2026年現在も、小山田圭吾の名前とともに検索される「いじめ問題」。発端となったのは、1994年の音楽誌『ロッキング・オン・ジャパン』と、1995年のカルチャー誌『クイック・ジャパン』に掲載された学生時代のいじめに関するインタビューだった。障がいのある同級生への行為や、同級生に対する暴力的なエピソードを本人が語った内容が、2021年の東京オリンピック開会式への起用を機に再び注目され、大きな社会問題へと発展した。
問題を理解するうえで欠かせないのは、本人が実際に認めた加害行為と、後年の説明で否定した雑誌記事の内容を区別することだ。小山田は2021年7月と9月に謝罪・経緯説明を発表し、2024年にはノンフィクション作家による本人インタビューを通じて、当時の出来事について改めて説明している。出版社側も謝罪し、編集責任を認めた。
この記事では、2026年11月時点で確認できる本人の発言、出版社の公式声明、報道記録をもとに、いじめ問題の発端から事実関係、謝罪文、東京五輪の担当辞任、2024年の再検証、現在の音楽活動までを時系列で整理する。
【問題の発端】小山田圭吾のいじめ告白はなぜ2021年に再燃したのか

小山田圭吾は、1989年に小沢健二とともにフリッパーズ・ギターのメンバーとしてデビューしたミュージシャンだ。1993年からはCornelius(コーネリアス)名義でソロプロジェクトを開始し、国内外で音楽制作やプロデュースを手がけてきた。
その音楽家としてのキャリアとは別に、1990年代に受けた雑誌インタビューが長年にわたって問題視されていた。
特に注目されたのが、学生時代の同級生へのいじめや、近隣の特別支援学校に通う生徒について語った内容だった。
2021年7月14日、小山田が東京2020オリンピック・パラリンピックの開会式クリエーティブチームに参加することが発表された。
ところが、翌15日ごろから過去の雑誌記事がSNSを中心に拡散。障がいのある人へのいじめを語った内容や、同級生への残酷な行為を面白おかしく語っていたインタビューが再び注目され、批判が急速に広がった。
問題の本質は、単に数十年前の若気の至りが掘り起こされたということではない。
批判が集中したのは、次の3点だった。
- 障がいのある同級生に対する具体的な加害行為が語られていたこと。
- その行為を20代になってからのインタビューでも軽い口調で説明していたこと。
- そうした過去の発言や記事について、長年にわたり公の場で十分な説明や謝罪をしてこなかったこと。
本人も2021年7月16日の謝罪文で、過去のインタビューにおいて、クラスメイトや近隣学校の障がいのある人々に対する心ない発言や行為を、反省することなく語っていた事実を認めている。
つまり、騒動のすべてが誤報だったわけではない。本人が認めている加害行為と、後から事実と異なると説明した内容の両方が存在する。
この区別を理解することが、問題の全体像を把握する出発点となる。
【1994年・1995年の記事を検証】ロッキング・オンとクイック・ジャパンの内容は何だったのか
問題となった2誌は、発行元も企画意図も異なる。それぞれの記事の性質を理解すると、後の謝罪や事実関係の説明がなぜ複雑になったのかが見えてくる。
1994年1月『ロッキング・オン・ジャパン』のインタビュー
最初に問題となったのは、1994年1月号の『ロッキング・オン・ジャパン』に掲載された小山田のロングインタビューだ。
この記事では、中学時代の同級生に関するエピソードが取り上げられ、全裸にする、排泄物を食べさせる、性的な行為を強要するといった非常に衝撃的な内容が見出しや本文で紹介された。
インタビューを担当したのは、当時の編集長だった山崎洋一郎氏。
2021年7月18日、山崎氏はロッキング・オン・グループの公式サイトで謝罪した。自分が取材者であり編集長でもあったことを明らかにし、取材時の姿勢と記事掲載の判断に問題があったと認めている。
特に問題だったのは、インタビューのなかで語られたエピソードと、実際に本人が行った行為との区別が不明瞭になっていたことだ。
2021年9月17日の本人の説明では、排泄物を食べさせたという話は、小学生の同級生が道端の犬の糞を口に入れてすぐに吐き出し、その場にいた皆で笑ったという出来事だったとされる。
また、自慰行為を強要したという話については、中学時代の修学旅行で、先輩が同級生にその行為を求めている場面を目撃したという説明だった。
小山田は、こうした行為を自分が実行したり、指示したり、強要したりした事実はないと否定している。
しかし、本人が直接行っていないという説明だけで、責任がなくなるわけではない。
暴力的な場面を目撃しながら傍観者となり、その出来事を後年のインタビューで軽い口調で語ったことについて、本人は自らの責任を認めている。
1995年8月『クイック・ジャパン』の「いじめ紀行」
もう一つの重要な資料が、1995年8月号の『クイック・ジャパン』第3号に掲載された「いじめ紀行」だ。
こちらは太田出版から刊行された雑誌で、取材・執筆を担当したのは村上清氏。
「いじめ紀行」は、いじめられた経験のある取材者が、いじめる側といじめられる側の双方の視点から問題を考えるという企画として発案された。
その第1回のインタビュー対象が小山田だった。
記事では、障がいのある同級生への接し方や、学校生活での出来事が詳細に紹介されている。
具体的には、同級生を段ボール箱に閉じ込めて黒板消しの粉をかけたことや、同級生を掃除用ロッカーに閉じ込めたことなどが取り上げられた。
また、障がいのある生徒についての描写や、本人の発言の軽い口調も問題になった。
特に議論になったのは、記事全体を通じて、被害を受けた側の苦痛よりも、加害した側のエピソードや語り口が前面に出ていた点だ。
2021年9月16日、執筆者の村上氏は太田出版の公式サイトに謝罪コメントを発表した。
村上氏は、当初は被害側との対談を想定していたものの実現せず、結果として加害経験者側の話に重点を置いた記事になったと説明している。
加えて、皮肉や反語を意図した表現を使ったものの、読者にその意図が十分に伝わらず、被害者への配慮を欠いた記事になったことを認めた。
重要なのは、村上氏自身が、ネット上で広まった切り取り記事に問題があったと説明する一方、元の記事そのものにも配慮不足があったという認識を撤回していないことだ。
【事実と記事内容の違い】小山田圭吾が認めた行為と否定した発言を整理
小山田のいじめ問題で最も誤解が生まれやすいのが、どの行為を本人が認め、どの行為について否定しているのかという点だ。
2021年の謝罪文だけでなく、同年9月の詳細説明、2024年の本人インタビューを照らし合わせる必要がある。
本人が認めた加害行為
2021年9月17日に公開された公式説明では、小学生時代に障がいのある転校生に対して、段ボール箱に入れて黒板消しの粉をかけるなどの行為をしたことを認めた。
本人は、当時は日常的な遊びのように考えていたとしても、現在振り返れば、いじめ加害にあたると認識していると説明している。
さらに2024年7月の文春オンラインのインタビューでは、次の2つの行為について改めて自分が実際に行ったと認めた。
- 小学生時代、知的障がいのある同級生を段ボール箱に入れ、黒板消しの粉をかけたこと。
- 中学生時代、同級生を掃除用ロッカーに閉じ込め、蹴飛ばしたこと。
これらについて、小山田は言い訳の余地がない行為として反省していると述べた。
本人が否定した内容
一方、1994年の『ロッキング・オン・ジャパン』の記事で見出しになった、同級生を全裸で縛り、排泄物を食べさせ、バックドロップをしたという一連の行為については、本人は否定している。
2021年9月の説明によると、排泄物の話は同級生が自分で口に入れて吐き出した出来事であり、本人が食べさせたわけではない。
性的な行為についても、先輩が同級生に強要している場面を目撃したという説明だった。
2024年の追加インタビューでも、小山田は修学旅行での全裸にする行為や排泄物を食べさせる行為について、自分が実行した事実はないと改めて述べている。
主要な論点を比較した一覧表
| 時期・資料 | 問題となった内容 | 本人・関係者による説明 |
|---|---|---|
| 1994年1月・ロッキング・オン・ジャパン | 全裸にする、排泄物を食べさせるなどの発言 | 本人は実行・指示・強要を否定。目撃談を語った責任は認める |
| 1995年8月・クイック・ジャパン | 障がいのある同級生への行為 | 段ボール箱に入れて黒板消しの粉をかけた行為などを認める |
| 1995年8月・クイック・ジャパン | 掃除用ロッカーへの閉じ込め | 2024年の本人インタビューで実際に行ったと認める |
| 2021年7月16日 | 最初の謝罪文 | 心ない発言や行為を当時反省せず語ったことを認める |
| 2021年9月17日 | 詳細な経緯説明 | 加害行為、傍観者としての責任、記事の不正確な部分を説明 |
| 2024年7月24日 | 『小山田圭吾 炎上の「嘘』刊行 | 本人への追加取材や同級生・関係者への取材を通じて再検証 |
| 2026年11月 | 現在の音楽活動 | Cornelius名義で作品発表やライブ活動を継続 |
2021年9月17日の本人の説明が重要な理由
2021年7月16日の最初の謝罪文では、本人は過去の行為を認め、傷つけた同級生と家族に謝罪していた。
しかし、個々のエピソードについて、どこまでが実際の加害行為で、どこからが目撃談だったのかは十分に説明されていなかった。
そこで9月17日、公式サイトに「いじめに関するインタビュー記事についてのお詫びと経緯説明」と題する長文を掲載した。
その中で、本人は次のように説明している。
暴力行為を目にした現場で傍観者になってしまったことも加担と言えます。
この説明は、単に記事の誤りを指摘するものではない。
本人は、自分が直接行っていない行為であっても、暴力を目撃しながら傍観したこと、さらにその話を冗談交じりに語ったことに責任があると認めた。
また、2024年の文春オンラインのインタビューでは、段ボール箱や掃除用ロッカーに関する行為を改めて認めている。
したがって、「小山田のいじめは全部嘘だった」という理解も、「記事の見出しにある行為をすべて本人が実行した」という理解も、本人の説明とは一致しない。
【2021年の謝罪文全文と出版社の対応】ロッキング・オンと太田出版は何を認めたのか
2021年の問題では、小山田本人だけでなく、記事を掲載した出版社や編集者の責任も問われた。
対応は大きく、本人の謝罪、ロッキング・オン側の謝罪、太田出版側の謝罪という3つに分けられる。
2021年7月16日:小山田圭吾が最初の謝罪文を発表
7月16日、小山田は自身の公式発信を通じて謝罪文を公開した。
その中で、学生時代のクラスメイトや近隣学校の障がいのある人々に対して、心ない発言や行為をしていたことを認めた。
特に、被害者本人とその家族に対する謝罪のほか、長年説明や謝罪をしてこなかったことについても責任を感じていると述べた。
また、受け入れてもらえるのであれば、被害者本人に直接謝罪したいという意向も示した。
ただし、この時点では五輪の音楽担当を辞任するとは表明していなかった。
2021年7月18日:ロッキング・オン編集長が謝罪
1994年の記事については、ロッキング・オン・ジャパン編集長の山崎洋一郎氏が7月18日に公式サイトで謝罪した。
山崎氏は、当時のインタビュアーであり編集長でもあったと説明。
取材時の姿勢と掲載判断について、いじめ問題に対する倫理観や真摯さに欠けるものだったと認めた。
これは単に過去の記事を掲載したことへの形式的な謝罪ではない。
編集者自身が取材の進め方と編集判断の両方に責任があると認めた点が重要だ。
2021年7月19日:太田出版が公式謝罪
1995年の記事を掲載した太田出版も、7月19日に公式サイトで謝罪声明を発表した。
同社は、当時のスタッフに事実や経緯の確認を行い、記事を再検討した結果、被害者を傷つけるだけでなく、差別を助長する不適切な記事だったと判断した。
加えて、出版後26年が経過していたにもかかわらず、十分な再検討を行わなかったことについても出版社として責任を認めている。
注目すべきなのは、2012年に『クイック・ジャパン』第3号が100部復刊されていたという事実だ。
問題となった記事は1995年に一度掲載されて終わったわけではない。復刊の機会があったにもかかわらず、出版社側で内容を改めて検証する機会が設けられなかった。
この点についても、太田出版は反省を示した。
2021年9月16日:執筆者の村上清氏も謝罪
太田出版は9月16日、記事の取材・執筆を担当した村上清氏のコメントを公開した。
村上氏は、被害者とその家族への配慮を欠いた記事だったと認めた。
また、企画段階では被害側と加害側の対談を想定していたものの、被害側の出演が実現せず、結果的に加害側の視点が中心になったと説明している。
加えて、記事に皮肉や反語の意図があったとしても、読者に伝わらなければ意味がないこと、元記事自体も配慮不足だったことを認めた。
太田出版は、執筆者個人だけに責任を負わせるのではなく、出版社としての判断と責任が先にあるという立場も明確にした。
『クイック・ジャパン』の発売休止
2021年8月4日、太田出版と『クイック・ジャパン』編集部は、同年8月発売予定だった『Quick Japan vol.157』の発売を休止すると発表した。
理由は、今回の問題を受けた編集体制の見直しだった。
編集部はチェック体制の強化と、差別や社会問題への理解を深める取り組みを進めると説明している。
一連の対応は、本人の謝罪だけでなく、過去の記事を制作・掲載したメディア側の責任も問われた出来事だった。
【東京五輪の担当辞任理由】小山田圭吾はなぜ開会式直前に降板したのか
2021年の騒動が大きくなった背景には、東京オリンピック・パラリンピックという国際的なイベントの性格があった。
大会は多様性や共生を掲げる一方、開会式の制作担当者に障がいのある同級生へのいじめを語った過去があったことが明らかになった。
この矛盾が国内外で問題視された。
辞任までの時系列
| 日付 | 出来事 | 主な対応 |
|---|---|---|
| 2021年7月14日 | 開会式制作メンバーへの参加が発表 | 小山田の起用が公表される |
| 7月15日 | 過去のインタビュー記事が拡散 | 批判が急速に広がる |
| 7月16日 | 本人が謝罪 | 組織委は当初、続投を発表 |
| 7月18日 | ロッキング・オン編集長が謝罪 | 当時の取材・編集責任を認める |
| 7月19日 | 本人が辞任を申し入れる | 組織委が辞意を受け入れる |
| 7月19日 | 太田出版が謝罪 | 『クイック・ジャパン』の記事を不適切と判断 |
組織委員会は当初、続投を認めていた
7月16日、小山田が謝罪文を発表した後、東京五輪・パラリンピック組織委員会は続投の方針を示した。
当時、組織委は過去の発言を事前に把握していなかったと説明し、本人が反省していることや開会式準備への貢献を理由に、引き続き制作に参加してもらう考えを示していた。
しかし、批判は収まらなかった。
問題となったのは、過去の行為だけではなく、障がいのある人々への差別やいじめが問題視される中で、オリンピックの開会式を担う人物として適切なのかという点だった。
7月19日、小山田本人が辞任を申し出る
7月19日、小山田はCornelius名義の公式発信で、東京2020への楽曲参加について、依頼を受けたこと自体がさまざまな人への配慮を欠いていたと説明した。
そして組織委員会に辞任を申し出た。
同日、組織委員会は正式に辞意を受け入れた。
その際、組織委は当初の続投判断についても、誤った判断だったと認めている。
加えて、小山田が制作に関わった楽曲は開会式で使用しないと発表した。
つまり、辞任は単に過去の雑誌記事が再び注目されたからではない。
本人の過去の行為や発言への批判に加え、五輪が掲げる理念との整合性、組織委の起用判断、社会からの信頼という複数の問題が重なった結果だった。
【2024年の文春インタビューと2026年現在】小山田圭吾は何を語り、現在はどう活動しているのか
2021年の騒動から3年後、問題を改めて検証する動きが出てきた。
その中心となったのが、2024年7月24日に発売された中原一歩氏の著書『小山田圭吾 炎上の「嘘」 東京五輪騒動の知られざる真相』だ。
同書は小山田本人への20時間を超える取材に加え、当時の同級生や雑誌の関係者などへの取材をもとに、1990年代の記事がどのように作られ、2021年の炎上に至ったのかを検証している。
2024年の追加インタビューで明らかになったこと
2024年7月24日から文春オンラインで、同書の内容を抜粋した記事が公開された。
最も重要なのは、本人が改めて自分の加害行為を認めたことだ。
小山田は、段ボール箱に同級生を閉じ込めて黒板消しの粉をかけたこと、中学生時代に同級生を掃除用ロッカーに閉じ込めて蹴ったことを認めた。
その一方、1994年の記事の見出しにあった全裸にして縛る行為や排泄物を食べさせる行為については、自分が行ったものではないと改めて否定している。
加えて、2024年7月26日には文春オンラインの本人インタビューも公開された。
そこでは、過去の記事を家族と一緒に読み直したことや、2021年の炎上から辞任に至るまでの経緯についても語っている。
1994年の記事については、発売後に内容を読んで違和感を覚えたものの、正式な訂正を申し入れなかったことを説明した。
また、1995年の『クイック・ジャパン』についても、当初は企画を断ったものの、取材者からの依頼を受けて引き受けてしまったと振り返っている。
2024年の検証で重要なのは、記事の不正確な部分を明らかにすることと、実際に行った加害行為を認めることが両立している点だ。
記事のすべてを事実とみなすことも、すべてを誤報として片付けることもできない。
2021年の炎上で失われたもの
2024年のインタビューでは、騒動による影響についても語られた。
本人や周囲の関係者は、過熱した報道や批判への対応に追われ、家族にも影響が及んだと説明している。
ただし、こうした被害は、本人が過去に行ったいじめの責任とは別に考える必要がある。
過去の行為を批判することと、本人や家族への殺害予告や脅迫を正当化することはまったく違う。
2024年の著書と追加インタビューは、過去の行為、記事制作の責任、炎上時のメディア対応という複数の問題を考える材料になった。
コーネリアスの活動と経歴
小山田の音楽家としての経歴も整理しておきたい。
| 年 | 活動・出来事 | 内容 |
|---|---|---|
| 1989年 | フリッパーズ・ギター | 小沢健二とともにメンバーとしてデビュー |
| 1991年 | バンド解散 | フリッパーズ・ギターとしての活動を終了 |
| 1993年 | Cornelius始動 | ソロプロジェクトとして活動開始 |
| 1990年代後半以降 | 音楽制作・プロデュース | 国内外のアーティストとのコラボレーションやリミックスを展開 |
| 2010年代 | 映像・テレビ音楽 | NHK Eテレ『デザインあ』などの音楽制作に参加 |
| 2023年 | 『夢中夢』 | オリジナルアルバムを発表 |
| 2024年 | 活動30周年 | 『Ethereal Essence』などの作品や記念公演を展開 |
| 2026年 | 『Refractions』 | 新作アルバムを発表し、国内ツアーを開催 |
コーネリアスは、小山田のソロプロジェクトであり、実験的な音響表現や映像との連動、国内外のアーティストとの共同制作などで知られる。
2026年には、8月19日に新作アルバム『Refractions』をリリース。9月から10月にかけて国内ツアー「CORNELIUS REFRACTIONS TOUR 2026」も開催された。
公式サイトやワーナーミュージックのアーティスト情報でも、2026年の作品発表やライブ活動が確認できる。
このように、2021年の東京五輪辞任後も、音楽家としての活動は続いている。
ただし、音楽活動の再開や作品の評価と、過去のいじめ問題に対する社会的な責任は別の問題だ。
音楽家としての評価が高まったとしても、過去の加害行為や被害者への影響が自動的に解消されるわけではない。
【プロの結論】小山田圭吾のいじめ問題から読み取るべき3つのポイント
小山田圭吾の問題は、過去の有名人の失言やSNS炎上という枠組みだけでは理解できない。
その背景には、本人の加害行為、当時の雑誌編集の姿勢、長期間にわたる説明不足、五輪の起用判断という複数の問題が存在する。
特に、次の3点を押さえておく必要がある。
1. 本人が認めた行為と、否定した記事内容を混同しない
本人は、段ボール箱に同級生を閉じ込めた行為や、ロッカーに同級生を閉じ込めた行為を認めている。
一方、排泄物を食べさせた行為や、全裸にして縛った行為を自分が実行したという説明は否定している。
事実関係を正確に理解するには、この違いを維持する必要がある。
2. 記事を掲載した出版社にも独立した責任がある
1994年の記事については、取材者と編集長が自らの判断を反省した。
1995年の記事についても、太田出版が出版社としての責任を認め、執筆者の村上氏も謝罪した。
いじめを扱う記事では、加害者の語りを掲載するだけでは不十分だ。被害者の尊厳、取材の公平性、記事の読まれ方まで考慮する必要がある。
3. 謝罪と説明は一度で終わるものではない
2021年7月の謝罪、同年9月の詳細説明、2024年の追加インタビューと、本人は複数回にわたって問題に向き合ってきた。
しかし、謝罪文を発表したことと、被害を受けた側がその謝罪を受け入れることは同じではない。
被害者本人や家族の受け止め方は、加害した側の説明だけで決められるものではない。
この問題が現在も検索される理由は、単に小山田の過去を知りたいという好奇心だけではない。何が事実で、誰がどのような責任を負い、メディアはどこで判断を誤ったのかという問いが残っているからだ。
【小山田圭吾のいじめ問題】に関するよくある質問(FAQ)
Q1:小山田圭吾のいじめ問題は何が発端だった?
A1:1994年1月の『ロッキング・オン・ジャパン』と1995年8月の『クイック・ジャパン』に掲載された学生時代のいじめに関するインタビューが発端。2021年に東京五輪開会式の音楽担当への起用が発表されたことで過去の記事が再拡散し、大きな批判につながった。
Q2:小山田圭吾は障がいのある同級生へのいじめを認めた?
A2:認めている。2021年9月の公式説明と2024年の本人インタビューでは、障がいのある同級生を段ボール箱に入れて黒板消しの粉をかけた行為などを認めた。一方、本人は長期間にわたる陰惨な暴力を続けたという説明については否定している。
Q3:排泄物を食べさせたという話は本当?
A3:本人は、自分が食べさせた事実はないと説明している。2021年9月の説明では、同級生が道端の犬の糞を口に入れてすぐに吐き出した出来事だったと述べている。2024年のインタビューでも、本人が実行したという記事の見出しの内容を否定した。
Q4:小山田圭吾の2021年の謝罪文はいつ発表された?
A4:最初の謝罪文は2021年7月16日。その後、9月17日に「いじめに関するインタビュー記事についてのお詫びと経緯説明」と題した、より詳細な説明文を公式サイトに掲載した。
Q5:ロッキング・オンと太田出版も謝罪した?
A5:謝罪している。ロッキング・オン側は2021年7月18日に山崎洋一郎編集長が謝罪。太田出版は7月19日に公式謝罪を発表し、9月16日には執筆者の村上清氏もコメントを公表した。
Q6:小山田圭吾が東京五輪を辞任した理由は?
A6:過去のいじめに関する発言や行為が問題視され、五輪の理念との整合性や起用の適切性に批判が集中したため。2021年7月19日に本人が辞任を申し出て、組織委員会が受け入れた。担当楽曲も開会式では使用されなかった。
Q7:2024年の文春インタビューでは何が明らかになった?
A7:本人が実際に行ったと認める行為と、記事の見出しで広まったものの本人が否定する行為が、改めて整理された。中原一歩氏の著書『小山田圭吾 炎上の「嘘」』では、本人への20時間超の取材や同級生、関係者への取材を通じて、記事の成立過程や騒動の背景も検証されている。
まとめ:小山田圭吾のいじめ問題は2026年も検証すべき課題
小山田圭吾のいじめ問題は、1994年と1995年の雑誌インタビューを起点に、2021年の東京五輪辞任、本人と出版社の謝罪、2024年の追加取材へと展開してきた。
確認すべき重要な事実は3つある。
- 小山田は、障がいのある同級生を段ボール箱に入れて黒板消しの粉をかけた行為など、実際に行ったいじめを認めている。
- 1994年の記事の見出しで広まった排泄物や性的行為の強要については、本人は実行した事実を否定し、目撃談だったと説明している。
- ロッキング・オンと太田出版は、それぞれ取材・編集・掲載判断に問題があったことを認めて謝罪した。
2026年現在、Corneliusとしての音楽活動は続いており、新作アルバムやライブ活動も展開されている。
しかし、アーティストとしての現在の活動と、過去のいじめ問題に対する責任を同じ尺度で評価することはできない。
この問題から学ぶべきなのは、著名人の過去を無条件に断罪することでも、本人の説明をそのまま全面的に受け入れることでもない。
本人の認めた事実、本人が否定した内容、取材者や出版社の責任、被害を受けた側の尊厳を、それぞれ分けて考えることだ。
過去の行為に対する責任は、説明や謝罪によって消えるものではない。一方、記事に書かれたすべての内容を検証せずに事実とみなすことも適切ではない。
小山田圭吾の問題は、個人の過去だけでなく、メディアが社会問題をどう取材し、何を掲載し、どのように責任を負うべきなのかを問い続けている。