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尾上右近の父親は誰?七代目清元延寿太夫の経歴と2018年襲名、華麗な家系を徹底解説

白木 奈緒 白木 奈緒 • 更新: • 公開: • 読了約 19 分
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歌舞伎俳優として活躍する尾上右近の父親は、清元宗家の七代目清元延寿太夫(きよもと・えんじゅだゆう)です。父親は歌舞伎俳優ではなく、歌舞伎の伴奏音楽として知られる清元節の演奏家であり、宗家を率いる家元でもあります。尾上右近自身も2018年に七代目清元栄寿太夫を襲名しており、現在は歌舞伎俳優と清元の太夫という二つの芸道を歩んでいます。

加えて、尾上右近の家系には、母方の祖父である昭和の映画スター・鶴田浩二、父方の曽祖父にあたる六代目尾上菊五郎という著名な人物がいます。父親の経歴をたどると、単に有名な家系に生まれたというだけではなく、歌舞伎と清元という異なる伝統芸能を次世代につなぐ家族の歩みが見えてきます。

【結論】尾上右近の父親は七代目清元延寿太夫!歌舞伎俳優ではなく清元の家元

尾上右近父

尾上右近の父親は、七代目清元延寿太夫です。本名は岡村菁太郎(おかむら・せいたろう)。1958年8月12日に東京・高輪で生まれ、現在は清元宗家の家元として活動しています。

清元延寿太夫は、歌舞伎の舞台で役者が演じる際に欠かせない音楽芸能「清元節」の浄瑠璃方です。歌舞伎俳優として舞台に立つ尾上右近とは、同じ伝統芸能の世界に身を置きながら、専門とする芸が異なります。

ただし、父親が歌舞伎と無縁だったわけではありません。2023年のTime Out Tokyoのインタビューで、右近は父について、20歳を過ぎる頃まで歌舞伎の舞台に立ち、その後も俳優業に関わりながら、30歳になる前後から清元の修業に本格的に取り組んだと説明しています。

つまり、父親も若い頃は歌舞伎の舞台を経験しており、その後、清元の道を本格的に選んだ人物です。現在の肩書だけを見ると歌舞伎俳優との接点が薄いように感じられますが、実際には歌舞伎の現場を理解したうえで清元宗家を継いでいます。

清元公式サイトの歴史紹介によると、七代目延寿太夫は六代目清元延寿太夫の長男であり、母親は六代目尾上菊五郎の次女・多喜子です。尾上右近にとって、六代目尾上菊五郎が曽祖父にあたる理由も、この父方の家系にあります。

歌舞伎俳優名鑑や尾上右近の公式プロフィールでも、父が清元延寿太夫であることが紹介されています。

【父親の経歴】七代目清元延寿太夫はどんな人物?1989年の襲名まで

七代目清元延寿太夫は、清元節の歴史を受け継ぐ家系に生まれ、幼少期から舞台経験を積んできた演奏家です。現在の宗家家元に至るまでには、段階的な名跡の襲名と芸の修業がありました。

1958年に生まれ、4歳で舞台を経験

七代目清元延寿太夫は1958年8月12日、東京都高輪で誕生しました。本名は岡村菁太郎です。

父は六代目清元延寿太夫、母は六代目尾上菊五郎の次女・多喜子。清元と歌舞伎という二つの伝統芸能に深い縁を持つ家庭で育ちました。

清元公式サイトの歴代家元紹介によれば、4歳で「延寿會」の舞台を踏んでいます。1981年3月には清元菁太郎として本格的にデビューし、同年には六代目尾上菊五郎の三十七回忌追善興行にも出演しました。

1982年に六代目清元栄寿太夫、1989年に七代目清元延寿太夫を襲名

1982年5月、清元菁太郎は六代目清元栄寿太夫を襲名しました。その後、1989年3月に七代目清元延寿太夫を襲名し、現在につながる宗家家元の立場を継承します。

父親の芸歴で押さえておきたいのは、清元栄寿太夫から清元延寿太夫へと名跡を継いだ経歴です。この順序は、2018年に尾上右近が清元栄寿太夫を襲名した出来事を理解するうえでも重要になります。

父親の2026年現在の活動

2026年11月現在、七代目清元延寿太夫は現宗家家元として活動しています。清元公式サイトの歴代家元紹介では現宗家家元と明記され、清元協会の役員一覧でも会長として掲載されています。

また、同公式サイトでは2026年の歌舞伎公演や清元関連の演奏会、保存・伝承を目的とした催しが案内されています。2025年4月の宗家からの挨拶では、清元の真髄を受け継ぎ、次の時代へつなぐ責任と、国内外に清元の魅力を伝える取り組みについても述べられています。

こうした活動から、父親の現在の仕事は、舞台で演奏することだけにとどまらず、流儀の維持、芸の伝承、清元の普及にも及んでいることが分かります。

なお、清元公式サイトの歴史紹介には、七代目の生年、芸歴、襲名時期が掲載されています。

【清元節とは】家元の仕事内容と尾上右近の父が担う役割

尾上右近の父親について理解するには、そもそも清元節がどのような芸能なのかを知る必要があります。

清元節は、三味線の伴奏に合わせて物語を節回しで語る浄瑠璃の一流派です。江戸時代後期の1814年に初代清元延寿太夫によって創始され、歌舞伎の伴奏音楽として発展してきました。

国立劇場の「歌舞伎への誘い」では、清元節の演者は大きく二つの役割に分けられています。

  • 太夫:物語や登場人物の心情を、節回しを用いて声で語る役割。
  • 三味線方:三味線を演奏し、語りや舞踊を音楽面から支える役割。

清元の特徴は、情緒豊かな詞章を高い音域で技巧的に語ることです。歌舞伎舞踊の伴奏として演奏されるだけでなく、舞台上で演奏そのものを見せる場合もあります。

清元の家元は何をしているのか

清元の家元は、単に家名を名乗る立場ではありません。自身も演奏家として芸を磨きながら、伝統を次世代に継承する役割を担います。

具体的には、次のような仕事があります。

  • 清元の伝統的な語りや演奏技術を受け継ぐ。
  • 若手演奏家や後継者の育成を支える。
  • 公演や演奏会を通じて清元の芸を披露する。
  • 流派や演奏家の活動をまとめ、伝承の環境を整える。
  • 国内外への発信を通じて清元の認知度を高める。

七代目清元延寿太夫の場合、こうした活動に加えて、清元協会の会長としての役割もあります。

清元宗家と清元流は同じなのか

ここで注意したいのが、「清元宗家」と「清元流」の関係です。

清元公式サイトの沿革によると、清元には、清元延寿太夫を家元とする「宗家高輪会」と、清元梅吉を家元とする「清元流」という二つの流派があります。

両派は長く別々に活動していましたが、2010年に88年ぶりとなる両家元の合同演奏会が実現。2011年には清元協会が両派合同で運営される形に戻りました。

そのため、七代目清元延寿太夫は清元全体の唯一の家元という意味ではなく、宗家高輪会の家元として伝統を担う人物です。この違いを理解すると、清元の家系や組織についての混同を避けられます。

清元節の歴史と演奏者の役割については、清元公式サイトと国立劇場の解説にも記載されています。

【家系図を整理】尾上右近の父親・鶴田浩二・六代目尾上菊五郎との関係

尾上右近の家系が注目される理由は、父方と母方の双方に著名な芸能人がいることです。ただし、鶴田浩二と六代目尾上菊五郎は、右近から見た親族関係が異なります。

最初に、父方の系譜を確認すると、父親の七代目清元延寿太夫は六代目尾上菊五郎の次女・多喜子の息子です。そのため、右近にとって六代目尾上菊五郎は父方の曽祖父にあたります。

一方、母方の祖父が映画俳優の鶴田浩二です。こちらは右近の母親の父親にあたります。

尾上右近を中心にした親族・芸能関係者一覧

人物 尾上右近との関係 経歴・芸能上の役割
七代目清元延寿太夫 父親 清元宗家の家元。1989年に七代目を襲名。
清元斎寿(旧名・昂洋) 兄 清元の三味線方。2018年に初代清元斎寿を襲名。
鶴田浩二 母方の祖父 昭和を代表する映画俳優。
六代目尾上菊五郎 父方の曽祖父 歌舞伎史に名を残す名優。右近が幼少期に憧れた人物。
七代目尾上菊五郎 歌舞伎の師匠・親戚 右近を預かり、歌舞伎俳優としての修業を支えた。
二代目尾上右近 本人 歌舞伎俳優。七代目清元栄寿太夫としても活動。

この家系図で重要なのは、右近が清元の家に生まれながら、歌舞伎俳優としての道を自ら選んだことです。

右近は3歳の頃、六代目尾上菊五郎の舞踊「春興鏡獅子」を収めた小津安二郎監督の記録映画を見て、歌舞伎俳優に憧れるようになりました。

2023年のTOKYO FMのインタビューでは、その映像を見たことが人生を変えるきっかけになったと振り返っています。2026年3月放送のテレビ朝日「徹子の部屋」でも、右近は祖母の家で3歳の頃に見た曽祖父の「鏡獅子」が歌舞伎を志すきっかけだったと語っています。

母方の祖父・鶴田浩二はどんな人物?

鶴田浩二は、戦後の日本映画界で活躍した俳優です。数々の映画に出演し、昭和を代表する映画スターとして知られています。

右近にとっては母方の祖父にあたり、歌舞伎とは異なる映画・映像の世界で名を残した人物です。

2018年2月のテレビ朝日「徹子の部屋」では、七代目清元延寿太夫とその家族が出演し、鶴田浩二が右近の祖父であることも紹介されました。祖父が亡くなった際、兄の昂洋は3歳だったという家族のエピソードも番組紹介で取り上げられています。

こうして整理すると、尾上右近の家系には、歌舞伎、清元、映画という三つの芸能分野が結び付いていることが分かります。

【2018年の襲名】尾上右近が七代目清元栄寿太夫になった理由

尾上右近の芸歴における大きな転換点が、2018年の七代目清元栄寿太夫の襲名です。

右近は歌舞伎俳優として二代目尾上右近を名乗っていましたが、2018年には父親がかつて名乗っていた清元栄寿太夫という名跡を継ぎました。

父親の前名を息子が継承

2018年2月26日、歌舞伎座で六代目清元延寿太夫三十三回忌追善と七代目清元延寿太夫襲名三十周年を記念する「延寿會」が開催されました。

この舞台で、尾上右近は七代目清元栄寿太夫の襲名披露を行いました。父親が以前に名乗っていた栄寿太夫の名前を、息子が七代目として受け継いだのです。

同時に、兄の清元昂洋も初代清元斎寿を襲名しました。兄は三味線方、右近は太夫という形で、親子だけでなく兄弟も清元の異なる役割を担うことになりました。

襲名当日の親子三人の口上

日刊スポーツの2018年2月26日の報道によると、襲名披露では父親の七代目清元延寿太夫、右近、兄の初代清元斎寿が親子三人で口上を行いました。

父親にとっては、自らが継いできた清元の名前を息子に渡す大切な節目です。報道では、襲名30周年を迎えた父親が感慨深い表情を見せ、涙をぬぐう様子も伝えられました。

襲名の経緯を整理すると、次のようになります。

  • 2017年11月:「延寿會」の開催と右近・昂洋の襲名が発表される。
  • 2018年1月:尾上右近が七代目清元栄寿太夫を襲名。
  • 2018年2月26日:歌舞伎座の「延寿會」で襲名披露。
  • 同日:兄の昂洋も初代清元斎寿を襲名し、親子三人で口上を行う。

ここで間違えやすいのが、右近が襲名したのは「七代目清元延寿太夫」ではないという点です。

父親が七代目清元延寿太夫、右近が七代目清元栄寿太夫です。名前が似ていますが、別の名跡です。右近が父親の家元名そのものを襲名したわけではありません。

この違いは、尾上右近の家系や清元宗家の継承を調べる際に、特に押さえておきたいポイントです。

【父子の関係】尾上右近はなぜ歌舞伎と清元の二刀流を選んだのか

尾上右近と父親の関係を考えるうえで興味深いのは、父親が清元宗家の後継者を必要としていた一方、右近は幼い頃から歌舞伎俳優を志していたことです。

右近自身がTime Out Tokyoのインタビューで語った内容によれば、父親は伝統芸能の世界で後継者を育てる必要があるため、息子が歌舞伎俳優を目指したことに戸惑いもあったのではないかといいます。

父親は清元の後継者、息子は歌舞伎俳優を志望

右近は清元の家に生まれ、幼少期から清元に親しんでいました。しかし、歌舞伎俳優になりたいという思いは強く、3歳の頃に見た曽祖父の「鏡獅子」が大きな原体験になっています。

一方、父親は若い頃に清元の世界へ本格的に入った際、先輩たちが相次いで亡くなり、芸を教わることが難しい状況も経験しました。右近は、父親が宗家としての立場を築いていくなかで、教える側としての孤独も感じていたのではないかと振り返っています。

そのような事情もあり、当初の右近は、歌舞伎役者を選ぶのであれば清元の太夫を継ぐことは難しいと考えていました。

兄の三味線方、弟の太夫という役割分担

清元の家では、太夫、つまり語りを担当する人物が家元を継承する伝統がありました。右近の兄は三味線方として修業を重ねていたため、兄弟で役割が異なっていました。

右近は成人後、先輩たちに歌舞伎俳優と清元の太夫を両立できないか相談しました。その結果、両方の道を進むことが認められ、2018年の襲名につながりました。

2023年のTime Out Tokyoのインタビューでは、右近自身が、兄は三味線方であり、自分が太夫を継ぐことになった経緯を説明しています。

つまり、2018年の襲名は単純に父親から息子へ名前を譲った出来事ではありません。兄弟それぞれの専門性を生かしながら、清元の家業を次世代につなぐ意味も持っていました。

父子の芸はどこでつながっているのか

歌舞伎俳優と清元の太夫は、舞台上で異なる立場にいます。しかし、両者は密接に関係しています。

清元の太夫は、歌舞伎舞踊や芝居の流れを音楽で支えます。右近は俳優として演じる側の気持ちを理解しながら、清元では音楽を担当する側に立つことができます。

Time Out Tokyoのインタビューで右近は、清元の演奏者は役者が踊りや芝居をしやすくなるように支える存在だと説明しています。また、役者として舞台に立つときも、演奏家が気持ちよく演奏できるように考えると語っています。

この経験は、二つの芸を両立することによる大きな強みです。演者と演奏者の双方の立場を理解できるため、舞台全体を見渡した表現につながります。

東京海上日動のTOKYO FM番組でも、右近は清元について、自分にとって大切な家業であるという思いを語っています。

「実際に納得してもらえるかは僕の頑張り次第です。そういう意味では、清元は愛する家業ですね」

この言葉には、父親から名前を受け継いだだけではなく、演奏家として自分自身の実力で認められたいという意思が表れています。

父親が清元宗家として守ってきた伝統を、右近は歌舞伎俳優としての経験も生かしながら受け継いでいるのです。

【よくある質問】尾上右近の父親に関する疑問(FAQ)

Q1:尾上右近の父親は誰ですか?
A1:清元宗家の七代目清元延寿太夫です。1958年8月12日生まれで、1989年3月に七代目清元延寿太夫を襲名しました。歌舞伎の伴奏音楽である清元節の演奏家で、2026年現在も宗家家元として活動しています。

Q2:尾上右近の父親は歌舞伎俳優ですか?
A2:現在の専門は清元節の演奏家・家元です。ただし、若い頃には歌舞伎の舞台にも立っていました。20歳を過ぎる頃まで舞台に立ち、その後、清元の修業に本格的に取り組んでいます。

Q3:尾上右近は2018年に何を襲名しましたか?
A3:七代目清元栄寿太夫です。父親が以前に名乗っていた栄寿太夫の名跡を継ぎました。2018年2月26日には歌舞伎座の「延寿會」で襲名披露を行っています。

Q4:尾上右近の母方の祖父は鶴田浩二ですか?
A4:はい。昭和を代表する映画俳優・鶴田浩二が母方の祖父です。一方、六代目尾上菊五郎は父方の曽祖父にあたります。二人は親族関係の異なる人物です。

Q5:尾上右近の兄も芸能活動をしていますか?
A5:はい。兄は清元昂洋として活動していた人物で、2018年に初代清元斎寿を襲名しました。清元の三味線方として活動しており、弟の右近とは異なる専門分野を担っています。

Q6:尾上右近の父親は2026年現在も現役ですか?
A6:はい。2026年11月現在、七代目清元延寿太夫として宗家家元を務めています。清元公式サイトでも現宗家家元および清元協会会長として紹介され、清元の伝承や普及に関わっています。

まとめ:尾上右近の父親は清元宗家の七代目、父子で受け継ぐ二つの芸道

尾上右近の父親は、清元宗家の七代目清元延寿太夫です。1989年に七代目を襲名し、清元節の演奏家としてだけでなく、宗家家元として伝統の継承と普及を担ってきました。

右近自身は、父親と同じ歌舞伎の道を歩むのではなく、幼少期に曽祖父・六代目尾上菊五郎の「鏡獅子」に魅了されたことをきっかけに、歌舞伎俳優を志しました。その後、2018年には七代目清元栄寿太夫を襲名し、歌舞伎と清元の両方に取り組む道を選んでいます。

また、兄の初代清元斎寿が三味線方として活動していることから、親子・兄弟それぞれが異なる役割を担いながら清元の伝統を支えている点も特徴です。

尾上右近の家系を理解する際には、次の三つを区別すると分かりやすくなります。

  • 父方:七代目清元延寿太夫を中心とする清元宗家の系譜。
  • 母方:映画俳優・鶴田浩二につながる家系。
  • 歌舞伎の芸の系譜:曽祖父・六代目尾上菊五郎から七代目尾上菊五郎の指導へとつながる系譜。

2026年現在、尾上右近の活動を理解するうえで重要なのは、父親の名声や家柄だけではありません。清元の家に生まれながら自ら歌舞伎俳優を志し、さらに清元の名跡も継いだという選択そのものにあります。

父親が守ってきた清元の伝統と、右近自身が磨いてきた歌舞伎の芸。その二つを同時に次世代へつなごうとする姿勢こそ、尾上右近という芸能人の大きな特徴です。

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トレンドリサーチャー 白木 奈緒
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プロ野球・サッカー・格闘技の選手情報を担当する編集者。リーグ公式やクラブの発表、試合記録を一次情報とし、移籍や記録の数値は公式記録で確認してから掲載します。

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