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和田竜二の落馬事故はなぜ起きた?負傷内容と騎手引退、調教師転身まで徹底解説

御影 遼 御影 遼 • 更新: • 公開: • 読了約 20 分
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2026年1月11日、京都競馬場で起きた和田竜二騎手の落馬事故は、30年にわたって第一線で活躍してきたベテランジョッキーの騎手人生に、予定より早い幕を下ろす結果となりました。事故が起きたのは京都1R。メイショウソウテンに騎乗していた和田騎手は、1コーナーでロンバルドシチーが内側に斜行した影響を受け、馬がつまずいて落馬しました。

その後、左手尺骨骨折、左足脛骨骨折に加え、左膝の靱帯損傷も判明。1月22日には所属マネジメント会社Risyの公式Xを通じて騎手復帰を断念することが発表されました。2026年3月1日付で調教師に転身し、4月26日には京都競馬場で引退式も実施されています。10月現在は調教師として厩舎開業に向けた準備を進めています。

【事故はいつ、どのレースで起きた?】2026年1月11日の京都1Rで何があったのか

和田竜二落馬

和田竜二騎手が落馬したのは、2026年1月11日(日)の京都競馬場、第1レースです。

当日、和田騎手は8番メイショウソウテンに騎乗していました。事故が発生したのはレース序盤の1コーナー付近です。

JRAが公表した裁決レポートによると、15番ロンバルドシチーが内側に斜行したことで、10番、8番、4番の進路が狭くなりました。その影響で8番メイショウソウテンがつまずき、騎乗していた和田騎手が落馬。メイショウソウテンは競走中止となりました。

落馬直後の状況については、当日の競馬報道でも詳しく伝えられています。和田騎手は落馬後すぐに起き上がることができず、係員に抱えられて内側のラチ付近へ移動。その後、全馬が引き揚げてから担架で運ばれました。

落馬直後に現場へ駆けつけた鈴木孝志調教師によると、和田騎手には意識があったとのことです。JRAは当初、左腕と左足の負傷を発表しました。

なお、メイショウソウテンについてはJRAから馬体に異状なしと発表されています。騎手と競走馬の双方に大きな影響が及ぶ可能性のある落馬事故でしたが、馬に異常がなかったことは不幸中の幸いでした。

この事故によって和田騎手は当日の3R以降の騎乗をすべて取りやめています。翌12日にはシンザン記念での騎乗も予定されていましたが、事故によって実現しませんでした。

(出典:JRA「開催競馬場・今日の出来事」、日刊スポーツ2026年1月11日報道)

【落馬事故の原因は何だった?】ロンバルドシチーの斜行とJRAの裁決

今回の落馬事故の直接的な経緯を理解するうえで重要なのが、ロンバルドシチーの内側への斜行です。

1コーナーで進路が狭まり、メイショウソウテンがつまずく

JRAの公式裁決レポートでは、15番ロンバルドシチーが1コーナーで内側に斜行したことを事故につながった事象として記録しています。

その結果、10番、8番、4番の進路が狭くなり、8番メイショウソウテンがつまずいて騎手が落馬しました。加えて、ほかの複数の馬にも進路への影響が及んだとされています。

この裁決で注目すべきなのは、単に1頭の馬が落馬したというだけではなく、1コーナーでの進路変更が複数の競走馬に影響したとJRAが認定している点です。

ロンバルドシチーの騎手には過怠金10万円

JRAはロンバルドシチーに騎乗していた高杉吏麒騎手に対し、過怠金10万円を課しました。

したがって、事故の原因をめぐっては、ネット上の推測よりもJRAの裁決レポートが示した事実を基準にする必要があります。

一方、裁決レポートが説明しているのは斜行による進路への影響と落馬までの経緯です。斜行が起きた背景にある馬の心理や意図まで断定しているわけではありません。

また、過怠金10万円という裁決内容と、和田騎手が負った重大なけがは別の問題です。制裁の内容だけで事故による身体的な被害の大きさを判断することはできません。

(出典:JRA京都1R裁決レポート、2026年1月11日)

【和田竜二の負傷内容と現在の容体】左手尺骨・左足脛骨骨折と左膝靱帯損傷

事故直後は左腕と左足の負傷と発表されていましたが、その後の診断によって、けがの具体的な内容が明らかになりました。

2026年1月22日、和田騎手が所属するマネジメント会社Risyが公式Xを通じて本人のメッセージを発表。左手尺骨と左足脛骨の骨折、さらに左膝の靱帯損傷が判明したことを報告しました。

確認された3つの主な負傷

1.左手尺骨骨折

尺骨は前腕を構成する骨の一つです。手綱を握り、馬の動きを制御する騎手にとって、腕の骨折は騎乗動作に直接関わる重大な負傷です。

2.左足脛骨骨折

脛骨はすねを構成する主要な骨です。競馬の騎乗姿勢では下半身で馬体を支え、脚を使って馬に指示を伝えるため、回復には慎重な対応が大切です。

3.左膝の靱帯損傷

さらに深刻だったのが左膝の負傷です。手術の際に靱帯の損傷も判明し、後の本人の説明では前十字靱帯の再建手術を受けたことが明らかになっています。

1月22日、Risy公式Xで騎手復帰を断念すると発表

和田騎手は本人名義のメッセージで、治療に時間が必要となったことを説明しました。

「馬に乗るには時間をかけて治療をおこなう必要があります。」

また、調教師という次のステップに進める立場だったことから、今後は調教師の仕事に専念する決意も伝えています。

ファンや関係者に対しては、最後の騎乗姿を見せられないことへの申し訳なさを表明。騎手としての最後のレースをファンの前で迎えられなかったことは、本人にとっても心残りだったようです。

3月4日に退院を報告、普通の生活は可能な状態に

日刊スポーツなどの報道によると、和田調教師は2月28日に退院し、3月4日に栗東トレーニングセンターへ姿を見せました。

このとき、左膝の前十字靱帯再建手術を受けたことを説明し、手術後の状態が落ち着くまでには半年ほどかかる見通しを示しました。

一方で、本人は「普通に生活する分には大丈夫」と説明しています。これは日常生活に関する報告であり、競馬の騎乗にすぐ復帰できる状態だったという意味ではありません。

7月から10月にかけて見られた回復の進展

その後、7月23日付のnetkeiba連載では、和田調教師が乗馬を再開したことが紹介されました。

さらに8月27日付の連載では、8月から調教騎乗を再開したことも報告されています。騎手としての競走復帰ではなく、調教師として馬の調教に携わるための騎乗です。

そして10月22日付の最新連載では、凱旋門賞の視察でフランスを訪れ、本場のコースに自ら騎乗して感じた日欧の馬づくりの違いなどが紹介されました。足の回復状況についても取り上げられています。

2026年10月30日時点では、乗馬・調教騎乗を再開し、調教師としての活動を続けていることが確認できます。ただし、競走馬に騎乗するための負傷と、調教や視察で騎乗できることは同じではありません。完全に治癒したとする発表とは区別する必要があります。

(出典:Risy公式Xに関する2026年1月22日報道、日刊スポーツ2026年3月4日、netkeiba2026年7月23日・8月27日・10月22日)

【和田竜二の落馬から引退式まで】2026年の時系列と関係者の動き

今回の出来事は、1月の落馬だけを切り取ると全体像を見誤ります。実際には、事故前から調教師への転身が決まっており、負傷によって最後の騎乗が実現しないまま、予定していた引退時期を迎えることになりました。

事故、負傷、騎手免許の終了、調教師への転身、そして引退式までの関係を時系列で整理します。

時期 人物・組織 出来事・関係 確認された内容
2025年12月11日 JRA・和田竜二 調教師試験合格 2026年度新規調教師免許試験に合格
2026年1月11日 和田竜二・メイショウソウテン 京都1Rで落馬 ロンバルドシチーの内斜行の影響で落馬
2026年1月22日 Risy・和田竜二 負傷内容と復帰断念を発表 左手尺骨・左足脛骨骨折、左膝靱帯損傷
2026年2月28日 JRA・和田竜二 騎手引退 騎手免許の有効期間が終了
2026年3月1日 JRA・和田竜二 調教師免許交付 調教師として新たなキャリアを開始
2026年4月26日 JRA・京都競馬場 騎手引退式 ウイナーズサークルで引退式を実施
2026年7月〜8月 和田竜二調教師 騎乗活動を段階的に再開 乗馬、調教騎乗の再開が報告される
2026年10月22日 和田竜二技術調教師 フランス視察 凱旋門賞視察と現地での騎乗を紹介

この年表から分かる重要な点は、調教師への転身は落馬事故の後に突然決まったものではないということです。

2025年12月11日には、すでにJRAから2026年度の新規調教師試験合格者として発表されていました。事故が起きた2026年1月11日は、騎手生活の最後の時期に当たっていたのです。

JRAは2月10日、和田竜二騎手が2月28日付で引退し、3月1日付で調教師免許の交付を受けることを正式に発表しました。

4月4日には引退式の開催が告知され、4月26日、京都競馬場のウイナーズサークルで実施されました。JRA公式チャンネルでのライブ配信とBSイレブンでの放送も案内されていました。

引退式には師匠の岩元市三元調教師、武豊騎手、同期の古川吉洋騎手、常石勝義元騎手、福永祐一調教師らが参加。騎手仲間や競馬ファンに見守られながら、30年間の騎手生活に区切りをつけました。

(出典:JRA2025年12月11日・2026年2月10日・4月4日発表、netkeiba2026年4月26日報道)

【なぜ騎手を引退した?】落馬事故と調教師転身の本当の関係

和田竜二騎手の引退理由を理解するには、事故による負傷と、以前から進めていた調教師への転身を分けて考える必要があります。

調教師への転身は事故前から決まっていた

和田騎手は2025年12月に新規調教師免許試験に合格しています。

JRAが公表した新規調教師の資料には、調教師を志した理由について、師匠である岩元市三元調教師への憧れがあったことが記されています。

「騎手の後は先生のような誠実な調教師になりたい」

つまり、騎手としての引退と調教師への転身は、以前から考えていたキャリア上の選択でした。

事故がなかったとしても、2026年2月末で騎手を引退し、3月から調教師になる予定だったのです。

落馬事故が変えたのは最後の騎乗の機会

今回の事故によって変わったのは、騎手生活の終わり方でした。

左手と左足の骨折に加えて左膝の靱帯損傷が判明し、騎乗に必要な身体機能を回復させるには時間がかかることが明らかになりました。

騎手免許の有効期限は2月28日まで。治療とリハビリを続けながら期限内に競走へ復帰することは難しく、1月22日に復帰断念が公表されました。

本人も、最後の騎乗姿を応援してくれたファンや関係者に見せられないことについて、申し訳ない気持ちを表しています。

この経緯を整理すると、次のようになります。

  • 調教師への転身:落馬事故前から決定していたキャリア選択。
  • 騎手復帰の断念:落馬事故による複数箇所の負傷と治療期間が理由。
  • 最後の騎乗が実現しなかったこと:事故によって予定していた引退までの騎乗ができなくなったため。
  • 調教師への移行:予定どおり3月1日付で免許が交付された。

したがって、「落馬事故が原因で突然騎手を辞めた」という説明は正確ではありません。正しくは、すでに決まっていた調教師転身を前に、事故による負傷で騎手としての最後のレースに臨めなくなったという経緯です。

【JRA通算1534勝の実績】和田竜二が調教師として目指す新しい競馬人生

和田竜二という名前を競馬ファンに強く印象づけたのは、テイエムオペラオーとのコンビをはじめとする数々の名勝負です。

1996年デビュー、テイエムオペラオーとの黄金時代

和田竜二氏は1977年6月23日生まれ、滋賀県出身。1996年3月に騎手免許を取得し、栗東の岩元市三厩舎からデビューしました。

大きな転機となったのは1999年の皐月賞です。テイエムオペラオーとのコンビでGⅠ初制覇を達成しました。

翌2000年には、天皇賞・春、宝塚記念、天皇賞・秋、ジャパンカップ、有馬記念などを制し、古馬中長距離GⅠを完全制覇する偉業を達成。テイエムオペラオーとともに競馬史に残る存在となりました。

その後もワンダーアキュート、ミッキーロケット、ディープボンドなど、さまざまな実力馬とコンビを組み、重賞戦線で活躍しています。

騎手として残した最終成績

JRAが公表した引退時の成績は、通算2万2176戦1534勝、重賞50勝、GⅠ8勝です。

30年間にわたって積み重ねた1534勝は、単なる勝利数ではありません。長期間にわたり、さまざまな馬の能力を引き出してきた騎手としての実績です。

2026年10月現在は技術調教師として開業準備中

2026年3月1日から調教師免許を取得した和田氏は、技術調教師として研修や厩舎開業の準備を進めています。

3月には栗東トレーニングセンターに姿を見せ、鈴木孝志調教師のもとで研さんを積む予定を説明していました。その後は北海道の牧場を訪問し、若駒の視察や先輩調教師の仕事から学ぶ様子も紹介されています。

7月にはセレクトセールに初参加。8月にはサマーセールにも参加し、馬の選定や購買を経験しました。また、藤岡佑介調教師らとのイギリス視察では、アスコット競馬場やニューマーケットを訪れています。

10月22日付の本人連載では、フランスで凱旋門賞を視察し、現地の競馬関係者や海外ファンと交流したことも報告されました。

現在の和田氏は、騎手として培った馬への理解を生かしながら、管理する競走馬を育てる立場へと仕事の軸を移しています。

本人が目指すのは、師匠の岩元市三元調教師のような誠実なホースマンです。2027年春の厩舎開業を見据え、馬の選定、牧場との関係づくり、調教技術など、調教師に必要な経験を積んでいます。

(出典:JRA騎手引退発表、JRA新規調教師試験資料、netkeiba和田竜二調教師連載)

【プロの結論】今回の落馬事故から理解したい3つのポイント

和田竜二騎手の落馬事故を振り返る際、特に押さえておきたいのは次の3点です。

1.落馬の原因はJRAの裁決レポートで確認できる

事故の直接的な経緯は、ロンバルドシチーの内側への斜行によってメイショウソウテンの進路が狭くなり、馬がつまずいて落馬したというものです。高杉吏麒騎手への過怠金10万円もJRAの公式記録に残っています。

事故の原因を調べる際には、レース映像だけでなく、裁決レポートに記載された進路妨害の内容や制裁も併せて確認することが大切です。

2.騎手引退と事故は同じ理由ではない

和田氏は事故前に調教師試験に合格していました。したがって、調教師への転身自体は以前からの目標であり、事故だけを理由に進路を変更したわけではありません。

事故によって失われたのは、騎手として予定していた最後の騎乗機会です。この違いを理解すると、2026年の引退までの経緯がより正確に見えてきます。

3.現在は騎手復帰ではなく調教師としての活動が中心

乗馬や調教騎乗の再開は、回復が進んでいることを示す重要な情報です。しかし、騎手としてレースに復帰することと、調教師として馬に乗って調教することは目的も負荷も異なります。

現在の和田氏については、騎手復帰を期待するよりも、調教師としてどのような馬を育て、どのような厩舎をつくっていくのかに注目することが適切です。

【和田竜二の落馬事故に関するよくある質問(FAQ)】

Q1:和田竜二の落馬事故はいつ、どこで起きましたか?
A1:2026年1月11日、京都競馬場の第1レースで発生しました。メイショウソウテンに騎乗していた和田騎手が、1コーナーでのロンバルドシチーの内斜行による影響を受けて落馬しました。

Q2:和田竜二の落馬事故の原因は何ですか?
A2:JRAの裁決レポートによると、ロンバルドシチーが内側に斜行し、メイショウソウテンの進路が狭くなってつまずいたことが直接の経緯です。ロンバルドシチーに騎乗していた高杉吏麒騎手には過怠金10万円が課されました。

Q3:和田竜二が負ったけがは何ですか?
A3:左手尺骨骨折、左足脛骨骨折、左膝の靱帯損傷です。左膝については前十字靱帯の再建手術を受けています。

Q4:和田竜二は騎手に復帰する予定はありますか?
A4:2026年1月22日に騎手復帰を断念すると発表し、2月28日付で騎手を引退しています。その後は乗馬や調教騎乗を再開していますが、競走騎手への復帰が発表されたわけではありません。

Q5:和田竜二はなぜ騎手を引退したのですか?
A5:もともと2026年度の調教師試験に合格しており、2月末で騎手を引退する予定でした。落馬事故による骨折と靱帯損傷で治療に時間が必要になり、最後の騎乗を迎えることなく引退しました。

Q6:和田竜二のJRA通算成績は何勝ですか?
A6:引退時のJRA通算成績は1534勝です。重賞50勝、GⅠ8勝を記録し、30年間の騎手生活を終えました。

Q7:和田竜二の引退式はいつ行われましたか?
A7:2026年4月26日、京都競馬場のウイナーズサークルで実施されました。JRAは16時35分頃の開始を事前に発表していました。

Q8:2026年10月現在、和田竜二は何をしていますか?
A8:調教師免許を取得し、技術調教師として研修や厩舎開業準備を進めています。乗馬と調教騎乗も再開しており、2027年春の厩舎開業を見据えて活動しています。

まとめ:和田竜二の落馬事故を経て、新たなホースマン人生へ

2026年1月11日の京都1Rで発生した和田竜二騎手の落馬事故は、左手尺骨骨折、左足脛骨骨折、左膝靱帯損傷という大きな負傷につながりました。

JRAの裁決レポートでは、ロンバルドシチーの内側への斜行によってメイショウソウテンの進路が狭くなり、馬がつまずいて落馬した経緯が記録されています。

1月22日に騎手復帰の断念が発表され、2月28日付で騎手を引退。3月1日からは調教師として新しい道を歩み始めました。4月26日には京都競馬場で引退式が行われ、30年にわたる騎手生活に正式な区切りがついています。

2026年10月現在は、リハビリを経て調教騎乗を再開し、牧場視察や海外研修などを通じて厩舎開業に向けた準備を進めています。

JRA通算1534勝、GⅠ8勝という実績を持つ和田竜二氏。テイエムオペラオーとともに数々の名勝負を生み出した騎手時代から、今度は馬を育て、レースへ送り出す調教師へ。2027年春に向けて進む新たな挑戦にも、引き続き注目が集まります。

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