蛭子能収さんは、2026年11月現在79歳です。1947年(昭和22年)10月21日生まれで、長崎県出身の漫画家・タレントとして長年にわたり活躍してきました。1973年の漫画家デビューを経て、テレビ東京の人気番組『ローカル路線バス乗り継ぎの旅』では太川陽介さんとの名コンビで親しまれました。
2020年7月には認知症であることを公表し、その後はテレビへの出演機会が減少しています。一方、2026年5月の報道では、周囲のサポートを受けながら『サンデー毎日』で連載を続けていることも明らかになりました。現在の年齢やプロフィール、漫画家としての歩み、認知症公表後の活動まで、時系列で詳しく整理します。
【2026年11月現在79歳】蛭子能収の年齢・生年月日とプロフィール

蛭子能収さんの生年月日は1947年10月21日です。2026年10月21日に79歳の誕生日を迎え、11月現在も79歳です。
年齢を調べる際には、誕生日を迎えたかどうかがポイントになります。1947年生まれという情報だけで年齢を計算すると、誕生日前後で1歳の違いが生じるため注意が必要です。
蛭子能収の基本プロフィール
| 項目 | プロフィール |
|---|---|
| 名前 | 蛭子能収(えびす よしかず) |
| 生年月日 | 1947年10月21日 |
| 2026年11月現在の年齢 | 79歳 |
| 出身地 | 長崎県 |
| 職業 | 漫画家・タレント・俳優 |
| 高校 | 長崎商業高校 |
| 漫画家デビュー | 1973年 |
| デビュー作品 | 『パチンコ』 |
| 代表的なテレビ番組 | 『ローカル路線バス乗り継ぎの旅』 |
| 認知症の公表 | 2020年7月 |
新潮社の著者プロフィールでも、1947年生まれ、長崎県出身の漫画家・タレントとして紹介されています。長崎商業高校を卒業後、地元の看板店に就職したという経歴も記載されています。
蛭子さんの魅力は、漫画家としての独創性だけではありません。テレビ番組で見せる自然体の受け答えや、飾らない人柄も広く知られています。漫画とテレビという異なる分野で長く活動してきた人物です。
【漫画家デビューは1973年】蛭子能収の若い頃と長崎から上京した経歴
蛭子能収さんの漫画家としての出発点は、1973年に発表した作品『パチンコ』です。掲載誌は、当時のアンダーグラウンド漫画文化を代表する漫画雑誌『ガロ』でした。
看板屋や営業職を経験して漫画家を目指す
長崎商業高校を卒業した蛭子さんは、地元の看板店に就職しました。その後、1970年に上京。漫画家を目指しながら、看板関係の仕事やチリ紙交換、ダスキンのセールスマンなど、さまざまな仕事を経験しています。
上京してすぐに漫画だけで生活できたわけではありません。生活のために働きながら作品を描き続け、1973年に『ガロ』で『パチンコ』が掲載されたことで漫画家としての第一歩を踏み出しました。
独特の「ヘタウマ」な作風で注目を集める
蛭子さんの漫画は、一般的な漫画作品とは異なる独特の絵柄と、不条理さを感じさせるストーリーが特徴です。整った写実的な描写とは違う、力の抜けた線や予測しにくい展開が「ヘタウマ」と評され、独自の存在感を生み出しました。
1980年には漫画家専業となり、1980年代後半からはテレビタレントとしての活動も広がります。漫画家として培った個性が、テレビでも視聴者の印象に残るキャラクターにつながっていきました。
新潮社のプロフィールには、『蛭子能収コレクション』『ひとりぼっちを笑うな』『蛭子の論語』『蛭子能収のゆるゆる人生相談』などの著書も紹介されています。漫画にとどまらず、エッセイや人生相談など幅広い表現活動を続けてきました。
【太川陽介との名コンビ】ローカル路線バス乗り継ぎの旅で人気に
蛭子能収さんの名前を漫画家としてではなく、テレビタレントとして知った人も多いでしょう。その代表的な番組が、テレビ東京の『ローカル路線バス乗り継ぎの旅』です。
2007年10月にスタートした同番組では、俳優の太川陽介さんと蛭子さんが中心となり、毎回異なる女性ゲストを迎えて旅をしました。
太川陽介と蛭子能収の対照的なキャラクター
番組の面白さを支えたのは、2人の性格や行動の違いでした。
太川陽介さんは、目的地に向けてルートや時間を考えながら行動するリーダー的な存在。一方の蛭子さんは、独自のペースで旅を楽しむ自由な存在として視聴者に親しまれました。
路線バスだけを乗り継ぎ、3泊4日で目的地を目指すというルールも番組の特徴です。決められた観光コースを巡る一般的な旅番組とは異なり、バスの接続や宿泊先を自分たちで探さなければなりません。
テレビ東京の番組紹介でも、台本や仕込みに頼らず、地図や時刻表、地元の人からの情報を頼りにゴールを目指す企画として説明されています。
2017年に初代コンビから次のシリーズへ
2007年から続いた初代シリーズは、太川さんと蛭子さんの組み合わせが大きな看板となりました。2017年春には、田中要次さんと羽田圭介さんによる新シリーズへバトンタッチしています。
その後も蛭子さんは、2019年の『太川蛭子の旅バラ』などに出演。旅番組で築いた知名度は、漫画家としての活動とはまた違う形で、幅広い世代に親しまれるきっかけになりました。
太川さんとのコンビが印象的だった理由は、単に仲が良かったからではありません。計画的に進めたい太川さんと、自由な振る舞いを見せる蛭子さんという対照的な関係が、予定調和ではない番組の面白さを生み出していたのです。
【年表で振り返る】蛭子能収の経歴と人生の転換点
蛭子さんの歩みを振り返ると、漫画家としてのデビュー、テレビタレントとしての活躍、そして認知症の公表という大きな転換点があります。
以下の年表に、主な出来事と関係する人物・活動をまとめました。
| 時期 | 出来事・活動 | 関係する人物・作品 |
|---|---|---|
| 1947年 | 10月21日生まれ。長崎県出身 | 蛭子能収 |
| 1970年 | 漫画家を目指して上京 | 看板屋・チリ紙交換などを経験 |
| 1973年 | 『ガロ』掲載の『パチンコ』で漫画家デビュー | 漫画家としての出発点 |
| 1980年 | 漫画家専業に | 「ヘタウマ」の作風で注目 |
| 1986年 | 劇団東京乾電池の公演に参加 | 舞台・俳優活動 |
| 2007年 | 『ローカル路線バス乗り継ぎの旅』開始 | 太川陽介 |
| 2017年 | 初代シリーズから次のシリーズへ交代 | 田中要次・羽田圭介 |
| 2019年 | 『太川蛭子の旅バラ』に出演 | 太川陽介 |
| 2020年7月 | 認知症であることを公表 | テレビ東京の医療番組 |
| 2021年 | 著書を出版 | 『おぼえていても、いなくても』 |
| 2023年 | 絵画の個展を開催 | 「最後の展覧会」 |
| 2026年5月 | 週刊誌連載を継続している近況が報道される | 『サンデー毎日』 |
| 2026年11月 | 79歳 | 誕生日は10月21日 |
この年表から分かるのは、蛭子さんの活動がテレビ出演だけに限定されていなかったことです。漫画、舞台、映画、エッセイ、テレビ番組と、さまざまな分野に関わってきました。
また、認知症を公表した2020年を境に、活動の形が変化しています。ただし、公表後も創作活動が完全になくなったわけではありません。2021年の出版や2023年の個展など、表現者としての活動は続いていました。
【2020年に認知症を公表】診断内容と公表後の活動の変化
蛭子能収さんが認知症であることを公表したのは、2020年7月です。テレビ東京の医療バラエティー番組『主治医が見つかる診療所』で検査を受け、その結果を番組内で明らかにしました。
認知症の兆候が見られたのは2019年ごろ
2026年5月1日付の認知症関連メディア「なかまぁる」の取材記事では、長年蛭子さんを担当してきたマネジャーの森永真志さんが、異変に気づいた経緯を説明しています。
森永さんによると、2019年ごろから自宅での物忘れが目立つようになり、ロケ先で場所が分からなくなったり、スケジュールを何度も忘れたりする様子が見られたそうです。
その後、専門病院で検査を受け、レビー小体型認知症とアルツハイマー型認知症の合併症と診断されたことが、同記事で紹介されています。
なお、認知機能の変化については、2020年の公表より前から兆候がありました。2022年に掲載されたNHK関連メディアのインタビューでは、2014年に軽度認知障害(MCI)の段階であることが分かっていた経緯も紹介されています。
なぜ認知症を公表する決断をしたのか
認知症の診断は、本人や家族にとって大きな出来事です。蛭子さんも当初はショックを受けたと、マネジャーの取材で明かされています。
一方、蛭子さんには仕事を続けたいという思いがありました。周囲の人や共演者、視聴者に状況を理解してもらうことが、活動を続けるうえで必要だと考え、番組内での公表を決めたといいます。
公表後は、仕事の進め方にも変化が生まれました。夜間や初めて訪れる場所で不安を感じることがあるため、仕事を受ける時間帯や場所を調整し、外出時には付き添いをつけるなどの対応が取られています。
つまり、認知症の公表は芸能活動をただちに終了するという意味ではなく、本人の状態に合わせて仕事の環境を整えるための選択でもあったのです。
【2026年最新の近況】蛭子能収は現在も連載を続けている?
蛭子能収さんの2026年の近況について、大きな手がかりとなるのが、2026年5月1日に公開された「なかまぁる」の取材記事です。
同記事によると、蛭子さんは認知機能の低下によって日常生活にも影響が出ている一方、周囲のサポートを受けながら仕事を続けています。
『サンデー毎日』で週1回の連載を継続
注目したいのは、テレビ出演や取材など人前に出る仕事からは遠ざかっているものの、『サンデー毎日』で週に1度、連載を書く仕事を続けているという点です。
認知症公表後、蛭子さんの姿をテレビで見かける機会は少なくなりました。しかし、テレビに出演していないことと、仕事をすべて辞めたことは同じではありません。
漫画やイラストの創作活動も続けており、症状の進行に伴って絵の描き方や作風には変化が見られると、マネジャーが説明しています。
2023年には絵画の個展も開催
2023年には、蛭子さんの作品を展示する個展「最後の展覧会」が開催されました。会場では蛭子さんが描いた絵画19点が展示され、報道によると、作品は早い段階で完売したといいます。
この展覧会には、長年の付き合いがある漫画関係者や編集者なども協力しました。創作を続けてほしいという周囲の思いが、展覧会の実現を支えた背景にあります。
太川陽介との再会も話題に
2024年5月には、太川陽介さんが自身のYouTubeチャンネルで蛭子さんとの再会を紹介しました。2人が会うのは約5年ぶりと報じられています。
再会時、蛭子さんは太川さんのことを覚えていると答えた一方、『ローカル路線バス乗り継ぎの旅』については、番組に出演していた記憶が曖昧な様子も伝えられました。
長年にわたり旅を共にした2人の再会は、かつての番組を見ていた人たちにとって印象深い出来事となりました。
2026年の近況をどう理解すべきか
2026年5月の取材では、体調の波が激しく、食が細くなり、以前より痩せた様子も伝えられています。一方で、マネジャーとの交流や競艇の話を楽しむ様子も紹介されています。
森永さんは長年にわたり蛭子さんを支えており、本人から「友達」と呼ばれる関係になっているそうです。仕事の付き添いや生活面のサポートなど、本人が安心して過ごせる環境づくりが続けられています。
2026年11月現在79歳の蛭子さんは、かつてのようにテレビ番組へ頻繁に出演する活動スタイルから、体調に合わせて創作を続けるスタイルへと変化しています。
【プロの結論】蛭子能収の年齢だけでは分からない現在の活動と魅力
蛭子能収さんについて調べる際、年齢や認知症という情報だけに注目すると、これまでの活動や現在の姿を十分に理解できません。
重要なのは、漫画家としての原点、テレビタレントとしての成功、そして認知症公表後の活動という3つの側面を分けて考えることです。
誤解1:認知症を公表したら仕事をすべて辞めた?
これは正確ではありません。2020年の公表後も、出版、個展、連載などの仕事を続けています。2026年5月の報道でも、『サンデー毎日』での連載が紹介されています。
誤解2:テレビに出演しないのは芸能界を引退したから?
テレビへの出演が減った背景には、認知機能の変化や体調への配慮があります。仕事そのものを完全に辞めたという状況ではなく、活動の範囲や方法を調整していると理解するのが適切です。
蛭子能収の現在を知るための3つの判断基準
- 年齢は誕生日基準で確認する:1947年10月21日生まれなので、2026年11月現在は79歳。
- 認知症の公表と活動終了を混同しない:公表後も出版や創作、雑誌連載などを続けている。
- 近況は報道時期を確認する:2026年5月の取材では連載継続が報じられており、過去のテレビ出演情報だけで現在の活動を判断しない。
蛭子さんの歩みは、漫画家としての独自性と、テレビで愛された自然体の人柄の両方によって形作られてきました。認知症を公表した後も、本人の希望や周囲の支援を大切にしながら、できる形で仕事を続けていることに注目したいところです。
蛭子能収の年齢に関するよくある質問(FAQ)
Q1:蛭子能収さんは2026年現在何歳ですか?
A1:2026年11月現在79歳です。1947年10月21日生まれで、2026年10月21日に79歳になりました。
Q2:蛭子能収さんの生年月日はいつですか?
A2:1947年(昭和22年)10月21日です。新潮社やNHKプロモーションのプロフィールなどでも、生年や経歴が紹介されています。
Q3:蛭子能収さんの出身地はどこですか?
A3:長崎県出身です。長崎商業高校を卒業し、地元の看板店で働いた後、1970年に上京しています。
Q4:蛭子能収さんの漫画家デビューはいつですか?
A4:1973年です。漫画雑誌『ガロ』に掲載された『パチンコ』で漫画家としてデビューしました。
Q5:蛭子能収さんが認知症を公表したのはいつですか?
A5:2020年7月です。テレビ東京の『主治医が見つかる診療所』で検査結果が紹介され、認知症であることを公表しました。
Q6:蛭子能収さんは現在も仕事をしていますか?
A6:はい。2026年5月の報道では、テレビ収録や取材などの仕事からは遠ざかっている一方、『サンデー毎日』で週1回の連載を続けていると紹介されています。
Q7:蛭子能収さんと太川陽介さんは現在も共演していますか?
A7:かつての『ローカル路線バス乗り継ぎの旅』でのレギュラー共演は終了しています。2024年には太川さんのYouTubeチャンネルで約5年ぶりの再会が紹介されました。
まとめ:蛭子能収は79歳、漫画と創作を続ける現在の姿にも注目
蛭子能収さんは1947年10月21日生まれで、2026年11月現在79歳です。長崎県出身で、1973年に『ガロ』掲載の『パチンコ』で漫画家デビュー。その後、「ヘタウマ」と評される独特の作風で漫画家としての地位を築き、太川陽介さんとの『ローカル路線バス乗り継ぎの旅』で幅広い世代に知られる存在となりました。
2020年7月には認知症を公表しましたが、その後も出版や個展などの創作活動を継続。2026年5月の最新の詳細な取材報道では、『サンデー毎日』の連載を続けている近況が伝えられています。
蛭子さんの現在を知るうえでは、79歳という年齢だけでなく、漫画家としての原点や認知症公表後の活動の変化にも目を向けることが大切です。テレビで見かける機会が少なくなった今も、周囲の支えを受けながら創作を続ける姿は、長年のファンにとって大切な近況といえるでしょう。
記事末尾の意味情報:主要エンティティは蛭子能収、関連エンティティは太川陽介・ローカル路線バス乗り継ぎの旅・ガロ・認知症。