2025年4月5日放送のフジテレビ系『ジャンクSPORTS』では、片岡の応援歌が再び取り上げられた。
出演したのは片岡篤史、元阪神の関本賢太郎、山本昌ら。MCの浜田雅功も加わり、スタジオは懐かしい応援歌の話題で盛り上がった。
スポニチアネックスは4月5日、デイリースポーツは4月6日に、この放送内容を報じている。
片岡が明かした「歌詞を知った瞬間」
片岡は、阪神移籍後に応援歌が作られた当初は、非常に良い曲を作ってもらったと思っていたという。
しかし、開幕から1~2か月ほど経った頃、相手チームの選手に声を掛けられた。
そこで初めて、自分の応援歌に「リフォーム」や「檜風呂」という言葉が入っていると知った。
番組で当時の気持ちを振り返った片岡は、次のように語っている。
「これは集中できませんでしたよ!」
打席に立つ直前、観客席から自宅のリフォームについて大合唱される。本人にとっては、なかなか複雑な状況だったことが伝わる。
関本賢太郎が応援歌を熱唱!浜田雅功も反応
阪神時代のチームメート。片岡の応援歌を覚えており、番組内で実際に歌ってみせた。
この放送で特に印象的だったのが、関本の反応だ。
浜田雅功から応援歌を覚えているか尋ねられると、関本は大好きだったと話し、懐かしのフレーズを熱唱した。
片岡が「5万人に歌われるとテンションが下がる」という趣旨の話をすると、関本はさらに一言。
「5万人じゃなくてベンチも歌ってました」
このツッコミがスタジオの笑いを誘った。
片岡にとっては集中を妨げる悩みの種だった応援歌も、同じベンチで戦った仲間にとっては楽しい思い出だったのである。
山本昌もマウンドから聞いていた
現役時代に対戦相手として甲子園のマウンドに立った経験を持つ。
加えて、山本昌もこの応援歌を覚えていた。
デイリースポーツの報道によると、山本昌はマウンド上で片岡の応援歌を聞いたことがあり、味方選手があのような歌を歌われていることに驚き、片岡を気の毒に感じていたという。
興味深いのは、この応援歌が阪神ファンだけでなく、対戦相手の選手にも強烈な印象を残していたことだ。
選手本人、チームメート、対戦相手、観客という異なる立場から語れることが、この曲が長年記憶されている理由の一つだろう。
【2026年最新】片岡篤史の応援歌は今も語り継がれている?

2025年の『ジャンクSPORTS』だけでなく、2026年にも片岡の檜風呂応援歌がテレビ番組で取り上げられている。
2026年6月9日、BSフジ『プロ野球レジェン堂』でも紹介
2026年6月9日放送のBSフジ『プロ野球レジェン堂』には、片岡篤史がゲスト出演した。
番組公式ページでは、PL学園時代のエピソードや日本ハム時代の活躍、阪神時代の話題などが紹介されている。
その中には、次のテーマも含まれていた。
「甲子園名物は“誤情報”?応援歌『実家はヒノキ風呂』伝説」
つまり、2026年にもこの応援歌は片岡の野球人生を振り返る代表的なエピソードとして扱われている。
2026年現在、新しい応援歌が作られたわけではない
ここは検索ユーザーが誤解しやすい部分だ。
2026年に話題になっているのは、現役選手として新しい応援歌が作られたという話ではない。
片岡は2006年に現役を引退しており、現在は野球解説やメディア出演などを通じて活動している。
2025年の『ジャンクSPORTS』、2026年の『プロ野球レジェン堂』で取り上げられたのは、現役時代に使われた応援歌の歴史と本人の思い出だ。
したがって、2026年の最新情報として押さえておきたいのは、檜風呂の応援歌が過去の珍エピソードではなく、現在もテレビで振り返られる阪神の象徴的な応援文化になっているという点である。
引退後には本人の受け止め方も変わった
実は片岡は、引退後にこの応援歌を変更したことを後悔していると明かしている。
2020年3月15日放送の関西テレビ『マルコポロリ!』に出演した際、旧応援歌について次のように語った。
「せめて引退試合ぐらいは、あの応援歌を流して良かったな」
当時は打席での集中を妨げられることや、実家の風呂について誤解されることに抵抗があった。
しかし、引退後に振り返ると、これほど多くの人に覚えてもらえる応援歌は珍しい。変更したことを惜しむ気持ちも生まれたという。
この発言は、応援歌に対する本人の感情が、現役時代と引退後で変化したことをよく表している。
【プロの結論】片岡篤史の応援歌がプロ野球史に残る理由
片岡篤史の応援歌が長く語り継がれている理由は、単に歌詞が面白かったからではない。
そこには、プロ野球の応援文化、選手とファンの距離感、そして本人のキャリアが重なっている。
1. 選手の個性を応援歌に取り込んだ
一般的な選手別応援歌では、打撃力、勝負強さ、俊足、長打力など、グラウンドでの特徴が歌詞に反映される。
一方、片岡の旧応援歌は、実家のリフォームという野球以外のエピソードを前奏に取り込んだ。
その結果、選手のプレースタイルよりも、個人的なエピソードのほうが強く印象に残るという珍しい現象が起きた。
2. 本人が嫌がった歌詞が、最大の知名度を生んだ
本人は当初、変更を望んでいた。
しかし、結果としてこの応援歌は、引退後も片岡の名前とセットで記憶されることになった。
2020年のホーロー風呂PR出演や2025年の『ジャンクSPORTS』出演は、その象徴的な出来事だ。
応援歌が単なる試合中の演出を超えて、本人のメディア活動にもつながったのである。
3. 面白さと事実の区別が大切
この話には、今も混同されやすい3つのポイントがある。
| よくある認識 | 実際の内容 |
|---|---|
| 実家は檜風呂 | 浴槽はホーロー製 |
| お風呂が檜だった | 檜だったのはサウナ |
| 応援歌全体がリフォームの歌 | 有名なフレーズは前奏・ファンファーレ部分 |
| 変更後は完全な別曲 | ファンファーレ廃止とテーマ追加を区別する必要がある |
| 本人は最後まで嫌っていた | 引退後には変更を後悔したと発言 |
このように整理すると、片岡の応援歌は、単なる珍歌詞ではなく、テレビ取材から球場の応援文化へと発展したエピソードだったことが分かる。
【片岡篤史の応援歌】に関するよくある質問(FAQ)
Q1:片岡篤史の阪神時代の応援歌の歌詞は?
A1:有名な部分は「右投げ左打ち、実家は檜風呂」というフレーズで、続いてリフォームを繰り返す内容だった。本編には「関西魂」を掲げた別のヒッティングマーチがある。
Q2:片岡篤史の実家は本当に檜風呂だった?
A2:違う。実家のお風呂はタカラスタンダード製のホーロー風呂で、檜が使われていたのはサウナだった。
Q3:片岡篤史はなぜ応援歌を変更した?
A3:2003年オフの契約更改時に本人が変更を要望したため。打席で集中しにくく、実家について誤った情報が広まっていたことも理由だった。
Q4:日本ハム時代の片岡篤史の応援歌は?
A4:日本ハム時代には阪神時代とは異なる応援歌があり、片岡本人も当時のファンファーレを気に入っていたと振り返っている。
Q5:2026年現在も檜風呂の応援歌は歌われている?
A5:現役時代の応援歌としては過去のものだが、ファンの間で語り継がれ、2025年の『ジャンクSPORTS』や2026年の『プロ野球レジェン堂』でも取り上げられている。
まとめ:片岡篤史の応援歌は阪神ファンの記憶に残る名曲
片岡篤史の応援歌は、阪神タイガースの歴史を振り返るうえでも印象的な存在だ。
その誕生には、日本ハム時代のファンファーレ、実家のリフォーム、金村義明によるテレビ取材、そして阪神ファン独特の応援文化が関係していた。
最後に要点を振り返ろう。
- 日本ハム時代には別の応援歌とファンファーレがあった。
- 阪神時代には「実家は檜風呂」という有名な前奏が生まれた。
- 実際の浴槽はホーロー製で、檜だったのはサウナだった。
- 2003年オフに本人が変更を申し入れ、2004年からファンファーレが廃止された。
- 引退後には旧応援歌への愛着と、変更したことへの後悔も語っている。
- 2025年、2026年にもテレビ番組で取り上げられ、伝説は現在まで続いている。
面白い応援歌と、本人にとって心地よい応援歌は必ずしも同じではない。
片岡篤史のエピソードは、応援する側の楽しさと、打席に立つ選手の気持ちの両方を考えさせてくれる。
檜風呂ではなくホーロー風呂だったという真相まで含めて、この応援歌は今後も阪神タイガースのファンに語り継がれていくだろう。