藤木豪心(ふじき・ごうしん)選手は、2026年ミラノ・コルティナ冬季オリンピックにフリースタイルスキー男子モーグル日本代表として出場した元トップアスリートです。男子モーグル23位、男子デュアルモーグル18位という結果を残し、妹の藤木日菜選手とともに兄妹で初めての五輪出場を果たしました。
一方、藤木豪心選手には、サンテレビのスポーツディレクターというもう一つの顔があります。2023年にテレビ局へ入社した後も競技を続け、2025年10月からは休職して五輪出場を目指しました。そして大会終了後、今季限りで競技生活に区切りをつける意向を表明。2026年現在は、競技者からテレビ制作の仕事へとキャリアの軸を移す転換期を迎えています。
【プロフィール】藤木豪心とは?年齢・出身地・学歴・所属先を紹介

藤木豪心選手は、大阪府阪南市出身のフリースタイルスキー・モーグル選手です。幼少期からスキーに親しみ、ジュニア時代から全国大会や国際大会で実績を積み上げてきました。
競技者としての所属先はイマトク。社会人としてはサンテレビジョンの社員であり、スポーツ部のディレクターを務めてきました。
藤木豪心の基本プロフィール
| 項目 | プロフィール |
|---|---|
| 名前 | 藤木豪心 |
| 読み方 | ふじき・ごうしん |
| 生年月日 | 1997年5月31日 |
| 年齢 | 29歳(2026年10月現在) |
| 出身地 | 大阪府阪南市 |
| 最終学歴 | 立命館大学 |
| 出身高校 | 桃山学院高等学校 |
| 競技 | フリースタイルスキー・モーグル |
| 競技所属先 | イマトク |
| 勤務先 | 株式会社サンテレビジョン |
| 仕事 | スポーツ部ディレクター |
| 主な五輪出場 | ミラノ・コルティナ2026 |
上記の生年月日や最終学歴、競技所属先は日本オリンピック委員会(JOC)の選手プロフィールにも掲載されています。なお、五輪開会式時点では28歳で、2026年5月31日に29歳を迎えています。
イマトクとは?サンテレビとの関係
藤木選手の名前を調べると、所属先として「イマトク」という名称が登場します。
これはサンテレビとは別の競技上の所属・支援に関係する名称です。サンテレビの2025年2月の紹介記事では、立命館大学1年時から調剤薬局のイマトクメディック(大阪府堺市)から遠征費用などの支援を受けて競技を続けてきたことが紹介されています。
つまり、サンテレビは勤務先、イマトクは競技活動における所属先として理解すると分かりやすいでしょう。両者を同じ会社として扱うのは正確ではありません。
【経歴・競技成績】ジュニア優勝からW杯5位、五輪出場までの軌跡
藤木豪心選手の競技人生は、幼少期のスキー経験から始まります。父親の影響で3歳からスキーを始め、9歳ごろからモーグル競技に取り組むようになりました。
モーグルは、雪面に連続して設けられたコブを滑り降りながら、途中のジャンプ台でエア技を披露する競技です。ターンの技術、エアの完成度、滑走スピードなどが総合的に評価されます。
ジュニア時代から頭角を現す
2013年、藤木選手はJOCジュニアオリンピックカップの中学生の部で優勝しました。翌2014年には同大会の総合優勝を達成。桃山学院高校在学中に全国レベルの実績を残し、将来を期待される選手へと成長しました。
2016年には立命館大学へ進学。大学時代も競技活動を続け、2017年12月にはワールドカップ中国・太舞大会で5位に入賞します。さらに2018年のW杯でも6位に入るなど、国際舞台で上位を狙える実力を示しました。
平昌・北京五輪への挑戦と大きな壁
藤木選手は2018年の平昌冬季オリンピック、2022年の北京冬季オリンピックを目指していました。
しかし、平昌大会では代表入りを逃し、北京大会に向けては2020年1月のカナダでのワールドカップ公式練習中に前十字靱帯を断裂。復帰まで約1年を要し、競技に戻った後も本来の滑りを取り戻すことが難しく、北京五輪への出場は実現しませんでした。
それでも2022年の全日本選手権デュアルモーグルで優勝。競技者として実績を残したうえで、就職を機に一度は第一線から退く決断をしました。
藤木豪心の主な競技歴・年表
| 年 | 出来事・実績 | ポイント |
|---|---|---|
| 1997年 | 大阪府阪南市に誕生 | 父親の影響でスキーを始める |
| 2013年 | JOCジュニアオリンピックカップ中学生の部優勝 | ジュニア時代の代表的実績 |
| 2014年 | JOCジュニアオリンピックカップ総合優勝 | 桃山学院高校在学中 |
| 2016年 | 立命館大学入学 | 競技活動を継続 |
| 2017年 | W杯中国・太舞大会5位 | 国際大会で上位入賞 |
| 2018年 | W杯6位 | 平昌五輪代表入りはならず |
| 2020年 | 前十字靱帯を負傷 | 復帰まで約1年 |
| 2022年 | 全日本選手権デュアルモーグル優勝 | 北京五輪出場はならず |
| 2023年 | サンテレビジョン入社 | スポーツ部ディレクターに |
| 2024年 | W杯ウォータービル大会9位 | 全日本選手権3位 |
| 2025年 | W杯アルマトイ大会デュアル8位 | 五輪派遣推薦基準をクリア |
| 2025年 | W杯フィンランド・ルカ大会7位 | 五輪代表争いで好成績 |
| 2026年2月 | ミラノ・コルティナ冬季五輪 | 男子モーグル23位、デュアル18位 |
| 2026年3月 | 競技生活に区切り | ディレクターとしての仕事に軸足 |
この年表から分かるのは、藤木選手がジュニア時代から一貫して競技を続けてきた一方、大学卒業後には一般企業で働く道を選び、そこから再び五輪を目指したという点です。
特に2017年のW杯5位は、彼の国際的な実力を示す重要な実績です。2022年の全日本選手権優勝も、競技生活を再び考えるきっかけとなった大きな出来事でした。
【サンテレビでの仕事】阪神戦のディレクターとモーグル選手を両立した二刀流
藤木豪心選手を特徴づけるのが、テレビ局員とトップアスリートという二つの役割を持っていたことです。
2023年4月、藤木選手は株式会社サンテレビジョンに入社。スポーツ部に所属し、阪神タイガースの試合中継をはじめ、スポーツ番組や高校スポーツの制作などに携わってきました。
担当していたのは阪神戦の中継やスポーツ番組
サンテレビといえば、阪神タイガースの試合を試合終了まで中継する「サンテレビボックス席」で知られています。
藤木選手もスポーツディレクターとして阪神戦の中継に関わり、情報番組「熱血!タイガース党」などの制作にも携わっていました。高校サッカーなどのスポーツ分野も担当しており、単に競技経験を持つ社員というだけでなく、現場の制作スタッフとしてキャリアを積んでいました。
2026年2月のデイリースポーツの報道では、中継車内で約10台のカメラ映像から放送する画面を切り替える業務も担当していたと紹介されています。入社3年目での重要な仕事への起用には、選手としての経験や競技を見る感覚も期待されていました。
仕事と競技を両立するための生活
藤木選手は入社後もモーグルを完全には手放しませんでした。
夏休みにはウォータージャンプ施設などで練習し、シーズン中は休日や有給休暇、代休を使って大会に出場。ナイター中継がある日にも出社前にトレーニングを行うなど、仕事と競技を並行させていました。
サンテレビの2025年2月の報道によると、当時のW杯出場に際しては公休や年休を組み合わせ、連続14日間の休みを取得。職場の理解と協力を得ながら国際大会に参戦していました。
2025年10月から休職して五輪に集中
転機となったのは、2025年シーズンです。
2025年3月のW杯アルマトイ大会でデュアルモーグル8位に入り、五輪派遣推薦基準をクリア。さらにW杯でポイントを積み重ね、代表入りへの可能性を高めました。
上司に五輪を目指したいと相談したところ、休職という選択肢を提案されたとデイリースポーツは報道しています。
そして2025年10月下旬から休職し、競技に専念。仕事を辞めるのではなく、会社に籍を置いたまま五輪に向けて準備する道を選びました。
この働き方は、競技を続けたい社会人アスリートにとっても参考になる事例です。職場の協力、競技団体の選考基準、本人の競技力、休職期間の確保という複数の条件がそろったからこそ実現しました。
【ミラノ・コルティナ2026】男子モーグル23位・デュアルモーグル18位の結果
2026年2月、藤木豪心選手は念願だったミラノ・コルティナ冬季オリンピックに出場しました。
2018年の平昌、2022年の北京と、過去2大会では届かなかった五輪の舞台です。サンテレビの社員として仕事を続けながら競技を再開した選手が、28歳で初めてオリンピックのスタート地点に立ちました。
男子モーグルは23位
男子モーグルでは、予選を突破して決勝へ進むことを目指しました。
しかし、予選2回目で思うように得点を伸ばせず、最終順位は23位。スポニチの報道によると、2回目は65.44点で、1回目の73.68点を上回ることができませんでした。
第1エア後のターンで乱れが生じ、決勝進出には届きませんでした。本人も攻める姿勢を持って滑った一方、コントロールしきれなかったことへの悔しさを語っています。
男子デュアルモーグルは18位
続く男子デュアルモーグルでは、2人の選手が並んで滑り、直接対決する形式で競いました。
藤木選手は1回戦に進出しましたが、オーストラリアのJ・ハービー選手に先着を許し、敗退。最終順位は18位となりました。
デイリースポーツの報道では、藤木選手はデュアルの滑りについて、序盤から攻めることができ、自分らしさを出せたという手応えを示しています。
五輪の結果をどう評価するべきか
メダル獲得や決勝進出という目標から見れば、男子モーグル23位、デュアルモーグル18位は満足できる結果ではなかった可能性があります。
しかし、藤木選手の場合、五輪出場までの過程そのものに大きな意味があります。
前十字靱帯断裂からの復帰、平昌・北京の代表落選、社会人としての仕事、再び競技に向き合う決断。そして2025年10月からの休職を経て、ようやくたどり着いた初めての五輪でした。
サンテレビの帰国報道では、本人が大会を振り返り、仕事との両立で苦労した時期もあったものの、五輪出場によってすべてが報われたという趣旨のコメントを残しています。
【兄妹で五輪出場】妹・藤木日菜との関係とモーグルの実績
藤木豪心選手の五輪出場とともに注目されたのが、妹の藤木日菜(ふじき・ひな)選手との兄妹出場です。
2人はともに大阪府阪南市出身で、幼少期からスキーに取り組んできました。兄妹で同じ競技に向き合い、ワールドカップにも参戦。それぞれが日本代表入りを果たし、2026年のミラノ・コルティナ冬季オリンピックにそろって出場しました。
妹・藤木日菜も女子モーグル日本代表
藤木日菜選手は2001年4月17日生まれ。2026年の五輪時点では24歳で、武庫川女子大学大学院に在籍していました。
兄と同じく父親の影響でスキーを始め、競技者として成長。2025年シーズンにはナショナルチーム入りを果たし、ワールドカップでも実績を積み重ねて代表の座をつかみました。
日刊スポーツの2026年1月28日の報道によると、日菜選手は兄と同じ五輪の舞台に立てることを喜び、両親への恩返しにもなるという思いを語っています。
兄妹それぞれの五輪出場が実現
2026年1月26日の日本代表会見では、豪心選手と日菜選手がそろって出席。兄は妹との同時出場を喜び、妹も兄の背中を追ってきたことを振り返りました。
関西テレビの報道では、日本モーグル界で兄妹そろっての五輪出場は史上初と紹介されています。
兄妹で同じ競技に取り組んできたからこそ、国際大会でともに戦うことの喜びは大きかったはずです。五輪の結果だけでは測れない、家族としての目標達成も大きな出来事でした。
なお、兄妹の出場はそれぞれが個人競技で代表資格を獲得した結果です。兄が妹の代表入りを代替したり、家族枠によって出場したりしたわけではありません。
【引退理由と2026年現在】五輪後に競技生活へ区切りをつけた背景
藤木豪心選手は、ミラノ・コルティナ五輪終了後の2026年2月、今季限りで競技の第一線から退く意向を明らかにしました。
28歳という年齢での引退表明に驚いた人もいる可能性があります。しかし、これまでの経歴をたどると、その決断には複数の背景がありました。
引退理由1:過去の大きなけがと身体への負担
最も大きな要素の一つが、長年にわたる身体への負担です。
2020年1月にはカナダでのW杯公式練習中に前十字靱帯を断裂し、復帰まで約1年を要しました。
さらに2025年2月のサンテレビの取材では、本人が膝への負担について言及しています。競技を続けてきた身体への負担に加え、会社にいつまでも迷惑をかけるわけにはいかないという考えも示していました。
モーグルは、連続するコブを高速で滑走するため、膝や下半身に大きな負荷がかかる競技です。長期的に競技を続けるには、身体の状態と向き合う必要があります。
引退理由2:五輪という長年の目標を達成した
藤木選手は平昌、北京と2度の五輪出場を逃してきました。
2023年にサンテレビへ入社した際にも、一度は競技の第一線から退く決断をしています。それでも、2022年の全日本選手権優勝を経て競技への意欲が戻り、社会人になってからの方がスキーを楽しめるようになったと、2025年のサンテレビの取材で振り返っています。
そして、最後の五輪挑戦と位置づけたミラノ・コルティナ大会で、念願のオリンピック出場を実現しました。
2026年2月19日の神戸新聞の報道では、本人は「やりきった」と述べ、競技経験をディレクターの仕事に生かしたいという考えを示しています。
引退理由3:テレビ局員として次のキャリアへ
藤木選手の引退は、単に競技を続けられなくなったという話ではありません。
サンテレビのスポーツディレクターとしての仕事は、彼にとってもう一つのキャリアです。競技を離れることで、今後は制作現場での経験を積み、スポーツを伝える側として新しい役割を担うことができます。
アスリートとしての経験は、選手の心理や競技の難しさを理解するうえで強みになります。実際、サンテレビのスポーツ部長も、藤木選手が選手の気持ちやプレーを深く理解できる点に期待を寄せていました。
2026年3月、全日本選手権が競技生活の節目に
五輪終了後、サンテレビは藤木選手が3月に職場復帰する予定で、3月下旬に北海道で開催される全日本選手権で競技生活にピリオドを打つと報じました。
2026年3月22日のHBC北海道放送の大会報道では、全日本選手権後に今季限りで引退する選手たちが紹介され、藤木選手もその関係者の写真に登場しています。
こうした経緯から、2026年は藤木選手にとって競技生活を締めくくり、テレビ局員としてのキャリアに軸足を移す年となりました。
2026年10月現在の活動は?
2026年10月現在、藤木豪心選手について公表されている主な経歴は、ミラノ・コルティナ五輪への出場と競技生活からの引退意向、そしてサンテレビのスポーツ部ディレクターとしてのキャリアです。
五輪後には3月の職場復帰が予定されており、本人も競技経験をディレクターの仕事に生かす考えを明かしています。
現時点で、別のテレビ局への移籍や芸能活動への転身、モーグルの指導者への就任といった新しい進路が公表されたわけではありません。
今後は、競技者として培った経験を、スポーツ中継や番組制作でどのように生かしていくのかが注目されます。
【藤木豪心に関するよくある質問(FAQ)】
Q1:藤木豪心の年齢や出身地、学歴は?
A1:1997年5月31日生まれで、2026年10月現在29歳です。大阪府阪南市出身で、桃山学院高校を経て立命館大学を卒業しています。
Q2:藤木豪心のミラノ・コルティナ五輪の結果は?
A2:2026年大会の男子モーグルで23位、男子デュアルモーグルで18位でした。いずれもメダル獲得には届きませんでしたが、初めての五輪出場を実現しました。
Q3:藤木豪心の妹は誰?
A3:妹は女子モーグル選手の藤木日菜です。武庫川女子大学大学院に在籍していた2026年に兄とともにミラノ・コルティナ五輪へ出場しました。
Q4:藤木豪心はなぜ引退するの?
A4:長年の競技による膝への負担、過去の大きなけが、五輪出場という目標の達成などが背景にあります。本人は今季限りで競技の第一線を退く意向を示し、「やりきった」と語っています。
Q5:藤木豪心はサンテレビを退社した?
A5:退社したという発表はありません。2023年にサンテレビへ入社し、スポーツ部ディレクターとして働いてきました。五輪後は2026年3月の職場復帰が予定されていました。
Q6:藤木豪心の所属先イマトクとは?
A6:イマトクは競技活動における所属先としてJOCなどに掲載されている名称です。勤務先であるサンテレビとは別で、サンテレビの報道ではイマトクメディックから競技活動の支援を受けてきた経緯も紹介されています。
まとめ:藤木豪心は五輪出場を実現し、テレビディレクターとして新たな一歩へ
藤木豪心選手は、ジュニア時代からモーグル競技で実績を積み、W杯5位入賞や全日本選手権優勝などを経験してきた選手です。
平昌・北京の2大会では五輪出場を逃し、前十字靱帯断裂という大きなけがも経験しました。それでも2023年のサンテレビ入社後に競技を再開し、仕事と練習を両立させながら2026年のミラノ・コルティナ五輪出場を実現しました。
五輪の結果は男子モーグル23位、デュアルモーグル18位。メダルには届かなかったものの、妹の日菜選手との兄妹同時出場という大きな目標も達成しました。
そして2026年2月、今季限りでの引退を表明。身体への負担や長年追い続けた五輪への挑戦を終えたことを踏まえ、今後はディレクターとして競技経験を生かす道を選びました。
藤木豪心選手の歩みで注目したいのは、競技を辞めて別の仕事に就いた後も、再び夢に挑戦できたことです。アスリートとしてのキャリアを終えることは、スポーツとの関わりを終えることではありません。
今後、サンテレビのスポーツ中継や番組制作の現場で、選手としての経験を持つディレクターがどのような仕事を見せてくれるのか。藤木豪心選手の第二のキャリアにも期待が集まります。
主な参照資料: JOC公式選手プロフィール・五輪成績、サンテレビ公式選手紹介・ニュース、神戸新聞、デイリースポーツ、関西テレビ、日刊スポーツ、HBC北海道放送の2026年報道。