料理研究家としてNHK「きょうの料理」などに出演し、「エダモン」の愛称で親しまれた枝元なほみさん。家庭料理の楽しさを伝える一方、食品ロスや貧困問題にも積極的に取り組んできた彼女が、2025年2月27日に69歳で亡くなりました。
枝元なほみさんの病気は、2019年に診断された特発性間質性肺炎です。2023年には新型コロナウイルス感染をきっかけに病状が悪化し、集中治療室での治療や約1か月の入院を経験。その後は酸素吸入を続けながら仕事や社会活動に向き合っていました。2025年3月12日には、チームむかごとビッグイシュー基金から訃報が公表されています。
【病名を特定】枝元なほみさんが患った特発性間質性肺炎とは?

枝元なほみさんの病気について、本人の証言を含む重要な資料が、2025年2月18日公開の「クロワッサンオンライン」のインタビュー記事です。
同記事では、枝元さんが2019年に難病の特発性間質性肺炎と診断されたことが紹介されています。診断当初は症状がほとんどなく、医師から薬も酸素吸入も必要ないと説明されていたと本人が振り返っています。
一方、2023年11月の「女性セブン」のインタビューでは、病気が進行し、酸素ボンベを手放せない生活になっていたことを明かしていました。
つまり、診断直後から常に重篤な状態だったわけではありません。数年にわたって病気と付き合うなかで、呼吸機能や日常生活に大きな影響が及ぶようになったのです。
ここで押さえておきたいのは、本人の診断名として報じられた「特発性間質性肺炎」と、逝去時の公式発表に記載された「間質性肺炎」という表記の違いです。
クロワッサンの本人取材記事は特発性間質性肺炎と伝えています。一方、2025年3月12日のビッグイシュー基金の訃報は、間質性肺炎のため入院先の病院で亡くなったと発表しました。両者は矛盾する情報ではなく、診断時の病名と逝去時に公表された死因の表現として整理できます。
なお、特発性肺線維症(IPF)などの具体的な病型まで、枝元さんの診断内容が公表されたわけではありません。
【病気の基礎知識】間質性肺炎は一般的な肺炎と何が違う?
間質性肺炎という名前から、一般的な細菌やウイルスによる肺炎をイメージする人もいる可能性があります。しかし、両者は病気の仕組みが異なります。
日本呼吸器学会によると、間質性肺炎は肺胞の壁に炎症や損傷が生じ、壁が厚く硬くなることで酸素を取り込みにくくなる病気です。
肺胞は、呼吸によって取り込んだ酸素を血液に受け渡す場所です。その壁に線維化などの変化が起きると、十分な酸素を取り込むことが難しくなり、息切れや乾いた咳などが現れます。
「特発性」という言葉の意味
特発性とは、発症の原因を特定できないという意味です。特発性間質性肺炎は、原因が明らかでない間質性肺炎の総称で、医学的には9つの疾患に分類されています。
そのため、特発性間質性肺炎と診断された人が全員、同じ病状や進行速度をたどるわけではありません。特発性肺線維症と、それ以外の病型でも治療方針や経過は異なります。
主な症状と治療について
日本呼吸器学会が紹介する代表的な症状には、次のようなものがあります。
- 階段や坂道を上る際の息切れ
- 痰を伴わない乾いた咳
- 病状の進行による呼吸困難
- 急激に呼吸状態が悪化する急性増悪
治療についても、すべての間質性肺炎に共通する単一の方法があるわけではありません。病型や進行状況に応じて、抗線維化薬、ステロイド薬、免疫抑制薬などが検討されます。呼吸不全が進行した場合には酸素吸入も必要になります。
また、日本呼吸器学会は、風邪やインフルエンザ、新型コロナウイルスなどの感染症が急性増悪のきっかけになる場合があると説明しています。
この医学的背景は、枝元さんが2023年に経験した新型コロナ感染後の病状悪化を理解するうえでも重要です。
【時系列まとめ】2019年の診断から2025年2月27日の逝去まで
枝元なほみさんの病気療養の経緯を、本人のインタビュー、報道、所属団体の発表をもとに整理しました。
| 時期 | 出来事 | 確認できる内容 |
|---|---|---|
| 2019年 | 間質性肺炎と診断 | 本人取材記事で特発性間質性肺炎と説明 |
| 2020年 | 社会活動を展開 | 夜のパン屋さんや大人食堂などの活動に取り組む |
| 2023年1月 | 新型コロナに感染 | 病状が悪化し、集中治療室で治療を受ける |
| 2023年 | 酸素吸入を伴う生活 | 約1か月の入院後、酸素ボンベを使用しながらテレビ出演 |
| 2024年8月 | クロワッサンの取材 | 料理や日常生活の工夫、病気との向き合い方を語る |
| 2025年2月16日 | 公式Xで近況を発信 | 体調が厳しい状態であることを伝える |
| 2025年2月27日 | 逝去 | 69歳。間質性肺炎のため入院先の病院で永眠 |
| 2025年3月12日 | 訃報を公表 | チームむかごとビッグイシュー基金が発表 |
この年表から分かるのは、診断から逝去まで約6年間、病気と向き合っていたということです。
特に重要なのが、2023年の新型コロナ感染です。長期間にわたる療養のなかでも、呼吸状態が大きく変化した転機として本人のインタビューに記録されています。
また、病気の診断後も、枝元さんは料理研究家としての活動だけでなく、食事支援や食品ロス削減などの社会活動を続けていました。病気と仕事を切り離すのではなく、その時々の体調に合わせて活動の形を変えていったことが分かります。
【2023年の転機】新型コロナ感染で悪化した病状と酸素吸入の生活
枝元さんの闘病生活を語るうえで、2023年の新型コロナ感染は外せない出来事です。
2023年11月25日に公開された「女性セブン」のインタビューで、枝元さんは同年1月に新型コロナウイルスに感染したことを明かしています。
当初は自宅で休んでいましたが、体調が悪化。姪に連絡したところ病院へ連れて行ってもらい、受診後は翌日から集中治療室に入りました。その後、入院期間は約1か月に及んだと報じられています。
同インタビューでは、新型コロナ感染によって間質性肺炎も悪化したこと、入院後に少しずつ体調が落ち着いてきたことを本人が説明していました。
酸素ボンベを使いながら仕事を続けた理由
退院後も枝元さんの日常生活には酸素吸入が必要でした。呼吸を補助する酸素ボンベを使用しながら、仕事に復帰する方法を模索していきます。
特に大きな変化だったのが、料理の方法です。酸素チューブを使用する生活では、愛用していたガスコンロでの調理が難しくなり、IHクッキングヒーターを導入しました。
それでも、料理研究家としてテレビに出演することを諦めませんでした。
女性セブンの取材では、酸素ボンベをつけたままテレビ出演するよう勧められたことが紹介されています。病気を隠すのではなく、同じように酸素吸入を必要とする人たちに、自分が働く姿を見てもらいたいという思いがあったのです。
「それを多くの人に見てもらうのが、私の使命だって……」
酸素ボンベを使用しながら出演した番組では、IHクッキングヒーターを使って料理を披露。放送後には、同じような病気を抱える家族が励まされたという声も届いたといいます。
このエピソードは、枝元さんが病気によって料理を諦めたのではなく、体調に合わせて料理の方法そのものを変えていたことを示しています。
料理がリハビリになった日常生活
2024年11月公開のハルメクのインタビューでは、酸素チューブをつけながら生活する姿や、体調に合わせた料理の工夫が紹介されました。
重い調理器具を軽いものに変更したり、体調の良いときにまとめて調理したりするなど、無理なく食事を作るための工夫を取り入れていたそうです。
本人は、自分のご飯を自分で作ることがリハビリになっていると話していました。
以前と同じように動けなくなったとしても、できる範囲で生活を続ける。その姿勢は、病気を抱える人だけでなく、日常生活に不自由を感じる多くの人に伝わるものでした。
【最後のインタビューと発信】逝去前に残された本人の言葉
枝元なほみさんの晩年を知るうえで、特に重要な資料が2025年2月18日に公開された「クロワッサンオンライン」のインタビューです。
ただし、記事の公開日と取材日は異なります。実際の撮影・取材は2024年8月に行われたもので、逝去の9日前に公開された記事です。
このインタビューでは、病気になってからの暮らしや、料理との向き合い方、周囲の人たちとの関係について本人が語っています。
病気を抱えながらも食べることを大切にした
取材時の枝元さんは、調理の負担を減らすため、軽いまな板や小さな鍋を使用していました。包丁を使わずに済む調理方法や、電子レンジを活用した料理も取り入れていたといいます。
体調が悪いときには、無理をせず、できる範囲で食事を作る。その一方で、食べたいものを食べる楽しさは失わないようにしていました。
「食べることは生きることだから」
この言葉には、料理を単なる仕事や家事としてではなく、生きる力につながるものとして考えていた枝元さんの思いが表れています。
人に頼ることも受け入れるようになった
同じインタビューでは、以前は何でも自分で進めることが好きだったものの、病気を経験してからは周囲に助けてもらうことも自然に受け入れられるようになったと話しています。
できることとできないことが人によって違うのは当たり前。助けたり助けられたりする関係が普通なのだと気づいたという内容でした。
これは、枝元さんが取り組んできた食事支援や貧困問題への活動ともつながる考え方です。
2025年2月16日の最後の公開発信
ねとらぼの2025年3月12日付の記事によると、枝元さんは逝去前の2月16日に自身の公式Xで体調について発信していました。
その投稿では、現在の状態が厳しく、これからどこまで回復できるのか分からないという心境を伝えています。同時に、周囲から寄せられる応援や愛情への感謝もつづっていました。
この投稿は、報道上、生前最後の発信として紹介されています。
ここで区別したいのは、最後の公開発信と最後のインタビューは同じではないという点です。クロワッサンの記事は逝去直前に公開されましたが、実際の取材は2024年8月です。一方、2月16日のX投稿は本人が残した最後の公開メッセージとして報じられています。
2025年2月18日の記事公開後、わずか9日で訃報が伝えられたこともあり、インタビューに残された言葉は、現在も枝元さんの晩年を知る重要な記録となっています。
【死因の真相】2025年2月27日の逝去とチームむかごの公式発表
枝元なほみさんが亡くなったのは、2025年2月27日です。享年69歳でした。
訃報が公表されたのは同年3月12日。本人が代表を務めていたチームむかごのスタッフ一同が、公式SNSを通じて発表しました。
発表では、以前から病気療養を続けていたこと、2月27日に69歳で逝去したことが報告されています。また、本人と遺族の意向により、通夜と葬儀は近親者のみで執り行われたと説明されました。
ビッグイシュー基金も死因を公表
同じ3月12日、枝元さんが共同代表を務めていた認定NPO法人ビッグイシュー基金も訃報を掲載しました。
公式発表には、次の内容が記されています。
「2025年2月27日に間質性肺炎のため、入院先の病院にて永眠いたしました。」
この発表によって、逝去の年月日と公表された死因が明確になりました。
したがって、枝元なほみさんの死因として公表されているのは間質性肺炎です。2023年の新型コロナ感染後に病状が悪化したことは本人のインタビューなどで確認できますが、新型コロナウイルス感染そのものが直接の死因だったとする公式発表はありません。
また、亡くなる直前の詳しい病状や医療処置、具体的な容体の変化については、詳細な発表は行われていません。
ビッグイシュー基金が発信した追悼の言葉
ビッグイシュー基金は、枝元さんが2005年から「ビッグイシュー日本版」で料理や人生相談に関する連載を続けてきたことを振り返っています。
2007年の基金設立後は理事として活動し、2019年には共同代表に就任。食品ロス削減や生活困窮者支援など、料理の枠を超えた活動を牽引してきました。
基金は、枝元さんが立ち上げた夜のパン屋さんなどの事業を今後も継続していくと発表しています。
2025年6月発売の「ビッグイシュー日本版」504号でも、枝元さんを偲ぶ特集が組まれました。2026年現在、本人はすでに逝去していますが、その活動や考え方は、関係団体の記録や事業を通じて受け継がれています。
【プロの結論】枝元なほみさんの病気をめぐる3つの誤解
枝元なほみさんの病気について調べると、病名、コロナ感染、酸素吸入、死因が一緒に語られることが多くあります。しかし、それぞれを区別すると、経緯がより正確に理解できます。
誤解1:特発性間質性肺炎はすべて特発性肺線維症と同じ
これは正確ではありません。特発性間質性肺炎は複数の病型を含む総称です。特発性肺線維症はそのうちの一つであり、同じ診断名として扱うことはできません。
枝元さんについても、報道で確認できるのは特発性間質性肺炎という診断名です。具体的な病型まで特定して語ることはできません。
誤解2:新型コロナ感染が直接の死因だった
2023年の感染によって病状が悪化したことは、本人の証言を掲載した報道で確認できます。しかし、2025年の逝去についてビッグイシュー基金が公表した死因は間質性肺炎です。
感染後の悪化と、最終的な死因を同一視するのは正確ではありません。
誤解3:酸素吸入を始めた時点で仕事を辞めていた
実際には、酸素ボンベを使用しながらテレビ出演し、IHを使って料理を披露していました。体調に応じて調理方法を変え、できる範囲で仕事を続けていたことが本人のインタビューに記録されています。
枝元さんの闘病生活から読み取れるのは、病気によって従来の生活が変化しても、その状況に合わせて自分にできることを見つけていく姿勢です。
また、間質性肺炎には病型ごとの治療法や経過の違いがあります。「治療法がない」「診断されたら余命が決まる」といった一律の理解も適切ではありません。日本呼吸器学会が示す最新の解説でも、病型に応じた治療や酸素療法について説明されています。
枝元なほみさんの病気に関するよくある質問(FAQ)
Q1:枝元なほみさんの病気は何だったのでしょうか?
A1:2019年に診断された特発性間質性肺炎です。肺胞の壁が炎症や線維化によって硬くなり、酸素を取り込みにくくなる病気です。
Q2:枝元なほみさんの死因は何ですか?
A2:2025年2月27日、69歳で亡くなりました。ビッグイシュー基金の公式発表では、死因は間質性肺炎とされています。
Q3:2023年の新型コロナ感染で病状は悪化したのですか?
A3:はい。本人のインタビューを掲載した2023年の報道では、新型コロナ感染後に間質性肺炎が悪化し、集中治療室での治療と約1か月の入院を経験したと紹介されています。
Q4:枝元なほみさんは酸素吸入をしながら仕事をしていたのですか?
A4:はい。酸素ボンベを使用しながらテレビ出演し、IHクッキングヒーターを使って料理を披露していました。
Q5:枝元なほみさんの最後のインタビューはいつですか?
A5:逝去前に公開された重要な本人取材記事として、2025年2月18日のクロワッサンオンラインの記事があります。ただし、実際の取材は2024年8月です。最後の公開発信としては、2025年2月16日の公式X投稿が報道されています。
Q6:2026年現在、枝元なほみさんの活動はどうなっていますか?
A6:枝元さん本人は2025年2月27日に逝去しています。ビッグイシュー基金は、本人が立ち上げた夜のパン屋さんなどの事業を継続する方針を発表しています。
まとめ:枝元なほみさんが残した料理と生き方、そして社会への思い
枝元なほみさんは、2019年に特発性間質性肺炎と診断され、約6年間にわたって病気と向き合いました。2023年の新型コロナ感染による病状悪化、集中治療室への入室、酸素吸入を伴う生活など、闘病の過程には大きな変化がありました。
それでも、酸素ボンベを使用しながらテレビ出演を続け、体調に合わせた料理を考え、食べることの大切さを伝え続けました。
2025年2月27日、69歳で逝去。ビッグイシュー基金が公表した死因は間質性肺炎でした。
2026年現在、枝元さん本人の新たな活動を見ることはできません。しかし、夜のパン屋さんや食事支援、料理を通じて人と人をつなぐ取り組みは、彼女が残した大切な仕事です。
枝元なほみさんの歩みを振り返ると、料理は単に食事を作る技術ではなく、人を支え、社会とつながる手段でもあったことが分かります。病気と向き合いながら最後まで伝え続けたその思いは、今も多くの人に受け継がれています。
主な確認資料
- クロワッサンオンライン:2025年2月18日掲載の本人インタビュー
- 女性セブン:2023年11月25日掲載の闘病インタビュー
- ハルメク:2024年11月26日掲載の本人インタビュー
- ビッグイシュー基金:2025年3月12日付の公式訃報
- 日本呼吸器学会:特発性間質性肺炎の解説(2026年8月更新)
- ビッグイシューオンライン:2025年3月19日付の追悼記事