尾崎将司さんの病名は、S状結腸がん(ステージ4)です。
この事実は、2025年12月24日に日本プロゴルフ協会(PGA)と日本ゴルフツアー機構(JGTO)が公表した訃報でも確認できます。
S状結腸とは、大腸のうち下行結腸と直腸をつなぐ、骨盤内にあるS字状の部分です。ここに発生したがんがS状結腸がんに当たります。
ステージ4はどのような状態なのか
大腸がんのステージは、がんの深さ、リンパ節への転移、ほかの臓器への遠隔転移などを調べて判定します。
国立がん研究センターのがん情報サービスによると、ステージ4は遠隔転移が認められる段階です。
つまり、がんが発生した大腸だけでなく、離れた臓器などにも広がっている状態を意味します。
ただし、尾崎さんについて、転移した具体的な臓器や範囲を示す詳細な医学情報は公表されていません。
ステージ4という診断だけで、個別の病状や治療の可能性を一律に判断することはできません。実際、大腸がんのステージ4でも、転移巣を切除できるかどうかや患者の全身状態によって治療方針は異なります。
病気が判明するまでに現れていた症状
2026年2月3日に開催された日本ゴルフジャーナリスト協会(JGJA)の表彰式で、長男の智春さんが父親の病気発覚当時を振り返りました。
当時、尾崎さんは食事をするとお腹が張るなどの不調を訴えていたといいます。
智春さんが病院での検査を勧め、診断を受けた結果、S状結腸がんステージ4であることが判明しました。
食通としても知られていた尾崎さんにとって、食事の際の違和感は日常生活にも関わる変化だったと考えられます。
なお、食後のお腹の張りは大腸がんだけに特有の症状ではありません。一般的な消化器症状から重大な病気が判明する場合もあるため、症状だけで病名を判断することはできません。
【発覚から逝去まで】ジャンボ尾崎の闘病生活を時系列で整理

尾崎さんの闘病生活は、2024年9月の診断から2025年12月23日の逝去まで続きました。
当初は抗がん剤治療によってがんが小さくなる時期もありましたが、副作用との闘いも長く続いていました。
2026年2月に長男が明かした証言と、同年4月に掲載された詳細な取材記事をもとに、主な出来事を整理します。
ジャンボ尾崎の病気・闘病に関する年表
余命3か月の宣告を受けても治療を選んだ理由
2024年9月、診断を受けた尾崎さんに対し、医師は治療を行わなかった場合の余命について説明しました。
長男の智春さんによると、その際に伝えられたのが「何もしなければ余命3か月」という見通しでした。
当初、尾崎さんは積極的な治療を望んでいなかったといいます。
一方、医師から抗がん剤治療によって病状が改善する可能性を説明され、家族からも治療を勧められました。
最終的に尾崎さんは治療を受ける決断をし、2024年10月から抗がん剤治療を開始しました。
この決断には、残された可能性にかけてみようという本人と家族の思いがあったとみられます。
抗がん剤治療でがんは縮小したが、副作用が深刻に
治療開始後、抗がん剤が効果を示し、がんが一時的に小さくなったことも長男の証言で明らかになっています。
しかし、治療は決して楽なものではありませんでした。
智春さんが明かした副作用は、主に次のようなものです。
- 味覚が失われ、食べ物の味を感じにくくなる
- 手足にしびれが生じる
- 皮膚の乾燥やかゆみが現れる
- 食事を十分に楽しめなくなる
特に深刻だったのが味覚の変化でした。
尾崎さんは以前から食へのこだわりが強く、うなぎやフカヒレなどを好んでいたとされています。
ところが、抗がん剤治療中は甘いもの以外の味を感じにくくなり、食事の大部分が果物になっていたそうです。
日本ゴルフジャーナリスト協会の会長でもある小川朗氏が取材した記事では、千葉市内の自宅で療養しながら、新宿の病院へ2週間に1回通院していたことも明かされています。
治療のための通院と自宅での生活を両立する日々が続いていました。
【自宅療養と治療中止の真相】なぜジャンボ尾崎は抗がん剤をやめたのか
ジャンボ尾崎さんの闘病をめぐって、特に関心が集まっているのが、2025年10月に抗がん剤治療をやめた理由です。
長男の説明からは、単に治療を拒否したという話ではなく、薬の効果と副作用、本人の意思が重なった決断だったことが分かります。
2025年10月、抗がん剤の効果が弱まる
2025年10月ごろ、医師から抗がん剤の効果が弱まり、がんが再び大きくなっていると説明されました。
それまで使用していた薬剤による治療を続けることが難しくなり、医師からは別の抗がん剤への変更が提案されました。
しかし、尾崎さんは新しい薬剤による治療を希望しませんでした。
その背景にあったのは、これまでの治療で経験してきた強い副作用です。
長男の智春さんが2026年2月の表彰式で説明したところによると、本人は副作用のつらさを理由に、これ以上の抗がん剤治療を受けない意思を示したといいます。
つまり、治療をやめた理由には次の2つの要素がありました。
1. それまでの抗がん剤が効きにくくなり、がんが再び大きくなっていたこと。
2. 新しい抗がん剤に変更しても、副作用を伴う治療を続けることを本人が望まなかったこと。
治療をやめた後、11月には一時的に体調が改善
抗がん剤治療を中止した後、尾崎さんには意外な変化が現れました。
それまで苦しんでいた副作用が軽くなり、2025年11月ごろには体調が改善したと長男が説明しています。
ゴルフアカデミーの生徒たちの練習をカートに乗って見守ることもあったそうです。
この時期は、本人にとっても家族にとっても、穏やかな時間を過ごせた期間だったの可能性があります。
ただし、抗がん剤の副作用がなくなったことと、がんそのものが改善したことは別の問題です。
長男の証言によれば、がんはその間も進行していました。
治療中止は医療そのものをやめたという意味ではない
ここで誤解してはいけないのが、抗がん剤治療の中止と、すべての医療の終了は同じではないという点です。
JGJAの2026年2月の報告では、尾崎さんは晩年に緩和ケアを受けていたことも明らかになっています。
緩和ケアは、がんに伴う痛みや身体的・精神的な苦痛を和らげ、生活の質を支える医療です。
国立がん研究センターも、緩和ケアは終末期だけに限らず、がんと診断された段階から受けられるものと説明しています。
尾崎さんの場合も、抗がん剤によるがんへの治療をやめた後、苦痛を和らげるためのケアが行われていました。
本人が残された時間をどのように過ごすかを重視した選択だったと受け止められます。
【死因と最期】2025年12月23日に78歳で逝去
尾崎将司さんは、2025年12月23日午後3時21分、S状結腸がんのため78歳で亡くなりました。
訃報が公表されたのは翌24日です。
長男の尾崎智春さんが発表し、日本プロゴルフ協会、日本ゴルフツアー機構、日本ゴルフ協会などが相次いで追悼の意を表しました。
最期は自宅で家族や関係者に見守られて
JGTOの公式発表によると、尾崎さんは約1年前に病気が判明してから、本人の強い意志によって自宅療養を続けていました。
2026年2月に長男が語った内容では、12月に入ってから体調が急激に悪化し、亡くなる前には緩和ケアによる薬剤の投与も行われていたといいます。
亡くなる2日前の12月21日には、弟の尾崎健夫さん、尾崎直道さん、プロゴルファーの飯合肇さんらが自宅を訪問しました。
このとき、尾崎さんはほとんど話すことができず、目を開けて話を聞いている状態だったと智春さんは振り返っています。
また、長男の証言によると、父親と最後に交わした言葉は次のものでした。
「もう少しだから大丈夫」
その言葉が何を意味していたのかについて、智春さん自身も分からないと語っています。
日本プロゴルフ協会が発表した訃報
2025年12月24日、日本プロゴルフ協会は公式サイトで尾崎さんの訃報を発表しました。
同協会は、尾崎さんが日本のゴルフブームを牽引した功績を紹介し、長年にわたる活躍を称えています。
日本プロゴルフ協会の発表では、尾崎さんの主な記録として以下が紹介されました。
- 国内レギュラーツアー94勝
- 賞金王12回
- 2010年に世界ゴルフ殿堂入り
- 2002年に55歳でレギュラーツアー優勝
特に、40歳を過ぎてから賞金王を9回獲得したことは、長期にわたってトップレベルを維持した尾崎さんの競技人生を象徴する記録です。
PGAの明神正嗣会長は、尾崎さんの逝去について、ゴルフ界だけでなくプロスポーツ界にとっても大きな喪失であるとの追悼コメントを発表しました。
【2026年最新情報】ジャンボ尾崎のお別れの会と長男が明かした晩年
2026年10月現在、尾崎さんはすでに逝去しています。
その後、長男の智春さんによる闘病生活の詳細な説明や、ゴルフ関係者による追悼行事が行われました。
特に注目されたのが、2026年2月と4月に公表された長男の証言です。
2026年2月3日、日本ゴルフジャーナリスト協会が特別賞を贈呈
2026年2月3日、日本ゴルフジャーナリスト協会(JGJA)は尾崎さんに特別賞を贈呈しました。
長男の智春さんが代理で表彰盾を受け取り、その場で父親の闘病生活について説明しました。
この説明によって、それまで公表されていなかった具体的な経緯が明らかになりました。
- 2024年9月にステージ4と診断されたこと
- 何もしなければ余命3か月と告げられたこと
- 抗がん剤治療によって一時的にがんが縮小したこと
- 副作用で味覚や身体の状態に影響が出たこと
- 2025年10月に治療をやめたこと
- 最後まで自宅で過ごす意思を持っていたこと
また、闘病中の楽しみの一つが、大谷翔平選手の出場するメジャーリーグの試合を見ることだったとも語られました。
ゴルフ界の第一人者として知られる尾崎さんが、晩年には野球中継を楽しみにしていたというエピソードは、競技者としての顔とは違う一面を伝えています。
2026年3月16日、帝国ホテル東京でお別れの会
尾崎さんのお別れの会は、2026年3月16日に東京都内の帝国ホテル東京で開催されました。
発起人代表を務めたのは、長年のライバルだった青木功さんです。
日本プロゴルフ協会、日本ゴルフツアー機構、ジャパンゴルフツアー選手会が合同で開催しました。
日本ゴルフ協会の報告によると、関係者と一般献花者を合わせて約2,000人が参列しました。
祭壇には、富士山とゴルフ場をモチーフにした装花が飾られ、尾崎さんが獲得した優勝杯や愛用のクラブ、キャディバッグなども展示されました。
長年のライバルだった青木功さんが弔辞を読み、海外からもジャック・ニクラウスさんやトム・ワトソンさんらが追悼の言葉を寄せています。
2026年4月30日、長男が闘病の詳細をさらに公表
2026年4月30日には、ゴルフ専門メディア「ゴルフグローバル」に長男の智春さんの証言を詳しくまとめた記事が掲載されました。
ここでは、抗がん剤の副作用で食事が難しくなっていたことや、治療をやめた後に一時的に体調が改善したことなどが改めて紹介されました。
また、尾崎さんが生前、徳島に自身の墓を建てていたことも明らかになっています。
墓には、本名や戸籍上の名前ではなく、広く知られた「ジャンボ尾崎」という名前を刻むことを希望していたそうです。
これは、競技者としての名前を何より大切にしてきた尾崎さんらしいエピソードです。
【人物像と功績】闘病中も忘れなかったジャンボ尾崎のゴルフへの情熱
尾崎さんの病気と最期を理解するうえで、プロゴルファーとしての歩みも欠かせません。
1947年1月24日、徳島県生まれ。
徳島海南高校時代には野球部のエースとして活躍し、春の選抜大会で優勝を経験しました。その後、西鉄ライオンズに投手として入団します。
プロ野球選手からプロゴルファーへの転身という異色の経歴を持ち、1970年にプロ入りしました。
ジャンボ尾崎の主な経歴
- 1970年:プロゴルファーとして活動開始
- 1971年:日本プロゴルフ選手権で初優勝
- 1970~1990年代:国内男子ゴルフ界を代表する選手として活躍
- 2002年:55歳でレギュラーツアー優勝
- 2010年:世界ゴルフ殿堂入り
- 晩年:ジャンボ尾崎ゴルフアカデミーを通じて若手選手を育成
国内レギュラーツアー94勝、賞金王12回という実績は、日本男子ゴルフ界に残る大きな記録です。
後進の育成にも力を注いだ
尾崎さんは現役時代の実績だけでなく、若い選手の育成でも大きな存在感を示しました。
ジャンボ尾崎ゴルフアカデミーでは、女子プロゴルファーを含む多くの選手を指導しています。
日本プロゴルフ協会の訃報では、原英莉花さん、笹生優花さん、西郷真央さんらが門下生として紹介されました。
2026年2月のJGJAの報告では、長男の智春さんがアカデミーの継続に向けて努力する考えも示しています。
尾崎さんが残したものは、優勝回数や賞金記録だけではありません。次の世代にゴルフの技術や考え方を伝えたことも、大きな功績の一つです。
【プロの結論】ジャンボ尾崎の病気をめぐる情報で誤解してはいけない4つのポイント
今回の闘病報道では、病名、余命宣告、治療中止、自宅療養という言葉が注目されました。
ただし、それぞれの意味を正確に理解することが大切です。
1. 余命3か月は確定した死亡日ではない
余命3か月という言葉は、2024年9月の診断時に、治療をしなかった場合の見通しとして医師から説明されたものです。
尾崎さんが実際に亡くなったのは約1年3か月後の2025年12月23日でした。
この経過は、余命宣告が必ずしも実際の生存期間を正確に予測するものではないことを示しています。
2. ステージ4でも治療方針は患者によって異なる
大腸がんのステージ4では、遠隔転移の状態や切除可能性、体力、がんの性質などによって治療方法が変わります。
尾崎さんの治療内容を、ほかの患者にもそのまま当てはめることはできません。
3. 抗がん剤の中止は、医療を全面的に拒否したことではない
尾崎さんは抗がん剤の副作用と効果を考慮して治療中止を選択しました。
一方で、その後は緩和ケアを受けていました。
がんを小さくすることだけを目的とした治療と、苦痛を軽減するための医療は区別して考える必要があります。
4. 自宅療養は治療を受けていなかったという意味ではない
尾崎さんは自宅を生活の拠点にしながら、病院への通院や抗がん剤治療を続けていました。
自宅療養という言葉だけから、医療との関わりがなかったと判断するのは正確ではありません。
今回の報道から読み取れるのは、本人の意思を尊重しながら、治療と生活のバランスを模索した闘病生活だったということです。
【ジャンボ尾崎の病気】に関するよくある質問(FAQ)
Q1:ジャンボ尾崎さんの病気は何だったのですか?
S状結腸がんステージ4です。2025年12月24日に日本プロゴルフ協会などが公表した訃報でも、死因はS状結腸がんと発表されています。
Q2:ジャンボ尾崎さんの病気が発覚したのはいつですか?
2024年9月です。食後のお腹の張りなどの不調をきっかけに病院で検査を受け、ステージ4と診断されました。
Q3:ジャンボ尾崎さんは余命3か月と宣告されたのですか?
はい。長男の智春さんによると、医師から「何もしなければ余命3か月」と説明されました。抗がん剤治療を開始し、その後も約1年間闘病を続けました。
Q4:なぜ抗がん剤治療をやめたのですか?
2025年10月ごろ、それまでの抗がん剤が効きにくくなり、別の薬剤への変更を勧められました。しかし、副作用のつらさから本人が新たな抗がん剤治療を希望しませんでした。
Q5:ジャンボ尾崎さんはどこで亡くなったのですか?
本人の強い意志によって自宅療養を続けており、2025年12月23日に自宅で亡くなりました。享年78歳です。
Q6:2026年現在、ジャンボ尾崎さんの最新情報はありますか?
2026年2月に長男の智春さんが闘病生活の詳細を公表し、3月16日には帝国ホテル東京でお別れの会が開催されました。4月30日にも長男の証言をまとめた記事が掲載されています。
まとめ:ジャンボ尾崎が残した功績と約1年3か月の闘病生活
ジャンボ尾崎こと尾崎将司さんは、2024年9月にS状結腸がんステージ4と診断されました。
何もしなければ余命3か月という厳しい説明を受けながらも、抗がん剤治療に挑戦。一時的にがんが縮小したものの、副作用による味覚障害や身体の不調に苦しみました。
2025年10月には治療の中止を決断し、自宅で緩和ケアを受けながら過ごしました。そして同年12月23日、78歳で逝去しました。
2026年には長男の智春さんが闘病の詳細を明かし、3月のお別れの会には約2,000人が参列しました。
ジャンボ尾崎さんの生涯は、国内ツアー94勝という記録だけでは語り尽くせません。
豪快なプレーでゴルフ界を盛り上げ、晩年まで若手選手の育成に情熱を注いだこと。そして、最後まで自分らしい生活を大切にしようとした姿も、多くの人の記憶に残るでしょう。
2026年以降も、ジャンボ尾崎ゴルフアカデミーの活動や、彼から指導を受けた選手たちの活躍を通じて、その功績は受け継がれていきます。
主な参考資料:日本プロゴルフ協会(2025年12月24日)、日本ゴルフツアー機構(2025年12月24日・2026年2月4日)、日本ゴルフジャーナリスト協会(2026年2月4日)、ゴルフ報知(2026年2月3日)、ゴルフのニュース(2026年2月4日)、ゴルフグローバル(2026年4月30日)、国立がん研究センター「がん情報サービス」。