。
【2026年最新】二所ノ関部屋の所在地・施設と所属力士一覧
2026年11月現在、二所ノ関部屋は茨城県稲敷郡阿見町にある。東京都内ではなく、茨城県南部に拠点を置く相撲部屋として活動している。
二所ノ関部屋の所在地
所在地:〒300-1152 茨城県稲敷郡阿見町荒川本郷139-1
現在の施設は2022年6月に開所した。阿見町が発行した町村合併70周年記念誌によると、敷地面積は約5,900平方メートル。2階建ての施設には、2面の土俵を備えた稽古場、力士の居住スペース、広い浴場などが設けられている。
単に稽古をするだけの場所ではなく、力士が生活しながら鍛錬を積める環境を整えている点が特徴だ。
なお、稽古などの見学は二所ノ関部屋後援会の会員に限られると阿見町は案内している。一般の観光施設のように自由に見学できる場所ではないため、訪問を考えている場合は注意したい。
2026年11月場所の所属力士
日本相撲協会の2026年11月場所に対応した部屋紹介では、二所ノ関部屋に所属する力士が各段に掲載されている。横綱の大の里だけでなく、十両から序ノ口まで幅広い層の力士が在籍している。
主な所属力士と番付は次のとおり。
- 幕内・東横綱:大の里
- 十両・西9枚目:白熊
- 幕下:花の海、猪名の山
- 三段目:麒麟龍、尼王、麟虎、羅漢児、野島、谷口、藤宗、内間、総勢山
- 序二段:古田、御柱、田中、阿見大心、後藤、住吉、澁谷、西勢郷
- 序ノ口:山田、田所、松の里
- 番付外:足立
このほか、行司には木村猿ノ助が所属している。力士の番付や所属者は本場所ごとに変わるため、最新の状況を知りたい場合は日本相撲協会の部屋紹介と最新番付を確認するのが確実だ。
【注目力士】大の里と白熊が担う二所ノ関部屋の現在
2026年の二所ノ関部屋を象徴する存在が、大の里と白熊だ。両者は同じ部屋に所属しているが、番付や実績、現在の立ち位置は異なる。
大の里は第75代横綱として部屋を代表する存在
大の里の本名は中村泰輝。2000年6月7日生まれ、石川県河北郡津幡町出身の力士である。
2023年5月場所で初土俵を踏み、同年9月に新十両、2024年1月に新入幕を果たした。その後も急速に番付を上げ、2024年11月場所後に大関へ昇進。2025年7月には第75代横綱となった。
日本相撲協会の横綱プロフィールによると、2026年11月場所時点で幕内優勝は6回。殊勲賞2回、敢闘賞3回、技能賞3回を記録している。
加えて、直前の2026年9月場所では12勝3敗で幕内優勝を達成。11月場所では東横綱に番付されている。
大の里の躍進は、二所ノ関部屋の存在感を大きく高めた。稀勢の里が現役時代に築いた実績を背景に、横綱を目指す力士を育てる部屋として、その指導体制にも関心が集まっている。
白熊は十両で再び幕内を目指す力士
白熊優太は1999年5月25日生まれ、福島県須賀川市出身。本名は高橋優太で、二所ノ関部屋に所属する力士だ。
2022年5月場所で初土俵を踏み、2023年9月場所で新十両に昇進。2024年9月場所には新入幕を果たし、最高位は前頭16枚目となっている。
2026年11月場所の番付は西十両9枚目。幕内経験を持つ力士として、再入幕を目指す立場にある。
日本相撲協会のプロフィールでは、得意技は右四つ・寄り。過去の戦歴には十両優勝1回も記録されている。
大の里が横綱として部屋の看板を担う一方、白熊は関取として上位復帰を狙う。異なる段階にある力士が同じ部屋で稽古を重ねていることも、二所ノ関部屋を見るうえでの注目点だ。
【二所ノ関一門の系譜】佐渡ヶ嶽・片男波・放駒部屋とのつながり
二所ノ関一門の特徴は、歴史的に独立や分家を通じて規模を広げてきたことにある。単独の相撲部屋がそのまま大きくなったのではなく、複数の部屋が系譜を形成しながら発展してきた。
佐渡ヶ嶽部屋や片男波部屋へ広がった伝統
二所ノ関一門の歴史をたどると、佐渡ヶ嶽部屋や片男波部屋など、旧二所ノ関部屋から独立した系統が確認できる。
こうした分家独立を認める文化が、一門の発展を支えた大きな要素だった。横綱や大関を輩出した部屋がそれぞれ独自の運営を行いながら、歴史的なつながりを共有してきたのである。
また、一門を構成する部屋は時代とともに変わる。新設される部屋もあれば、閉鎖や名称変更、所属関係の変更が生じる場合もある。そのため、古い系譜図と2026年現在の部屋一覧が必ずしも一致するわけではない。
放駒部屋は旧二所ノ関部屋の継承先
放駒部屋と二所ノ関部屋の関係を理解するには、2021年の名跡交換を思い出す必要がある。
放駒部屋は、元関脇・玉乃島の放駒親方が旧二所ノ関部屋を継承して誕生した部屋だ。現在の二所ノ関部屋と放駒部屋は、名称が似ているから同じ部屋というわけではない。
両者は2021年の部屋再編によって異なる師匠のもとで運営されることになった。それぞれの部屋の所属力士や師匠を調べる際には、日本相撲協会の部屋紹介で個別に確認する必要がある。
【プロの結論】二所ノ関を理解する3つの判断基準
二所ノ関という名称をめぐる混乱は、相撲部屋の名称、年寄名跡、一門という3つの仕組みが重なっていることから生まれる。
相撲界の情報を正しく読み取るには、次の3点を押さえておきたい。
- 部屋を調べる場合:師匠、所在地、所属力士を確認する。2026年現在なら、稀勢の里が師匠を務める阿見町の二所ノ関部屋が対象となる。
- 親方を調べる場合:現役時代の四股名と現在の年寄名を区別する。稀勢の里は引退後に荒磯を名乗り、その後、二所ノ関を襲名した。
- 一門を調べる場合:個別の部屋名だけでなく、歴史的な分家・独立の関係を確認する。二所ノ関一門は単独の部屋ではない。
特に重要なのは、伝統ある名跡が引き継がれることと、同じ建物や同じ所属力士が継続することは別の問題だという点だ。2013年の閉鎖、2014年の再興、2021年の名跡交換を分けて理解すれば、現在の二所ノ関部屋がどのように成立したのかが明確になる。
二所ノ関に関するよくある質問(FAQ)
Q1:二所ノ関は部屋名ですか?一門名ですか?
A1:両方の意味がある。二所ノ関部屋は稀勢の里が師匠を務める個別の相撲部屋であり、二所ノ関一門は複数の部屋から成るグループを指す。
Q2:現在の二所ノ関親方は誰ですか?
A2:元横綱・稀勢の里の二所ノ関寛だ。2021年12月に年寄名跡を襲名し、2022年1月から二所ノ関部屋を率いている。
Q3:二所ノ関部屋の所在地はどこですか?
A3:茨城県稲敷郡阿見町荒川本郷139-1。2022年6月に新施設が開所し、2面の土俵を備えた稽古場などを設けている。
Q4:二所ノ関部屋には誰が所属していますか?
A4:2026年11月場所では、東横綱の大の里、西十両9枚目の白熊をはじめ、花の海、猪名の山、麒麟龍など幕下以下の力士も所属している。
Q5:旧二所ノ関部屋は現在どうなっていますか?
A5:旧二所ノ関部屋は2013年1月場所を最後に閉鎖された。その後、2014年に元大関・若嶋津が名跡を取得して再興。2021年の再編では元関脇・玉乃島の放駒親方が旧部屋を継承し、放駒部屋となった。
Q6:大の里と白熊は同じ二所ノ関部屋ですか?
A6:同じ二所ノ関部屋に所属している。大の里は第75代横綱、白熊は十両の力士として、2026年11月場所の番付に掲載されている。
まとめ:二所ノ関部屋は名門の歴史を受け継ぎ、2026年も新たな時代へ
二所ノ関は、単なる相撲部屋の名前ではない。1909年の創設以来、玉錦や大鵬らを輩出し、分家独立を通じて二所ノ関一門の発展を支えてきた伝統ある名跡でもある。
2013年の旧部屋閉鎖、2014年の若嶋津による再興、2021年12月の稀勢の里への名跡継承を経て、現在の二所ノ関部屋が成立した。旧二所ノ関部屋の系統は放駒部屋へと引き継がれ、現在の二所ノ関部屋は2022年6月から阿見町の新施設を拠点としている。
2026年11月現在、部屋の中心には第75代横綱・大の里がいる。白熊をはじめとする関取や若手力士も在籍し、幅広い番付の力士が日々稽古に励んでいる。
これから二所ノ関の情報を追うなら、部屋の歴史と一門の系譜を区別しながら、稀勢の里の指導者としての歩み、大の里の横綱としての活躍、次世代を担う所属力士の成長に注目したい。名門の伝統を守るだけでなく、新しい横綱を育てた二所ノ関部屋が、今後どのような力士を送り出すのか。その歩みは、2026年以降の大相撲を見守るうえでも大きな見どころとなる。
主な根拠資料: 日本相撲協会公式部屋紹介・力士プロフィール、茨城県阿見町公式資料、日刊スポーツの2021年名跡交換報道、東北大学リポジトリ掲載の大相撲に関する研究論文。