2026年現在、52歳となった俳優・渋川清彦。映画やドラマで独特の存在感を放つ彼には、俳優として知られる以前に「KEE(キー)」という名前でファッションモデルとして活躍していた時代がある。18歳で群馬県から上京し、19歳で写真家ナン・ゴールディンと出会ったことが、その後の人生を大きく変えた。
ロカビリーに傾倒した若い頃のファッション、荒木経惟やホンマタカシとの出会い、『MEN'S NON-NO』『smart』『CUTiE』などの雑誌出演、1998年の映画『ポルノスター』でのデビュー。さらに2006年の改名理由や、2026年の最新出演作品までをたどると、現在の渋川清彦につながる意外なキャリアの連続が見えてくる。
【若い頃】渋川清彦は18歳で上京!俳優になる前はプロのドラマー志望だった

渋川清彦は1974年7月2日生まれ、群馬県渋川市出身。本名は田中清彦で、身長は175cm。現在の芸名にもなっている「渋川」は、実際の出身地に由来している。
若い頃の渋川を語るうえで欠かせないのが、音楽への強い関心だ。もともと俳優を目指して芸能界に入ったわけではなく、少年時代からドラムに親しみ、高校時代にはバンド活動に熱中していた。
中学生からドラムを始め、高校時代には複数のバンドを掛け持ち
2020年に公開された文春オンライン系メディア「CREA WEB」のインタビューでは、ドラムを始めたきっかけについて本人が振り返っている。
小学生の頃から親しくしていた親戚のお兄さんが、ビートルズのコピーを演奏する姿に憧れ、中学3年生でバンドを始めたという。最初は群馬出身のBOØWYのコピーなどに取り組み、高校時代には5つほどのバンドを掛け持ちしていた。
当時の渋川にとって、音楽は単なる趣味ではなかった。将来はプロとして活動することを考えるほど、生活の中心にあった存在だった。
18歳で東京へ。音楽専門学校に通いながら新しい生活を始める
高校卒業後、渋川は18歳で上京する。目指していたのは俳優ではなく、プロのミュージシャンだった。
音楽専門学校に進学し、ドラムを学ぶ生活を始めたが、学校は長く続かなかった。本人のインタビューによれば、東京での生活が楽しくなり、次第に学校から足が遠のいて中退したという。
上京後のこの時期は、後のモデル活動につながる人脈やカルチャーに接近していく準備期間でもあった。音楽、ファッション、写真といった異なる表現の世界が交わる東京の街で、渋川の人生は予想外の方向へ進んでいく。
【KEE時代】19歳でナン・ゴールディンと出会い、荒木経惟・ホンマタカシとの縁が生まれる
渋川清彦の若い頃を象徴する出来事が、19歳のときに訪れた写真家ナン・ゴールディンとの出会いだ。
2025年3月公開の「smart Web」のインタビューで、渋川は当時の出会いについて詳しく語っている。地下鉄で移動していた際、写真家のナン・ゴールディンから声をかけられたことが、モデル活動のきっかけだった。
写真集『TOKYO LOVE』のモデルに抜擢された偶然
ナン・ゴールディンは、日常の人間関係や都市生活を率直な写真表現で切り取ることで知られるアメリカの写真家だ。
当時、彼女は写真集『TOKYO LOVE』のために東京でモデルを探していた。他のモデルには紹介を通じて声をかけていた一方、渋川には偶然街で出会って直接声をかけたという。
渋川がモデルとして選ばれた背景には、当時の独特なファッションもあった。本人によると、バンド活動に熱中していた頃はロカビリーを強く意識し、髪を立てたスタイルやロカビリー風の服装を日常的に楽しんでいた。
整ったモデルらしさを追求するというより、自分の好きな音楽やカルチャーをそのまま身につけていた。その個性が写真家の目に留まったと考えられる。
荒木経惟との出会いからホンマタカシの撮影へ
ナン・ゴールディンとの出会いは、さらに別の写真家との縁を生んだ。
渋川のインタビューによると、ナンにさまざまな場所へ連れて行ってもらうなかで、新宿のジャズバー「DUG」を訪れたことがあった。そこには写真家の荒木経惟がおり、さらに写真家のホンマタカシも居合わせていた。
ホンマタカシとの最初の撮影は、ドイツの雑誌向けの仕事だったと本人は振り返っている。これがモデルとしての本格的な写真撮影につながった。
つまり、ナン・ゴールディンとの偶然の出会いが、荒木経惟やホンマタカシという日本の写真・アートシーンを代表する人物との接点を生み、ファッション誌での活動へとつながったのである。
【若い頃の画像】KEE名義で『MEN'S NON-NO』『smart』『CUTiE』に出演
渋川清彦の若い頃の画像を探している人にとって、注目したいのがKEE名義で活動していた1990年代の写真だ。
当時の写真から読み取れる大きな特徴は、ロカビリーや音楽カルチャーを背景にした独自のスタイル。現在の俳優としての印象とは異なる、ファッションモデルとしての一面を知ることができる。
最初の掲載は『CUTiE』のKIDS COLLECTION
2025年の「smart Web」のインタビューでは、モデルとしての初期活動についても具体的に語られている。
渋川は『smart』に登場する以前に、宝島社のファッション誌『CUTiE』に出演していた。当時掲載されたのは、一般の若者が登場する「KIDS COLLECTION」というページだった。
その際、将来どのような人物になりたいかという趣旨のコメントでは、俳優マット・ディロンのようなクールな存在への憧れを示していたという。後年になっても関係者の間で話題になる、若き日のエピソードだ。
『smart』創刊号にも登場。ホンマタカシとの撮影が縁に
その後、ホンマタカシが撮影した『smart』創刊号のページにもKEEが登場する。
ただし、本人の説明では、写真を撮られたことと、職業として本格的にモデル活動を始めたことは同じではない。事務所に入って本格的に仕事をするようになったのは22〜23歳頃だったという。
『smart』では、1990年代のストリートファッションやカルチャーを背景に、KEEの個性的な雰囲気が誌面に登場した。
『MEN'S NON-NO』でも活躍したモデル時代
Smart FLASHの2020年のインタビュー記事でも、KEE名義で『MEN'S NON-NO』や『smart』などの誌面に登場していたことが紹介されている。
当時はファッションブランドのイベントも盛り上がっており、モデルとして活動するなかで、東京のファッション業界や写真家、クリエイターとの交流も広がっていった。
本人は後年、モデルの仕事について、映画の現場と比べてファッション業界の待遇や食事などが華やかだったことを懐かしそうに振り返っている。
若い頃の写真を探す場合は、次の資料が手がかりになる。
- 『CUTiE』のKIDS COLLECTIONに掲載された初期の写真。
- ホンマタカシが撮影した『smart』創刊号の誌面。
- 『MEN'S NON-NO』などの1990年代のバックナンバー。
- 2025年3月公開の「smart Web」の回顧インタビューと掲載画像。
特に「KEE」という名前で探すと、現在の芸名だけで検索する場合とは異なる若い頃の写真や活動記録にたどり着きやすい。
【経歴年表・人物相関】1998年『ポルノスター』で映画デビューした転機
モデルとしての知名度を高めていた渋川に、俳優としての道を開いたのが映画監督・豊田利晃との出会いだった。
豊田監督は、ナン・ゴールディンが撮影した『TOKYO LOVE』のポストカードに写っていた渋川の写真を見て、映画への起用を考えたという。写真家との出会いが映画監督との縁を生み、モデルから俳優へと活動の幅が広がった。
映画デビューは1998年。ただし、テレビ出演はそれ以前から
1998年、豊田利晃監督の映画『ポルノスター』で映画デビュー。所属事務所ディケイドの公式プロフィールにも、この作品が映画デビュー作として記載されている。
興味深いのは、映画デビューより前にテレビドラマへの出演経験があったことだ。smart Webのインタビューで本人は、最初のテレビ出演が『踊る大捜査線』だったと振り返っている。
したがって、1998年は俳優として初めて演技をした年というより、映画の世界に本格的に踏み出した節目として理解すると分かりやすい。
豊田利晃監督作品との長い関係
渋川と豊田監督の関係は『ポルノスター』だけでは終わらなかった。
2025年のsmart Webのインタビューでは、豊田監督の作品には『アンチェイン』を除いてほぼ出演してきたと本人が説明している。映画デビューから長年にわたって続く、監督と俳優の関係だ。
渋川の出演作には『青い春』『ナイン・ソウルズ』などの豊田作品をはじめ、数多くの映画がある。2013年には『そして泥船はゆく』で初主演を務め、その後も『お盆の弟』『アレノ』などで主演を担当した。
『お盆の弟』と『アレノ』の2作品では、第37回ヨコハマ映画祭主演男優賞を受賞している。モデル出身という経歴を超えて、映画界で俳優として評価を確立していった。
渋川清彦の人物・作品・転換点を一覧で整理
| 時期・人物 | 出来事・関係 | キャリア上の意味 |
|---|---|---|
| 1974年 | 群馬県渋川市で誕生 | 現在の芸名の由来となる土地 |
| 18歳 | 音楽活動を目指して上京 | 専門学校に通いながら東京生活を開始 |
| 19歳・ナン・ゴールディン | 地下鉄で声をかけられ『TOKYO LOVE』のモデルに | 写真・ファッション業界との出会い |
| 荒木経惟 | 新宿のジャズバーDUGで出会う | 写真家やアート関係者との交流 |
| ホンマタカシ | ドイツの雑誌向け撮影を経験 | モデルとしての写真撮影の出発点 |
| 22〜23歳頃 | 事務所に入り本格的なモデル活動 | CUTiE、smart、MEN'S NON-NOなどで活躍 |
| 1998年 | 豊田利晃監督『ポルノスター』 | 映画デビュー |
| 2006年 | KEEから渋川清彦に改名 | 現在の芸名で俳優活動を継続 |
| 第37回ヨコハマ映画祭 | 『お盆の弟』『アレノ』で主演男優賞 | 俳優としての評価を確立 |
| 2026年 | 映画・テレビドラマに出演 | 映画を中心に幅広い活動を継続 |
【改名理由】2006年にKEEから渋川清彦へ!芸名に込めた意味とは
渋川清彦について検索される疑問の一つが、なぜKEEから現在の名前に変更したのかという点だ。
結論からいえば、2006年の改名は本人が人生の節目として決めたものだった。所属事務所やCREA WEBのプロフィールでも、2006年から現在の芸名を使用していることが紹介されている。
芸名の「渋川」は生まれ育った地元から
2025年のsmart Webのインタビューで、渋川は改名について、ひとつの区切りとして名前を変えたと説明している。
新しい名字には、出身地である群馬県渋川市の地名を採用した。姓名判断などを細かく調べて決めたわけではなく、自分にゆかりのある土地の名前を選んだという。
また、当時は俳優の渥美清に関心を持っていたことや、時代劇に親しんでいたことも、名前を考える際の背景として挙げている。
「KEE」という名前も本人の愛称に由来する。CREA WEBのインタビューによると、子どもの頃から清彦の名前をもじって「きーちゃん」と呼ばれており、ナン・ゴールディンからもKEEと呼ばれていたことが芸名につながった。
つまり、KEEは写真家との出会いから生まれた名前であり、渋川清彦は自分のルーツを意識した名前だった。
若い頃と現在の比較で見える変化
若い頃と現在の渋川を比較すると、最も大きく変わったのは外見だけではなく、表現する場所と役割だ。
- 若い頃:ロカビリーやバンドカルチャーを背景にしたKEE名義のファッションモデル。
- 映画デビュー期:『ポルノスター』をきっかけに、インディーズ映画や個性的な作品に出演。
- 現在:映画、テレビドラマ、配信作品などで幅広い役柄を演じる俳優。
モデル時代の写真には、当時の音楽やストリートファッションの空気が色濃く残っている。一方、現在は作品ごとに異なる人物像を演じ分け、主演から脇役まで幅広く活動している。
興味深いのは、モデル時代の個性的な雰囲気が、俳優としての存在感にもつながっている点だ。若い頃に培ったファッションやカルチャーへの感覚は、単なる過去の経歴ではなく、現在の表現を支える背景の一つになっている。
【2026年最新】渋川清彦の出演作品は?映画・ドラマの活動を紹介
2026年11月3日現在、渋川清彦は52歳。所属事務所ディケイドの公式プロフィールには、映画やドラマ、CMなど複数の出演情報が掲載されている。
2026年は映画だけでなく、NHK、日本テレビ、テレビ東京、Netflixなど、異なる媒体での活動が目立つ年となっている。
2026年の主な映画出演作品
- 『TOKYO BURST-犯罪都市-』:2026年5月29日公開。内田英治監督のクライムアクション映画で、小林清一役を担当。
- 『黒牢城』:2026年6月19日公開。黒沢清監督の歴史ミステリー映画。渋川は雑賀孫六役で出演。
- 『八つ墓村』:2026年9月18日公開。清水崇監督による横溝正史原作の映画で、出演者の一人として名を連ねる。
- 『このごにおよんで愛など』:2026年11月27日公開予定。広瀬奈々子監督、長澤まさみ、柄本佑、石橋静河らが出演する作品で、渋川は副島光弘役を務める。
特に『黒牢城』は、米澤穂信の小説を黒沢清監督が映画化した作品。本木雅弘、菅田将暉、吉高由里子らと共演している。
また、『このごにおよんで愛など』は11月27日の公開を控えており、11月3日時点では今後の劇場公開作品として注目される。
2026年の主なテレビ・配信ドラマ
- 『ラジオスター』(NHK):西川役。福地桃子、甲本雅裕、常盤貴子らと共演。
- 『月夜行路 ―答えは名作の中に―』(日本テレビ):小湊弘樹役。波瑠、麻生久美子らが出演するドラマ。
- 『最後ののれん‐新太と絶メシの夏‐』(テレビ東京):津川秀一役。2026年9月に放送された作品。
- 『俺のこと、なんか言ってた?』(Netflix):所属事務所の2026年出演作品一覧に掲載されている。
これらの作品からも、渋川が映画だけに活動の場を限定していないことが分かる。社会派ドラマ、ミステリー、ヒューマンコメディ、日常を描く作品など、ジャンルを横断して出演している。
2027年公開予定の『映画 九条の大罪』にも出演
2026年の活動とあわせて注目したいのが、翌年の出演予定作品だ。
東宝が2026年9月に発表した『映画 九条の大罪』の追加キャスト情報では、渋川清彦が御手洗武人役を演じることが明らかになった。
本作は柳楽優弥主演、土井裕泰監督による作品で、2027年1月8日公開予定。ヤクザの若頭・京極の兄弟分という役柄で、渋川の持ち味を生かした人物表現にも期待が集まる。
なお、これは2026年公開作品ではなく、2027年の公開予定作品だ。2026年の出演実績と翌年の予定を分けて把握しておきたい。
【渋川清彦の若い頃】に関するよくある質問(FAQ)
Q1:渋川清彦は若い頃、何歳で上京した?
A1:18歳で群馬県から東京へ上京した。プロのドラマーを目指して音楽専門学校に通い、その後19歳で写真家ナン・ゴールディンと出会った。
Q2:渋川清彦のモデル時代の名前は?
A2:KEE(キー)。『CUTiE』『smart』『MEN'S NON-NO』などのファッション誌でモデルとして活動していた。KEEという名前は、本人の愛称に由来している。
Q3:渋川清彦の映画デビュー作は何?
A3:1998年公開の豊田利晃監督作品『ポルノスター』。ナン・ゴールディンが撮影した写真を豊田監督が見たことが、映画出演につながった。
まとめ:渋川清彦の若い頃を知ると現在の魅力がもっと分かる
渋川清彦の若い頃は、俳優という肩書きだけでは説明できない、音楽・写真・ファッションが交差する時代だった。
18歳で上京し、プロのドラマーを目指していた青年が、19歳でナン・ゴールディンに声をかけられたことからモデルの道へ。荒木経惟やホンマタカシとの出会いを経て、KEE名義で『CUTiE』『smart』『MEN'S NON-NO』などに登場するようになった。
そして1998年の『ポルノスター』で映画デビュー。豊田利晃監督との長い関係を築きながら出演作を重ね、2006年には出身地にちなんだ渋川清彦という名前へ変更した。
若い頃のKEE時代と現在を比較すると、モデルから俳優へと活動の中心が移ったことが大きな変化だ。しかし、ロカビリーや音楽、独自のカルチャーを大切にしてきた背景は、現在の個性的な演技にも通じている。
2026年も『TOKYO BURST-犯罪都市-』『黒牢城』『八つ墓村』などの映画に加え、テレビドラマや配信作品で活躍。さらに2027年公開予定の『映画 九条の大罪』への出演も決まっている。
渋川清彦の魅力は、若い頃から一貫して自分の感覚を大切にしながら、表現の場を広げてきたことにある。KEE時代の写真やモデル活動を知ることで、現在の俳優としての存在感をより深く理解できるはずだ。