2026年現在、「志村けん家」と検索する人が知りたいのは、国民的コメディアンとして活躍した志村けんさんが暮らしていた自宅の場所と、その家が現在どうなっているのかという点ではないだろうか。実は、志村けんさんゆかりの住まいには、東京都三鷹市にあった晩年の自宅と、出身地である東京都東村山市の実家という、異なる2つの場所がある。三鷹の自宅については2025年に売却と解体が報じられ、現在は建物が残っていない。一方、東村山には長兄・知之さんが暮らす志村家の実家や、志村さんが眠る墓、駅前の銅像などが残されている。
さらに2026年3月29日には、2020年の死去から6年が経過し、志村けんさんの七回忌を迎えた。4月には東村山市の渡部尚市長が長兄の自宅を訪問し、志村家の仏壇に手を合わせたことを公表している。2025年の自宅売却・解体、遺品整理の実態、2026年の七回忌、記念館計画の現在まで、報道された経緯を整理する。
【まず結論】志村けん家は三鷹市と東村山市のどちらにあった?

「志村けん家」という言葉には、主に2つの意味がある。
1つは、芸能活動の拠点として長年暮らしていた東京都三鷹市の自宅。もう1つは、1950年に生まれた東京都東村山市の実家である。
両者は役割も現在の状況も異なる。
三鷹市の自宅は志村けんさんが長年暮らした邸宅
三鷹市の住宅は、志村さんが1987年ごろに構えた自宅だ。2階建てで7つの部屋を備えた住宅として報じられており、当時の購入価格は土地と建物を合わせて3億円超とも伝えられている。
2020年3月29日に亡くなった後は空き家となったが、親族が管理を続けていた。その後、2025年1月の売却、同年3月の解体工事へと進み、3月末には更地になったことが報道された。
東村山市の実家は生まれ故郷にある志村家の住まい
一方、東村山市の実家は志村さんの生まれ育った家族の場所だ。
長兄の知之さんが暮らす志村家との関係は、志村さんの死後も続いている。2020年には実家前にファン向けの献花台が設置され、2026年の七回忌には渡部市長が知之さん宅を訪れている。
つまり、三鷹の自宅がなくなったからといって、東村山の実家までなくなったわけではない。
【2025年の重大な変化】志村けんの三鷹の自宅はなぜ売却・解体された?
志村けんさんの自宅をめぐる大きな転換点は2025年だった。
女性セブン(2025年3月20日号)の取材記事によると、三鷹市の住宅は約5年間空き家状態が続き、2025年1月に大手不動産会社へ売却されたという。
1987年から続いた自宅の歴史
志村さんが三鷹市に家を構えたのは1987年ごろ。
2階建て、7部屋を備えた住宅で、芸能界での活躍が大きくなっていく時期に建てられた住まいだった。
自宅では映画を鑑賞する時間を大切にしていたとされ、コント研究のためのビデオテープやDVDなども大量に保管されていた。
また、三味線の練習に使った教材やメモなども残されていたと女性セブンは報じている。
外から見える豪邸というだけでなく、志村さんの創作活動を支える生活の場所でもあった。
解体を決断した理由は建物の管理が難しくなったこと
2020年の死去後、住宅は親族が相続した。
しかし、誰も住まなくなった住宅を維持することは簡単ではなかった。
女性セブンの2025年3月8日付報道では、長兄の知之さん夫妻が月に2回ほど住宅を訪れ、空気の入れ替えや庭の手入れをしていたと、知人が説明している。
ところが、知之さんは2024年ごろから足腰が弱り、杖が必要な状態になっていたという。
大きな住宅を継続して管理する負担は、年齢を重ねた親族にとって無視できない問題だった。
同記事によると、こうした事情を踏まえて2025年1月に大手不動産会社へ売却する判断に至った。
知之さんは住宅を手放した心境について、次のように語っている。
誰も住まなくなってから、もう5年も経ちますからね。ただただ朽ちていくのを見ているのもつらいですし、ずっとそのままっていうわけにもいかない。いつかは手をつけなきゃいけなかった。仕方なかったんですよ……。
(女性セブン2025年3月8日付報道)
この言葉からは、単純に不動産を処分したというだけではない、家族としての苦渋の決断がうかがえる。
2025年3月に解体、9月には更地と売却後の状況が報道された
自宅の解体工事は2025年3月に始まった。
FRIDAYデジタルは2025年4月3日付の記事で、3月末には建物が取り壊され、更地になっていたと報じている。
さらに2025年9月7日にはNEWSポストセブンが、5年間空き家だった住宅が解体され、土地も売却されたことを伝えた。
同記事では、跡地は約70坪で、北側と南側に分割して住宅用地として販売する構想が不動産関係者から語られている。
ただし、約2億円という数字は2棟の建売住宅として売り出す場合の見込みであり、志村さんの土地がその金額で売却されたと確定したものではない。
2026年10月現在、確認できる報道上の状況は、旧宅が解体され、土地が売却されたというところまでだ。跡地にどのような建物が完成したかについては、確定した情報が公表されていない。
【一目でわかる】志村けん家の売却・解体から2026年七回忌までの年表
ここでは、三鷹の自宅、東村山の実家、墓、仏壇に関する出来事を時系列で整理する。
| 時期 | 出来事 | 内容・現在の状況 |
|---|---|---|
| 1950年2月20日 | 東村山市で誕生 | 志村康徳さんとして生まれる |
| 1976年 | 志村けんの木 | 東村山駅前にケヤキ3本が植樹される |
| 1987年ごろ | 三鷹の自宅を建築 | 7部屋を備えた2階建て住宅 |
| 2020年3月29日 | 死去 | 70歳。自宅は空き家となる |
| 2021年6月 | 東村山駅前に銅像建立 | ファンや地元有志の支援による |
| 2025年1月 | 三鷹の自宅を売却 | 大手不動産会社への売却が報道される |
| 2025年3月 | 自宅の解体 | 建物が取り壊される |
| 2025年3月末 | 更地化 | FRIDAYデジタルが跡地を報道 |
| 2025年9月 | 売却後の状況を報道 | 遺品は処分され、兄が帽子1個を保管 |
| 2026年3月29日 | 七回忌 | 死去から丸6年 |
| 2026年4月1日 | 渡部市長が仏壇を訪問 | 長兄宅の志村家の仏壇に焼香 |
この年表から分かるのは、三鷹の自宅の処分と、東村山の家族による供養は別々の出来事として続いているという点だ。
特に2026年の七回忌は、三鷹の住宅がなくなった後も、志村家の家族の中で故人を偲ぶ時間が大切にされていることを示している。
【実家と墓の現在】東村山市に残る志村けんさんの家族の記憶
志村けんさんの実家がある東村山市は、単なる出身地ではない。
芸能界に入る前の生活や家族との思い出が残る場所であり、亡くなった後もファンが訪れる地域となっている。
志村けんさんの実家は東村山市の志村家
志村さんは1950年2月20日、東京都東村山市で生まれた。
3人兄弟の三男で、長兄が知之さんだ。
2025年の観光経済新聞の記事では、知之さんへの取材を通じて、志村家が代々続く農家だったことや、幼少期の家庭生活についても紹介されている。
志村さんは子どものころから人を笑わせることが好きで、家族や友人との暮らしの中で成長した。
芸能界で成功した後も、年に数回は東村山の実家に戻っていたという。
母親が亡くなった後も、長兄の妻が引き継いだ家庭料理を楽しんでいたというエピソードも伝えられている。
なお、実家は現在も家族の生活の場であり、観光施設や一般公開されている記念館ではない。正確な住所を探して訪問するような場所ではないことにも留意したい。
2020年には実家前に献花台が設置された
志村さんが亡くなった直後、東村山の実家には多くのファンが訪れた。
日刊スポーツの2020年4月1日付報道によると、長兄の知之さんは一般のファン向けに実家の縁側に献花台を設置した。
当時は花束や「バカ殿」関連のグッズなどが供えられた。
知之さんは、感染防止の観点から家の中には入れず、外に献花台を設けたと説明している。
この出来事は、志村さんが亡くなった後も、実家が多くの人にとって故人を偲ぶ象徴的な場所になっていたことを示している。
ただし、当時の献花台設置は一時的な対応であり、現在も実家が一般公開されているという意味ではない。
志村けんさんの墓は東村山市にある
志村さんのお墓も、出身地の東村山市にある。
2025年10月の観光経済新聞の記事では、梅岩寺の墓所に志村家の墓があり、志村さんの本名である「志村康徳」の名前が刻まれていると紹介された。
志村さんは2015年に96歳で亡くなった母・和子さんの隣に眠っている。
2023年の日刊ゲンダイの現地取材記事でも、墓前に花や酒などが供えられている様子が伝えられていた。
加えて、2026年4月のテレビ朝日系報道では、渡部市長が長兄から聞いた話として、墓には全国から訪れるファンの花や供物が絶えないと紹介している。
【2026年の七回忌】志村家の仏壇と長兄・知之さんの現在
2026年の大きな節目となったのが、3月29日の七回忌だ。
志村けんさんは2020年3月29日、新型コロナウイルスによる肺炎のため70歳で亡くなった。
仏教の年忌法要では、亡くなってから満6年を迎える年に七回忌を営む。そのため、2026年が志村さんの七回忌に当たる。
渡部尚市長が長兄の自宅を訪問
テレビ朝日系の2026年4月2日付報道によると、東村山市の渡部尚市長は4月1日に自身のSNSを更新し、七回忌に関する報告を行った。
市長は3月31日、長兄の知之さんの自宅を訪問していた。
その際、志村さんの位牌が安置された志村家の仏壇に焼香したという。
市長は自身の投稿で、次のように報告している。
志村家の仏壇にお線香をあげてまいりました
これは2026年の七回忌に関する、具体的な公表情報の一つだ。
重要なのは、この仏壇が三鷹市にあった旧自宅のものではなく、長兄・知之さんの自宅にある志村家の仏壇だという点である。
仏壇には志村けんさんの位牌が安置されている
市長の報告によると、仏壇には志村さんの位牌が安置されている。
三鷹の自宅が売却され、解体された後も、家族による供養は続いている。
これは、住宅という物理的な建物がなくなることと、家族の中で故人を偲ぶ場所が失われることは同じではないということを示している。
長兄・知之さんが守ってきた志村家のつながり
知之さんは、志村さんの死後、相続や自宅の管理、遺品整理などに向き合ってきた。
2021年の一周忌法要では、母・和子さんの七回忌も併せて営まれたことがスポニチで報じられている。
また、2025年の自宅売却に関する取材では、弟の思い出が詰まった家を手放す苦しさも語っていた。
2026年の七回忌に市長を自宅に迎えたことからも、志村さんを偲ぶ家族の時間が続いていることが分かる。
【遺品整理と記念館計画】志村けんの愛用品はどうなった?
三鷹の自宅の解体とともに注目されたのが、家の中に残されていた大量の遺品だ。
テレビ番組で見せていた衣装や小道具が保管されていたのではないかと考える人もいるが、実際の状況は少し異なる。
自宅に残されていた大量の荷物は業者に依頼して処分
女性セブンの2025年3月8日付報道によると、志村さんの自宅には次のような品々が残されていた。
- 大量のビデオテープやDVD
- 映画関連の資料や書籍
- レコード
- 衣類
- トロフィー
- 調理器具や食器
- 三味線の教材や練習資料
これらは単なる生活用品ではない。
映画を見てコントの研究を続けていた志村さんの創作活動や、日常生活の一端を伝える品々だった。
しかし、すべてを親族が保管することは現実的に難しかった。
知之さんは女性セブンの取材に対し、業者に依頼して残された荷物を処分したことを明かしている。
その際、外部に漏らさず処分するという内容の契約書を交わしたという。
兄が持ち帰った遺品は愛用の帽子1個
2025年9月7日のNEWSポストセブンの取材で、知之さんが持ち帰った品についても報じられた。
それは「Shimura」のロゴが入ったデニム地のキャップだった。
志村さんは晩年、誕生日を迎えるごとに年齢と名前を入れたオリジナルキャップを作っていたという。
知之さんが持ち帰ったのは、志村さんが作った最後の帽子だった。
兄は、弟が気に入ってよく被っていた帽子を選び、現在は自分が散歩などに出かける際にも被っていると説明している。
大量の遺品を保管するのではなく、日常の中で使える思い出の品を一つ残したという話は、遺品整理の実態を伝える印象的なエピソードだ。
バカ殿様やヒゲダンスの衣装は自宅にあったのか
ここにも誤解がある。
2023年の週刊女性PRIMEの取材で、知之さんは「バカ殿様」や「ヒゲダンス」の衣装について、自宅に保管されていたものではなく、テレビ局や所属事務所の関係するものだと説明している。
したがって、三鷹の自宅に残された遺品がすべての番組衣装や代表的な小道具だったという理解は正しくない。
志村さんの芸能活動に関する資料や衣装などは、個人宅の遺品とは別に管理されているものもある。
志村けん記念館の計画はどうなった?
ファンの間で長く期待されてきたのが、東村山市に志村けん記念館を建設する構想だ。
志村さんの衣装や愛用品、コントの歴史などを展示する常設施設を望む声は、死去後から続いている。
しかし、2023年の週刊女性PRIMEの取材では、知之さんは記念館の計画について「その話はもうないですよ」と説明している。
その理由として挙げたのが、施設を維持するための人件費や管理費だった。
記念館は建設して終わりではない。来館者が減った場合も、建物の維持や展示品の管理を続けなければならない。
一方、2021年8月からはフジテレビやイザワオフィスなどが関係する「志村けんの大爆笑展」が開催され、全国の百貨店などで期間限定の展示が行われてきた。
つまり、常設の記念館と期間限定の展示イベントは別のものだ。
2026年10月現在、東村山市に常設の志村けん記念館が完成したという公表情報はない。
【東村山の記念スポット】志村けんの木と銅像は現在どうなっている?
三鷹の自宅がなくなった一方で、東村山市には志村さんの功績を伝える場所が残っている。
特に知られているのが、東村山駅東口の銅像と「志村けんの木」だ。
1976年に植えられた3本のケヤキ
「志村けんの木」と呼ばれるのは、東村山駅東口に植えられた3本のケヤキだ。
植樹されたのは1976年。
志村さんが「東村山音頭」などを通じて地元の知名度向上に貢献したことを記念したものだった。
2020年以降も、銅像とともにファンが訪れる場所として親しまれてきた。
銅像は2021年6月に建立
東村山駅前には、羽織袴姿で「アイーン」のポーズをする志村さんの銅像がある。
建立されたのは2021年6月。
ITmediaの2020年9月の報道によると、地元有志によるクラウドファンディングで設置資金を集めるプロジェクトが立ち上げられた。
2023年の日刊ゲンダイの現地取材では、約2700万円の支援を基に銅像が建立されたと紹介されている。
現在も東村山を代表する記念スポットの一つとなっている。
志村けんの木は駅前再整備で移植・伐採が検討されている
一方、2025年に新たな問題として報じられたのが、駅前広場の再整備に伴うケヤキの取り扱いだ。
女性セブンの2025年3月8日付報道では、駅前広場の再整備によって3本のうち2本が支障となり、移植または伐採が検討されていると紹介された。
2025年度の東村山市議会関連の報告でも、3本の移植にかかる費用として、専門業者への聞き取りで約700万〜1800万円という試算が示され、クラウドファンディングを含む財源確保が検討課題となっている。
ただし、これは移植や保存に向けた検討段階の情報であり、3本すべての移植が完了したという意味ではない。
2026年10月時点でも、今後の整備計画と木の保存方法については、東村山市の公表情報を確認する必要がある。
三鷹の自宅がなくなった今、東村山の銅像やケヤキは、志村さんの生涯と故郷とのつながりを伝える重要な存在になっている。
【プロの結論】志村けん家を調べるときに知っておきたい3つの事実
志村けんさんの住まいをめぐる情報は、三鷹の自宅、東村山の実家、墓、仏壇、記念館という複数の話題が混在しやすい。
ここで押さえておきたい判断基準は3つある。
1つ目は、三鷹の自宅と東村山の実家を混同しないこと。
三鷹の自宅は2025年に売却・解体された。一方、東村山は志村さんの生まれ故郷であり、長兄との家族のつながりが続いている場所だ。
2つ目は、遺品の処分と記念館の計画を区別すること。
三鷹の自宅に残された荷物は業者によって処分され、兄が持ち帰ったのは帽子1個だった。一方、番組衣装などはテレビ局や事務所が関係する別の管理対象である。
また、期間限定の展示イベントが開催されたことと、東村山に常設記念館が建設されたことは同じではない。
3つ目は、2026年の七回忌を家族による供養の節目として理解すること。
2026年4月の渡部市長の報告で明らかになったのは、長兄の自宅にある志村家の仏壇に志村さんの位牌が安置されていることだった。
自宅の解体によって物理的な住まいは失われたが、家族による供養や、東村山の墓前に花を供えるファンの思いは続いている。
【志村けん家に関するよくある質問(FAQ)】
Q1:志村けんさんの自宅はどこにありましたか?
A1:晩年の自宅は東京都三鷹市にありました。1987年ごろに建てられた2階建ての住宅で、7部屋を備えていたと報じられています。2025年1月に売却され、同年3月に解体されました。現在は建物が残っていません。
Q2:志村けんさんの実家も三鷹市にありますか?
A2:いいえ。実家は出身地の東京都東村山市にあります。長兄の知之さんが暮らす志村家の住まいで、2026年の七回忌には渡部尚市長が訪問し、仏壇に焼香したことが報道されています。
Q3:2026年の七回忌で志村けんさんの仏壇や位牌はどうなっていましたか?
A3:2026年4月2日のテレビ朝日系報道によると、志村さんの位牌は長兄・知之さんの自宅にある志村家の仏壇に安置されています。渡部市長は3月31日に訪問して焼香したことを公表しました。
まとめ:志村けん家の現在と東村山に残る故人の足跡
志村けんさんの自宅をめぐる2026年の状況を整理すると、三鷹市の旧自宅は2025年に売却・解体され、現在は建物が存在しない。一方、東村山市の実家は長兄・知之さんとの家族のつながりが続く場所であり、墓や仏壇を通じた供養も行われている。
2026年3月29日の七回忌、そして4月の渡部市長による仏壇への焼香は、志村さんが亡くなって6年が経過した後も、故郷と家族の中で大切に偲ばれていることを伝える出来事だった。
常設の記念館は実現していないものの、東村山駅前には銅像があり、「志村けんの木」の保存についても地域で検討が続いている。
家という建物はなくなっても、志村けんさんが残した笑いと、故郷・東村山とのつながりは消えていない。これからも家族による供養と地域の記憶、そして作品を通じて、多くの人にその存在が受け継がれていく。
主な事実確認資料: 女性セブン(2025年3月)、FRIDAYデジタル(2025年4月)、NEWSポストセブン(2025年9月)、テレビ朝日系(2026年4月)、日刊スポーツ、スポニチ、観光経済新聞。