かつて大洋ホエールズやロッテオリオンズの本拠地として親しまれ、プロ野球史に残る名勝負を生み出した川崎球場。現在、その跡地はどうなっているのだろうか。実は、球場そのものが完全に消滅したわけではない。現在は「富士通スタジアム川崎」として生まれ変わり、アメリカンフットボールやサッカー、ラクロスなどが開催される多目的球技場として活用されている。
2000年の閉場から2014年の球技場整備、2015年の富士通スタジアム川崎への改称、そして2024年10月の富士見公園リニューアルまで、跡地の姿は大きく変化した。一方、伝説の「10・19」の舞台となった歴史や、往時を伝える外野フェンスなど、往年の野球ファンが訪れる理由も残っている。2026年11月現在の施設情報、歴史、遺構、アクセスを整理する。
【川崎球場跡地の現在】富士通スタジアム川崎として生まれ変わった場所

2026年現在、川崎球場があった場所にあるのは、川崎市川崎区富士見2丁目の「富士通スタジアム川崎」だ。
正式な施設名は川崎富士見球技場。富士通スタジアム川崎は、富士通株式会社がネーミングライツを取得したことによる愛称である。現在も川崎市のスポーツ施設として運営されており、かつてのプロ野球本拠地とは異なる用途で地域に根付いている。
施設の主な用途はアメリカンフットボールだ。サッカー、ラクロス、フットサルなどにも対応し、競技大会や地域イベントにも利用されている。特に2007年に川崎で開催されたアメリカンフットボールのワールドカップは、この場所が新しいスポーツ拠点として発展する契機となった。
川崎市の施設概要によると、スタジアムは地上4階建てで、観覧席は約3,800席。人工芝グラウンドの面積は約10,260平方メートルに及ぶ。エレベーターやスロープ、車椅子席エリアなども備え、観戦環境のバリアフリー化が進められている。
つまり、川崎球場跡地は更地になったわけでも、別の商業施設に置き換わったわけでもない。野球場から多目的球技場へと役割を変え、スポーツ文化を引き継いでいる場所なのだ。
川崎市の公式施設資料と富士通スタジアム川崎の施設案内でも、旧川崎球場から現在の球技場に至る経緯が紹介されている。
【川崎球場の歴史と年表】高橋ユニオンズから大洋、ロッテへ
川崎球場の歴史は、単にプロ野球チームが入れ替わった歴史ではない。戦後の川崎市がスポーツ施設を整備し、企業や地域と協力しながら野球文化を育てた歴史でもある。
1952年に完成した川崎球場
川崎球場の建設は1951年に始まり、1952年に完成した。川崎市や日本鋼管、味の素、東芝、コロムビアなど、地域の企業が出資した株式会社川崎スタジアムによって整備された施設だった。
当初の目的は、戦前から盛んだった社会人野球を中心とするアマチュア野球の拠点づくりだった。プロ野球だけを目的とした球場ではなかった点も特徴的だ。
プロ野球の使用は1952年4月3日の大映対東急戦から始まった。1954年には高橋ユニオンズが本拠地として使用し、翌1955年からは大洋ホエールズが本拠地となった。
大洋ホエールズとロッテオリオンズの時代
1955年から1977年まで本拠地として使用したのが大洋ホエールズだ。1960年には大洋が日本一を達成し、川崎球場は球団の栄光を刻む舞台となった。
1977年、大洋の横浜移転が決まり、翌1978年からロッテオリオンズが本拠地として使用するようになる。ロッテ時代には張本勲の通算3,000安打、落合博満の三冠王獲得など、数々の歴史的な出来事が生まれた。
日本野球機構(NPB)の球跡巡りによれば、川崎球場では一軍公式戦が合計2,453試合開催された。高橋ユニオンズ、大洋、ロッテという3球団が本拠地として使用したことも、この球場の大きな特徴である。
川崎球場の歴史を年表で整理
| 年代・年月日 | 出来事 | 関係する球団・施設 |
|---|---|---|
| 1940年 | 富士見公園が開園 | 川崎市初の都市公園 |
| 1951年 | 川崎スタジアム建設 | 川崎市・地域企業などが出資 |
| 1952年 | 川崎球場完成。4月3日にプロ野球初使用 | 大映対東急 |
| 1954年 | 本拠地として使用開始 | 高橋ユニオンズ |
| 1955~1977年 | 本拠地として使用 | 大洋ホエールズ |
| 1978~1991年 | 本拠地として使用 | ロッテオリオンズ |
| 1988年10月19日 | 伝説の「10・19」ダブルヘッダー開催 | ロッテ対近鉄 |
| 1991年 | ロッテが千葉への移転を発表 | ロッテオリオンズ |
| 1992年 | ロッテが千葉へ移転 | プロ野球の本拠地としての歴史が終了 |
| 2000年3月26日 | 横浜対ロッテのオープン戦を開催 | プロ野球最後の試合 |
| 2000年 | 内野・外野スタンドなどを解体 | 野球場としての役割を終了 |
| 2007年 | アメリカンフットボール・ワールドカップ開催 | 球技場としての活用が進展 |
| 2014年度 | メインスタンド・バックスタンドを整備 | 川崎富士見球技場 |
| 2015年4月1日 | 人工芝フィールドの整備と愛称の導入 | 富士通スタジアム川崎 |
| 2024年10月19日 | 富士見公園がリニューアルオープン | FUJIMIX |
この年表で注目したいのは、プロ野球の本拠地としての役割が終わった1992年と、球場そのものが閉場した2000年が異なることだ。
1991年にロッテが千葉への移転を発表し、1992年に本拠地が移った後も、川崎球場はすぐに完全消滅したわけではない。2000年3月26日には横浜対ロッテのオープン戦が行われている。
川崎市が2020年に市議会へ提出した遺構保存に関する資料にも、1952年の完成から2000年の解体、2014年度のスタンド整備、2015年の人工芝フィールド完成までの経緯が記録されている。
【川崎球場の10・19】今も野球ファンが語り継ぐ伝説のダブルヘッダー
川崎球場を語るうえで欠かせない出来事が、1988年10月19日に開催されたロッテオリオンズ対近鉄バファローズのダブルヘッダーだ。
この試合は通称「10・19」と呼ばれ、プロ野球史に残る名勝負として現在も語り継がれている。
近鉄の優勝が懸かった運命の2試合
1988年のパ・リーグは、シーズン終盤まで優勝争いが続いていた。すでに全日程を終了していた西武ライオンズに対し、近鉄は残り2試合を残していた。
近鉄が連勝すれば優勝。しかし、1勝1分けでは西武が勝率で上回るため、優勝を逃すという状況だった。
その運命を決める舞台となったのが川崎球場だった。相手はロッテオリオンズ。シーズン最終盤の緊張感の中、2試合のダブルヘッダーが行われた。
第1試合は梨田昌孝の決勝打で近鉄が勝利
第1試合は近鉄が4対3で勝利した。
試合終盤まで激しい攻防が続き、最後は梨田昌孝の代打決勝打が勝負を決めた。近鉄は優勝の可能性を残したまま、第2試合へ進むことになる。
第2試合は延長10回の引き分け
第2試合は両チームが譲らず、延長戦へ突入した。
当時の規定では、試合時間が4時間を超えた場合、そのイニングをもって試合を終了することになっていた。試合は延長10回、4対4のまま終了。近鉄は連勝できず、優勝を逃した。
勝てば優勝という状況から、最後の最後で届かなかった近鉄。そのドラマチックな展開は、当時のプロ野球ファンに強烈な印象を残した。
日本野球機構の公式記事や日刊スポーツの回顧記事でも、このダブルヘッダーはプロ野球を代表する名勝負として紹介されている。
「10・19」が特別なのは、単に試合内容が劇的だったからではない。優勝という明確な目標、残された試合数、時間制限という当時のルール、そして最後まで勝負を諦めない両チームの姿が重なったからだ。
川崎球場の建物が姿を変えても、10・19という日付が野球ファンの記憶に残り続ける理由はそこにある。
【川崎球場の遺構】外野フェンスは今も残っている?照明塔の現在
川崎球場跡地を訪れる野球ファンが特に気にするのが、かつての球場の面影がどれほど残っているかという点だ。
結論からいえば、スタンドやスコアボードなど球場の大部分は解体されたものの、旧川崎球場の外野フェンスと金網の一部は現在も残されている。
外野フェンスは歴史を伝える貴重な遺構
2000年の解体工事では、内野スタンドや外野スタンドなどが撤去された。一方、外野フェンスの一部は取り壊されず、その後の球技場整備でも残された。
NPBの「球跡巡り」では、左中間から右中間にあたる外野フェンスと金網が往時の姿をとどめていたことが紹介されている。長年の風雨でラバーが傷んだ状態や、企業広告の跡なども記録されている。
これは単なる古い設備ではない。1952年の完成以来、プロ野球の名勝負を見守ってきた球場の歴史を物語る実物資料だ。
照明塔は撤去され、記憶を伝えるモニュメントへ
もう一つの象徴だったのが、川崎球場時代から使用されてきた照明塔だ。
1954年に設置された6基の照明塔のうち、一部は2000年の解体工事後も残されていた。しかし、老朽化が進み、安全性や照明設備の更新が課題となった。
川崎市の2020年の議会資料では、残存していた照明塔の劣化や、既存設備の継続使用が難しい状況が説明されている。NPBの2023年の記事では、旧照明塔の最後の点灯イベントが行われたことも紹介された。
その後、旧照明塔は撤去された。2026年現在の富士見公園の施設案内には「照明塔モニュメント」が掲載されており、かつての球場を象徴した設備の記憶を伝えている。
展示ギャラリーで球場時代の資料を見られる
旧川崎球場の歴史を伝える場所は、外野フェンスだけではない。
富士見公園のパークセンターには展示ホールが設けられている。川崎市の議会資料では、1960年代の大洋ホエールズや1970~80年代のロッテオリオンズに関するグッズ、書籍などを展示するギャラリーの充実が、球場の歴史を後世に伝える取り組みとして挙げられている。
スタジアムを訪れる際は、競技場だけでなく、こうした展示施設にも目を向けたい。かつての川崎球場を知らない世代にとっても、その歴史を理解する手掛かりになる。
【2024年リニューアル】富士見公園は2026年現在どう変わった?
川崎球場跡地を含む富士見公園は、2024年に大規模な再編整備の節目を迎えた。
富士見公園は1940年に開園した川崎市初の都市公園だ。スポーツ、文化、レクリエーションの拠点として長い歴史を持つが、2023年4月から再編整備工事が進められ、2024年に新しい公園としてリニューアルされた。
公園の通称は「FUJIMIX(フジミックス)」。2024年10月19日に主要エリアがリニューアルオープンし、10月1日にはパークセンターや人工芝広場などの一部施設が先行オープンしている。
富士見公園の主な施設
2026年現在の公園には、北側と南側に多様な施設が配置されている。
- 富士通スタジアム川崎:アメリカンフットボール、サッカー、ラクロスなどに対応する多目的球技場。
- かわQホール:フィットネスや会議、イベントなどに利用できる地上2階建ての多目的施設。
- 富士見球場:富士見中学校に隣接する軟式野球中心のグラウンド。
- 富士見テニスコート:砂入り人工芝の12面を備え、観客席も設けられたテニス施設。
- 富士見相撲場:練習や大会などに利用できる屋外相撲場。
- パークセンター:公園の総合案内や施設受付、展示ホールなどを備える管理拠点。
- 芝生広場:約8,000平方メートルの広さを持つ、開放的な憩いの空間。
- インクルーシブなスポーツ・遊びの広場:年齢や身体能力の違いに配慮し、幅広い人が楽しめるエリア。
- ボール遊び広場:キャッチボールやドッジボールなどを楽しめるネット付きの広場。
- 農と自然を体感する広場:植物や自然に親しめるエリア。
このほか、ドッグラン、ジョギングコース、駐車場、カフェなども整備されている。
2026年現在も整備が続くエリアがある
注意したいのは、2024年のリニューアルオープンが公園全体のすべての整備完了を意味するわけではないことだ。
富士見公園の公式施設案内によると、9つの広場のうち多目的広場は2028年以降に整備完了予定とされている。つまり、2026年現在は主要施設を利用できる一方で、今後も公園の機能が拡充される段階にある。
この点は、昔の川崎球場を訪ねたい人だけでなく、家族で公園を利用したい人にとっても知っておきたい情報だ。
なお、富士見球場と富士通スタジアム川崎は別の施設である。富士見球場は現在の公園内にある別の野球場であり、旧川崎球場がそのまま野球場として残ったものではない。
川崎市のリニューアル発表と富士見公園公式サイトの施設ガイドでは、2024年の整備内容や現在の施設配置が紹介されている。
【富士通スタジアム川崎の施設概要・アクセス】川崎駅からの行き方
実際に川崎球場跡地を訪れる場合、目的地として設定したいのは富士通スタジアム川崎だ。旧川崎球場の所在地と同じエリアにあり、川崎駅からも徒歩圏内にある。
富士通スタジアム川崎の基本情報
- 施設名:富士通スタジアム川崎
- 正式名称:川崎富士見球技場
- 所在地:神奈川県川崎市川崎区富士見2-1-9
- 施設構造:地上4階建て
- 観覧席:約3,800席
- 人工芝グラウンド:約10,260平方メートル
- 主な競技:アメリカンフットボール、サッカー、ラクロス、フットサルなど
- 主な設備:バリアフリー対応設備、車椅子席、屋内ウォームアップスペースなど
施設は競技大会だけでなく、スポーツ教室や地域イベントなどにも利用されている。利用予約や開催イベントの詳細は、富士通スタジアム川崎および富士見公園の公式案内で確認できる。
川崎駅・京急川崎駅からのアクセス
最も利用しやすいのはJR川崎駅と京急川崎駅だ。
- JR川崎駅:東海道線・京浜東北線・南武線を利用。東口から徒歩約15分。
- 京急川崎駅:徒歩約13分。
- 川崎市バス:川崎駅東口11~15番乗り場から川04、川05、川07、川10、川13、川15、川17系統などを利用。「カルッツかわさき・富士見公園」下車、徒歩約2分。
- 臨港バス:川崎駅東口16・17・20番乗り場から川02、川03系統を利用。同じく「カルッツかわさき・富士見公園」下車、徒歩約2分。
川崎フロンターレの公式アクセス案内でも、これらの経路と所要時間が掲載されている。
野球ファンが遺構を見学する場合は、試合やイベントが開催されていない日でも、施設の利用状況や見学可能な範囲を事前に確認しておきたい。競技場は一般的な自由見学施設とは異なり、イベントや施設管理の都合で入場できるエリアが変わる場合がある。
【川崎球場跡地を訪れる価値】野球の聖地から地域スポーツの拠点へ
川崎球場跡地の現在を理解するには、単純に「昔の球場が残っているか」という視点だけでは不十分だ。
この場所では、プロ野球の本拠地としての歴史、アメリカンフットボールを中心とした競技施設への転換、そして富士見公園全体の再整備という3つの変化が重なっている。
野球ファンにとっての価値
10・19をはじめ、大洋やロッテの試合を記憶している人にとって、川崎球場跡地は過去の試合を振り返るための場所だ。
特に、外野フェンスの一部が現存していることは大きい。球場全体は失われても、実際に当時の試合を見守った設備が残っているため、歴史を具体的に感じ取ることができる。
また、NPBの公式記録や球場の展示資料をあわせて確認すれば、10・19だけでなく、高橋ユニオンズ、大洋ホエールズ、ロッテオリオンズの時代を横断して川崎球場の歩みを理解できる。
スポーツを楽しむ人にとっての価値
現在の富士通スタジアム川崎は、かつての野球場の面影を残しながら、アメリカンフットボールなどを中心とする新しいスポーツ文化を支えている。
周辺の富士見公園には、テニスコート、相撲場、芝生広場、子ども向けの遊び場などが集まっている。競技観戦だけでなく、運動や散策、家族でのレクリエーションにも利用できる環境だ。
訪問前に確認したい判断基準
- 昔の川崎球場の雰囲気を知りたい人:外野フェンスや展示ギャラリーを中心に見学するとよい。
- 10・19の舞台を訪ねたい人:旧川崎球場の位置を確認し、周辺の遺構や展示資料を合わせて見るのがおすすめ。
- スポーツ観戦が目的の人:富士通スタジアム川崎の競技日程やチケット情報を事前に確認したい。
- 家族で公園を楽しみたい人:芝生広場やインクルーシブな遊びの広場、カフェなどを組み合わせると利用しやすい。
- 昔の野球場そのものを見たい人:スタンドやスコアボードは現存しないため、当時の姿を完全に再現した施設ではないことを理解しておきたい。
川崎球場跡地は、過去を保存するだけの場所ではない。歴史を伝えながら、新しいスポーツや市民活動の拠点として機能していることに、この場所の現在の価値がある。
【川崎球場跡地】に関するよくある質問(FAQ)
Q1:川崎球場跡地は現在、何になっていますか?
A1:現在は川崎市の「川崎富士見球技場」で、富士通株式会社のネーミングライツによる愛称は「富士通スタジアム川崎」です。アメリカンフットボール、サッカー、ラクロスなどに対応する多目的球技場として運営されています。
Q2:川崎球場時代の外野フェンスは現在も残っていますか?
A2:はい。川崎球場の解体時に撤去されなかった外野フェンスと金網の一部が現存しています。一方、旧照明塔は老朽化に伴って撤去されており、現在は照明塔モニュメントなどが歴史を伝えています。
Q3:川崎球場が閉場したのはいつですか?
A3:野球場としての役割を終えたのは2000年です。プロ野球の本拠地としては、ロッテの千葉移転によって1992年に役割を終えていました。2000年3月26日の横浜対ロッテのオープン戦がプロ野球最後の試合となり、その後スタンドなどが解体されました。
Q4:川崎球場の10・19とは何ですか?
A4:1988年10月19日に川崎球場で行われたロッテ対近鉄のダブルヘッダーです。優勝を懸けた近鉄は第1試合に4対3で勝利しましたが、第2試合は延長10回、4対4の引き分けとなり、優勝を逃しました。今もプロ野球史に残る名勝負として知られています。
Q5:富士見公園のリニューアルはいつ完了しましたか?
A5:主要エリアは2024年10月19日にリニューアルオープンしました。ただし、多目的広場は2028年以降に整備完了予定とされており、2026年現在も一部の整備計画が残っています。
Q6:富士通スタジアム川崎へは川崎駅から徒歩で行けますか?
A6:はい。JR川崎駅東口から徒歩約15分、京急川崎駅から徒歩約13分です。バスを利用する場合は「カルッツかわさき・富士見公園」で下車すると徒歩約2分で到着できます。
まとめ:【プロの結論】川崎球場跡地は野球の記憶と新しいスポーツ文化が共存する場所
川崎球場跡地は、2026年現在、富士通スタジアム川崎として新しい役割を担っている。2000年に野球場としての歴史に一区切りをつけたものの、2014年度の球技場整備、2015年のネーミングライツ導入を経て、多目的スポーツ施設へと発展してきた。
そして2024年には、周辺の富士見公園もFUJIMIXとしてリニューアル。スポーツ施設だけでなく、芝生広場や遊び場、テニスコート、カフェなどを備えた、市民が日常的に利用できる公園へと変化した。
一方で、外野フェンスの一部や展示ギャラリーには、川崎球場時代の記憶が残されている。高橋ユニオンズ、大洋ホエールズ、ロッテオリオンズが本拠地とし、2,453試合の一軍公式戦を開催した歴史は、今もこの土地の重要な背景だ。
特に1988年10月19日の「10・19」は、球場の名前が変わっても消えることのない象徴的な出来事である。
川崎球場跡地を訪れるなら、現在の競技場を見るだけでなく、外野フェンスや展示ギャラリー、富士見公園の再整備されたエリアまで歩いてみることをおすすめしたい。
かつてプロ野球の熱戦が繰り広げられた場所が、今は新しいスポーツや市民の交流を生み出している。川崎球場の歴史は、建物が失われたことで終わったのではない。形を変えながら、2026年の川崎の街に受け継がれている。