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新撰組イケメンは誰?土方歳三の写真と沖田総司の肖像を史実から徹底解説

白木 奈緒 白木 奈緒 • 更新: • 公開: • 読了約 19 分
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「新撰組イケメン」として名前が挙がる隊士といえば、土方歳三、沖田総司、斎藤一、永倉新八らが代表的だ。なかでも土方歳三は、実際に撮影された写真が現存し、幕末の人物としては珍しく、当時の顔立ちを視覚的に確かめられる存在である。一方、沖田総司には本人の生前写真が確認されておらず、広く知られる肖像画も後世に描かれたものだ。

2026年現在、史実に基づいた客観的な美男子ランキングは存在しない。しかし、国立国会図書館の資料、佐藤彦五郎新選組資料館の所蔵品、北海道博物館や福島県立博物館に関係する写真資料、当時の人物証言を照らし合わせると、隊士それぞれの実像が見えてくる。人気ランキングと実際の容姿を区別しながら、写真で確かめられる人物、創作によって美青年像が定着した人物を整理する。

【新撰組イケメンランキング】人気の高い隊士は誰?

新撰組イケメン

新選組の隊士を美男子という観点で順位付けする場合、最初に理解しておきたいのが「人気」と「史実上の容姿」は別の評価基準だという点だ。

2024年にITmediaの「ねとらぼリサーチ」が実施した好きな新選組隊士のアンケートでは、315票の有効回答が集まった。これは容姿を評価した調査ではないが、現代の読者に支持される人物を知る参考資料になる。

2024年の隊士人気ランキング

同調査の上位結果は次のとおりだ。

  • 1位:土方歳三(90票)
  • 2位:斎藤一(60票)
  • 3位:沖田総司(36票)
  • 4位:永倉新八(28票)
  • 5位:山南敬助(22票)
  • 6位:吉村貫一郎・近藤勇(各15票)

この結果からも、土方歳三の人気が際立っていることが分かる。ただし、90票という数字は調査参加者の支持数であり、日本人全体の評価や容姿の優劣を示すものではない。

史実と人気を合わせて注目したい5人

土方歳三は、実際の肖像写真が残ることに加え、冷静な組織運営と最後まで戦い抜いた生涯が支持されている。

沖田総司は、若くして亡くなった天才剣士という人物像が人気の中心だ。小説や漫画、映像作品で美青年として描かれることが多い。

斎藤一は、寡黙で冷静な剣士というイメージが強い。後年の写真資料が存在する点も、人物への関心を高めている。

永倉新八は、剣術の実力だけでなく、維新後も新選組の記録を後世に伝えた人物として評価されている。

近藤勇は局長として組織を率いた存在感が大きい。外見だけではなく、指導力や人間的な風格を含めて人気を集めている。

【土方歳三の写真】国立国会図書館で確認できる現存肖像の真相

新選組のイケメンを語るうえで、最も具体的な視覚資料を持つのが副長・土方歳三だ。

土方の肖像写真は、単に後世に伝わった人物画像というだけではない。撮影場所、撮影者、写真の材質、佐藤家に伝わった経緯まで、所蔵資料の目録に記録されている。

土方歳三の写真はいつ、誰が撮影したのか

国立国会図書館サーチとADEACアーカイブに登録されている「土方歳三写真」の資料情報によると、写真の製作年は明治元年12月(1868年12月)。撮影者は田本研造とされ、撮影場所は箱館(現在の函館)である。

写真の材質は鶏卵紙で、大きさは縦11センチ、横6.5センチ。幕末から明治初期にかけて普及した写真技術によって撮影された資料だ。

特に注目したいのが、写真が日野の佐藤家に伝わった経緯である。

佐藤彦五郎新選組資料館とADEACの解説によると、土方の小姓だった市村鉄之助が、土方の命を受け、明治2年(1869年)7月に日野宿の佐藤家へ写真を届けたという。写真の裏面には、大沼枕山が作った土方への追悼漢詩も記されている。

土方は1869年6月20日に箱館で戦死している。そのため、この写真は本人の死後、形見として故郷に届けられた資料という意味も持つ。

国立国会図書館の画像と現存写真の関係

土方歳三の画像を探す際には、国立国会図書館の「近代日本人の肖像」と、国立国会図書館サーチに登録された資料情報を区別すると理解しやすい。

「近代日本人の肖像」は、国立国会図書館が所蔵する図書・雑誌などから肖像資料を紹介する電子展示会だ。土方の肖像も掲載されているが、掲載画像の一部には絵画を撮影したものも含まれる。

一方、1868年12月の土方歳三写真については、国立国会図書館サーチからADEACアーカイブの資料情報を確認できる。原資料の所蔵先は佐藤彦五郎新選組資料館であり、国立国会図書館が原本を直接所蔵しているという意味ではない。

この違いは、歴史上の人物写真を調べる際に重要だ。画像の掲載機関と、実物を所蔵する機関は必ずしも一致しない。

土方歳三は本当に美男子だったのか

土方の容姿については、後年の聞き取り記録などに美男だったという評価が伝わっている。

八木為三郎の談として知られるのが、土方を「役者のような男」と評した逸話だ。また、長州藩士・堀真五郎の手記には、新選組の取り調べに現れた指揮官について、次のような描写がある。

「長面、色白にして脊高く」

この記述は、当時の人物の外見を知るうえで興味深い。ただし、手記に記された指揮官の名前は明らかではなく、土方本人だと断定することはできない。

それでも、現存写真と容姿に関する伝承の両方が残る土方歳三は、新選組の隊士のなかでも外見を具体的に検討しやすい人物だ。

【沖田総司の容姿】写真は存在する?有名な肖像画の正体

土方歳三と並んで、新撰組イケメンという検索で頻繁に名前が挙がるのが沖田総司である。

小説や漫画では、色白で細身、端正な顔立ちをした若い剣士として描かれることが多い。しかし、史実に残る資料からは、そうしたイメージをそのまま裏付けることはできない。

沖田総司の生前写真は現存していない

2026年現在、沖田総司本人の生前写真として真正性が確認された資料は知られていない。

佐藤彦五郎新選組資料館の公式所蔵資料リストにも、沖田総司について掲載されているのは肖像画と書簡であり、土方歳三や近藤勇のような肖像写真とは区別されている。

インターネット上では「発見された沖田総司の写真」と紹介される画像を見かけることがある。しかし、古写真に写っている人物を沖田本人と結び付けるには、撮影年代、写真の来歴、人物を特定できる記録などが必要だ。

実際、国立国会図書館のレファレンス協同データベースにも、沖田総司とされる古写真の人物特定をめぐる調査事例が掲載されている。写真が存在することと、写っている人物が沖田だと証明されることは別問題である。

有名な沖田総司の肖像画は本人の似顔絵ではない

一般に沖田総司の肖像画として知られている絵には、重要な背景がある。

歴史資料を紹介する複数の解説によれば、この肖像画は昭和4年(1929年)に描かれたもので、モデルは沖田の姉ミツの孫にあたる要だったとされる。ミツが孫を見て総司に似ていると話したことが、制作のきっかけになったという。

つまり、この絵は沖田本人を生前に直接観察して描いた肖像ではない。血縁者の面影を手がかりに、後世に作られた人物像なのである。

この違いを知っておくと、沖田の肖像画を史実の顔写真として扱う誤解を避けられる。

沖田総司は色白の美青年だったのか

沖田の容姿には、さまざまな伝承が残る。

後年の聞き取りや新選組関係者の回想を紹介する資料では、色黒、長身、猫背、肩の張った体格、笑うと愛嬌があったといった人物像が伝えられている。一方、沖田家に伝わる話として色白で小柄だったという説もある。

こうした証言には、本人を直接知っていた人の話と、さらに後の世代に伝わった話が混在している。記録の成立時期や伝承経路によって、内容に違いが生まれているのだ。

少なくとも、現在の美青年像をそのまま史実として確定することはできない。沖田総司の魅力は、容姿だけでなく、剣の実力、若くして亡くなった生涯、そして後世の物語によって形づくられてきた。

【近藤勇・永倉新八・斎藤一】写真で確認できる新選組隊士の姿

土方歳三と沖田総司だけに注目すると、新選組の人物像は偏ってしまう。近藤勇、永倉新八、斎藤一にも写真資料が残されている。

ここでは佐藤彦五郎新選組資料館、ADEACアーカイブ、北海道博物館、京都文化博物館の資料情報をもとに、写真の有無と確認できる範囲を比較する。

新選組主要隊士の写真・肖像資料比較

人物 写真・肖像資料 史実上の確認ポイント
土方歳三 1868年12月撮影の肖像写真 田本研造撮影。市村鉄之助が佐藤家に届けた資料。
近藤勇 肖像写真が現存 佐藤彦五郎新選組資料館所蔵。近藤本人が彦五郎に手渡したと伝わる。撮影年代は目録に記載なし。
沖田総司 肖像画 本人の生前写真は確認されていない。有名な肖像画は後世の制作。
永倉新八 肖像写真・集合写真 北海道博物館に1913年撮影の集合写真が所蔵されている。
斎藤一 明治時代の肖像写真・家族写真 福島県立博物館寄託資料。2026年には福島県立博物館の移動展でも写真を展示。

近藤勇の写真は本当に存在する

近藤勇については、写真が現存している。

ADEACアーカイブの「近藤勇写真」の目録には、縦12センチ、横6.5センチの写真資料が登録されている。所蔵機関は佐藤彦五郎新選組資料館で、解題には近藤が彦五郎に直接手渡したと伝えられている旨が記載されている。

佐藤彦五郎新選組資料館の公式サイトでも、近藤勇の肖像写真を所蔵資料として紹介している。近藤の容姿を調べる際には、後世のイラストではなく、こうした写真資料を確認することが重要だ。

永倉新八の写真は晩年の姿も確認できる

永倉新八は新選組の幹部隊士として活動し、戊辰戦争後も生き延びた人物である。

北海道博物館の2024年度要覧には、永倉新八(杉村義衛)について、大正2年(1913年)5月に札幌で撮影された集合写真が同館に所蔵されていると記されている。

また、佐藤彦五郎新選組資料館の公式所蔵リストにも永倉新八の肖像写真が掲載されている。

注意したいのは、これらの写真が新選組時代の若い永倉の姿を直接示すものではないことだ。1913年の集合写真は、幕末を生き抜いた人物の晩年の姿を知るための資料である。

斎藤一の写真は2026年の展示でも注目

斎藤一は新選組三番隊組長として知られ、明治維新後は藤田五郎と名乗った人物だ。

京都文化博物館の2022年の新選組展出品リストには、明治時代の斎藤一(藤田五郎)の写真と、明治30年(1897年)11月14日撮影の家族写真が記録されている。いずれも個人所蔵で、福島県立博物館に寄託された資料だ。

さらに2026年の最新情報として、福島県立博物館の移動展「優品が語るふくしまと白河―福島県立博物館移動展2026―」では、斎藤一(藤田五郎)の写真が展示資料に含まれている。

会場は福島県白河市の小峰城歴史館。会期は2026年9月5日から11月8日までで、斎藤の写真は後期展示の10月6日から11月8日まで公開されている。2026年10月31日現在、実物資料を確認できる機会となっている。

ただし、斎藤の写真も明治時代のものだ。新選組で活動していた若い時代の顔立ちと、晩年の姿を同一視しないことが大切である。

【新選組隊士の容姿の逸話】史実と創作では何が違う?

新選組の隊士が美男子だったという話には、実際の証言に由来するものと、後世の小説や映像作品によって強調されたものがある。

この二つを区別すると、新選組イケメンというイメージがどのように生まれたのかが分かる。

土方歳三の美男伝説には複数の背景がある

土方歳三については、八木為三郎の談として伝わる「役者のような男」という評価が知られている。

また、長州藩士の堀真五郎による記録には、顔が長く、色白で背が高い人物の描写がある。歴史作家・時代考証家の山村竜也は、この指揮官が土方だった可能性を指摘している。

ただし、堀の記録は人物名を明記していないため、土方の容姿を直接証明する一次資料とまではいえない。

写真、後年の証言、同時代の記録を合わせて検討することで、土方の外見に関する評価の背景が見えてくる。

近藤勇は容姿よりも人物としての存在感が記録されている

近藤勇については、会津藩士・鈴木丹下の「騒擾日記」に、智勇を兼ね備え、どのような交渉でも滞りなく返答できる人物だったという評価が記されている。

また、八木家の為三郎の談話にも、近藤は隊士を統率する威厳を持っていたことが伝わっている。

こうした史料から確認できるのは、近藤が指導者として高い存在感を持っていたことだ。現代の美男子という評価とは異なる角度から、その魅力を理解できる。

沖田総司の美青年像は小説や映像作品で広がった

沖田総司のイメージを語るうえで大きな影響を与えたのが、作家・司馬遼太郎の作品である。

『燃えよ剣』や『新選組血風録』は、土方歳三や沖田総司、近藤勇を中心とした新選組の人物像を多くの読者に広めた。新潮社の関連書籍の解説でも、現在の新選組像がこれらの作品から強い影響を受けていることが紹介されている。

特に沖田は、剣の腕に優れ、若くして病に倒れる人物という物語性が強い。そのため、映像作品や漫画では、病弱で色白の美青年として描かれることが定着した。

しかし、作品の人物造形は史実の容姿をそのまま再現したものではない。創作としての美青年像と、現存する資料から分かる実像は分けて考える必要がある。

【新撰組イケメンが人気の理由】2026年に改めて注目される背景

新選組の隊士が長く人気を保っている理由は、単純に顔立ちが整っていたとされるからではない。

人物ごとに異なる生き方、歴史的な役割、残された写真や書簡、そして後世の創作が重なり合っていることが大きい。

写真が残る人物と残らない人物の対比

土方歳三や近藤勇の写真が残る一方、沖田総司には確実な生前写真がない。この差は、人物のイメージ形成にも影響している。

写真が存在する人物は、実際の顔立ちを自分の目で確かめられる。一方、写真がない人物は、肖像画や文章、映像作品などから想像する余地が大きい。

沖田総司の美青年像がさまざまな作品で描き直されてきたのも、本人の姿を確定できる視覚資料が乏しいことと無関係ではない。

悲劇性と人物の生き方が人気を支えている

土方歳三は、箱館戦争まで戦い続けた生き方が強い印象を残している。厳格な副長という人物像と、最後まで信念を貫いた姿が重なり、人気につながっている。

沖田総司は、若い剣士として活躍しながら早く亡くなったという生涯が物語性を生んだ。斎藤一や永倉新八は、明治以降も生き続け、新選組の記憶を後世につないだ点に特徴がある。

2018年のPHP研究所「歴史街道」の隊士人気調査でも、土方については容姿だけでなく信念や生き方、沖田については剣の強さと若くして亡くなった物語性、近藤については統率力を評価する意見が紹介されている。

写真や肖像画を調べるときの3つの判断基準

新選組隊士の画像を見つけたときは、次の3点を確認すると史実と創作を見分けやすい。

  • 資料の所蔵先:国立国会図書館、博物館、資料館などの所蔵目録に登録されているか。
  • 制作・撮影年代:隊士の生前に作られたものか、死後に描かれた肖像画なのか。
  • 来歴と人物特定:誰が撮影・制作したのか、どのような経緯で所蔵機関に伝わったのか。

この基準は、写真がある人物にも、写真がない人物にも共通する。とりわけ沖田総司のように肖像画が広く知られている人物では、画像の見た目だけで本人と判断しないことが重要だ。

【新撰組イケメンに関するよくある質問(FAQ)】

Q1:新撰組で一番のイケメンは誰ですか?
A1:一般的には土方歳三と沖田総司が代表的な候補として挙げられる。土方は現存写真や美男伝説があり、沖田は小説や漫画で美青年として描かれてきた。ただし、史実に基づく客観的な美男子ランキングは存在しない。

Q2:沖田総司の本物の写真はありますか?
A2:2026年現在、本人の生前写真として真正性が確認されたものは知られていない。有名な肖像画は昭和4年に描かれたもので、姉ミツの孫・要をモデルにしたと伝えられている。

Q3:土方歳三の写真はどこで見られますか?
A3:国立国会図書館の「近代日本人の肖像」や国立国会図書館サーチから関連資料を調べられる。原資料は佐藤彦五郎新選組資料館が所蔵しており、ADEACアーカイブでも資料情報を確認できる。

Q4:近藤勇や永倉新八、斎藤一の写真も残っていますか?
A4:残っている。近藤勇は佐藤彦五郎新選組資料館所蔵の肖像写真、永倉新八は北海道博物館所蔵の1913年の集合写真などがある。斎藤一についても明治時代の写真や家族写真が確認されている。

Q5:斎藤一の写真は2026年に見られますか?
A5:福島県立博物館の移動展2026では、斎藤一(藤田五郎)の写真が展示されている。白河市の小峰城歴史館で2026年11月8日まで開催され、写真は10月6日から11月8日までの後期展示資料となっている。

まとめ:新撰組イケメンの魅力は写真と史実を知ると深まる

新撰組イケメンとして特に人気が高いのは、土方歳三と沖田総司だ。しかし、2人の人物像が伝わる資料には大きな違いがある。

土方歳三には1868年12月に撮影された肖像写真があり、撮影者や佐藤家に伝わった経緯まで記録されている。近藤勇、永倉新八、斎藤一にも写真資料が存在する。一方、沖田総司は生前写真が確認されておらず、広く知られる肖像画も本人を直接描いたものではない。

また、土方の美男伝説や沖田の美青年像には、後年の証言や小説、漫画、ドラマなどが影響している。史実と創作を分けることで、人物の魅力をより立体的に理解できる。

2026年は、斎藤一の写真が福島県立博物館の移動展で公開されるなど、現存する新選組資料に触れる機会もある。顔立ちだけで順位を決めるのではなく、写真、書簡、回想録、人物の生き方を合わせて見ること。それこそが、新選組の隊士たちを深く知るための最も確かな方法だ。

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トレンドリサーチャー 白木 奈緒
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プロ野球・サッカー・格闘技の選手情報を担当する編集者。リーグ公式やクラブの発表、試合記録を一次情報とし、移籍や記録の数値は公式記録で確認してから掲載します。

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