織田絆誠氏の読み方は、「おだ・よしのり」です。2017年の報道では50歳と紹介され、2026年10月の報道では1966年生まれとされています。
本名については、警察庁の公表資料に「織田絆誠こと金禎紀」と記載されています。大阪府警の指定暴力団一覧表でも、絆會の代表者は金禎紀とされています。したがって、織田絆誠と金禎紀は別人ではなく、同一人物を指す表記です。
基本情報
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 通称・活動名 | 織田絆誠 |
| 読み方 | おだ・よしのり |
| 本名 | 金禎紀 |
| 生年 | 1966年と報道 |
| 主な経歴 | 元山健組幹部 |
| 2017年の役職 | 任侠団体山口組代表 |
| 現在の肩書 | 絆會会長 |
| 関連組織 | 山健組、神戸山口組、任侠山口組、絆會 |
なお、出生地や家族構成、学歴などについては、信頼できる公的資料で確認できる情報が限られています。人物像を理解するうえでは、私生活の噂よりも、組織内での役職と2015年以降の動きを見ることが重要です。
【若い頃】山健組入りまでの経歴と井上邦雄との関係

織田氏の若い頃については、一般的な人物紹介記事だけでは分からない部分があります。
2026年10月25日に公開されたNEWSポストセブンの連載記事では、1966年生まれの織田氏は、もともと奈良の山口組直参組織である倉本組の幹部だったと紹介されています。
同記事によれば、抗争事件に関連して懲役12年の刑を受け、徳島刑務所で服役していた時期に、後の神戸山口組組長となる井上邦雄氏と知り合ったとされています。2002年に出所した後、その縁から山健組に移籍したという経歴です。
井上邦雄氏との関係は深かった
山健組の組長を務め、2015年の神戸山口組結成後は同組織のトップとなった人物。織田氏の組織内での昇進にも深く関係した。
織田氏は神戸山口組の結成後、若頭補佐に就任し、その後、若頭代行へと昇格しました。
2017年のSmart FLASHの取材記事では、井上氏の信頼を受けた腹心として紹介されています。単なる傘下組織の幹部ではなく、神戸山口組の運営や対外的な活動において存在感を持つ立場だったことが分かります。
この関係を踏まえると、2017年の離脱は単純な組織移籍ではありません。かつて信頼関係を築いたトップと袂を分かち、新しい組織を立ち上げるという大きな転換でした。
【離脱理由】織田絆誠が神戸山口組を離れた背景とは?
2017年4月、織田氏を中心とする一部幹部らが神戸山口組から離脱しました。
その背景には、組織運営、上納金、人事、幹部間の意見対立など、複数の問題があったと報道されています。
1. 組織運営と金銭面への不満
2017年6月のSmart FLASHのインタビューで、織田氏は離脱の理由について、自身の考えを説明しています。
主な主張は次のとおりです。
- 組織内の金銭的な負担に問題があった。
- 一部の組織や幹部が優遇されていると感じていた。
- 下部組織からの意見や進言が十分に聞き入れられていなかった。
- 若手や中堅の構成員が将来に不安を抱えていた。
特に織田氏は、六代目山口組の運営を批判して離脱した神戸山口組が、内部では同じような問題を抱えていると考えていたことを明らかにしています。
また、井上氏が山健組の組長を兼務していたことによる組織内のバランスについても、不満を表明していました。
2. 井上邦雄氏との対立
織田氏は当初、井上氏の側近として知られていました。
しかし、神戸山口組の運営方針をめぐって意見の違いが表面化し、最終的に離脱へと進みます。
神戸新聞の2018年の報道では、山健組の組長人事をめぐる対立も神戸山口組の分裂につながった背景として指摘されています。
つまり、織田氏の離脱は井上氏個人との関係だけで説明できるものではありません。組織内の権力構造や人事、運営方針をめぐる不満が重なった結果として見る必要があります。
3. 織田氏自身が説明した離脱の目的
興味深いのは、織田氏自身が離脱を単なる独立ではなく、山口組の再統一を目指す行動として説明していたことです。
2017年のインタビューでは、若手・中堅を中心とした新しい組織をつくり、既存組織の問題を正していくという考えを示しました。
ただし、これはあくまで本人が語った組織理念です。実際の組織運営やその後の抗争の推移とは区別して理解する必要があります。
【年表】任侠山口組の結成から絆會への改称まで
織田氏の経歴を理解するには、組織の名称変更と山口組の分裂を時系列で整理するのが分かりやすいでしょう。
| 年月 | 出来事 | 背景・意味 |
|---|---|---|
| 2015年8月 | 神戸山口組が結成 | 六代目山口組から直系組長らが離脱 |
| 2017年4月30日 | 任侠団体山口組が結成を表明 | 織田氏らが神戸山口組から離脱 |
| 2017年8月 | 任侠山口組へ改称 | 組織名称を変更 |
| 2017年9月 | 織田氏らの乗る車が襲撃される | 関係者が死亡する事件が発生 |
| 2018年3月 | 指定暴力団に指定 | 兵庫県公安委員会が指定 |
| 2020年2月 | 絆會へ改称 | 任侠山口組から名称変更 |
| 2024年6月 | 特定抗争指定 | 六代目山口組との関係で指定 |
| 2026年9月21日 | 特定抗争指定が解除 | 六代目山口組との間の指定が終了 |
警察庁の組織犯罪情勢資料でも、2017年4月の任侠山口組結成、2020年2月の絆會への名称変更が記録されています。
任侠団体山口組から任侠山口組へ
2017年4月30日、神戸山口組を離脱した一部の幹部らが「任侠団体山口組」の結成を表明しました。
結成当初は、従来の暴力団組織とは異なる運営方針を掲げていた点も注目されました。
同年8月には「任侠山口組」へと名称を変更。短期間で組織名が変わった背景には、名称の浸透や表記上の問題などがあったと神戸新聞は報じています。
2020年2月、絆會に改称
2020年2月、任侠山口組は「絆會」へ名称を変更しました。
これによって、山口組という名称を組織名から外し、新たな名称で活動することになりました。
ただし、名前が変わったからといって、組織の成り立ちや過去の対立関係が消えるわけではありません。
警察庁の資料でも、任侠山口組と絆會は同一の組織の名称変更として扱われています。
【現在】2026年の織田絆誠と絆會の勢力・最新報道
2026年11月現在、絆會は大阪府警の指定暴力団一覧表に掲載されています。
同一覧表によると、絆會の情報は次のとおりです。
| 項目 | 大阪府警の公表内容 |
|---|---|
| 組織名 | 絆會 |
| 主たる事務所 | 大阪府寝屋川市 |
| 代表者 | 金禎紀 |
| 勢力範囲 | 1道1府9県 |
| 構成員数 | 約50人 |
出典:大阪府警「指定暴力団一覧表」。構成員数などの数値は2025年末時点。
この数字から読み取れるのは、絆會が全国規模で活動範囲を持つ一方、構成員数は約50人とされていることです。
なお、勢力範囲と構成員数は別の指標です。活動範囲が広いことだけで、組織の規模や実際の活動力を判断することはできません。
織田絆誠は現在も絆會の会長なのか
大阪府警の公表資料では、絆會の代表者は金禎紀と記載されています。
警察庁の過去の資料では、この人物は「織田絆誠こと金禎紀」と表記されています。
したがって、2026年に確認できる公的な組織情報では、織田絆誠氏と金禎紀氏は同一人物であり、絆會の代表者として登録されています。
一方、本人の日常生活や現在の具体的な活動場所、最近の個人的な発言などについては、継続的に確認できる公表情報が限られています。
2026年10月25日のNEWSポストセブンの記事も、主に山口組分裂当時の織田氏の役割を振り返る内容です。新たな組織運営方針や本人の最新声明を伝えるものではありません。
2024年のラーメン店主射殺事件と絆會
絆會をめぐる近年の重大事件として、2023年4月22日に神戸市長田区のラーメン店で発生した、山口組系組長の男性店主射殺事件があります。
2024年6月には、兵庫県警が絆會幹部らを組織犯罪処罰法違反などの容疑で逮捕したと神戸新聞が報じました。
この事件は六代目山口組と絆會の対立が再び注目されるきっかけとなり、同年6月の特定抗争指定にも関係しています。
【2026年9月】絆會の特定抗争指定解除は何を意味するのか?
2026年の織田絆誠・絆會関連報道で特に重要なのが、六代目山口組と絆會の間に適用されていた特定抗争指定の解除です。
解除が決まった経緯
2026年9月3日、兵庫県や大阪府など8府県の公安委員会が、六代目山口組と絆會に対する特定抗争指定を延長しないことを決定しました。
背景には、両組織の抗争とみられる事件が約3年5か月間発生していなかったことがあります。
また、警察による組織幹部への聞き取りなども判断材料になりました。
そして、2026年9月21日、両組織の間の特定抗争指定は実際に解除されました。
特定抗争指定が解除されると何が変わる?
特定抗争指定は、対立する暴力団による重大な危害を防ぐため、警戒区域内での活動を厳しく制限する制度です。
指定されると、主に次のような制限が課されます。
- 警戒区域内での暴力団事務所の使用や新設の禁止
- おおむね5人以上で集まることの禁止
- 敵対する組織の関係者への接近の禁止
今回の解除によって、六代目山口組と絆會の間に適用されていた、これらの特定抗争指定に基づく制限は終了しました。
解除は抗争の完全終結を意味するのか
ここが最も誤解されやすいポイントです。
特定抗争指定の解除は、暴力団の解散や組織間の和解を意味しません。
今回の解除は、あくまで六代目山口組と絆會の間で適用されていた特定抗争指定について、公安委員会が延長を見送ったという行政上の判断です。
さらに重要なのは、六代目山口組と神戸山口組の間では、別の特定抗争指定が継続していることです。
2026年9月17日には、兵庫県など9府県の公安委員会が両組織に対する指定を3か月延長し、期限を2027年1月6日までとすることを決定しました。
したがって、山口組分裂をめぐるすべての対立が終わったわけではありません。
また、絆會自体も大阪府警の指定暴力団一覧表に掲載されています。今回解除されたのは特定抗争指定であり、指定暴力団としての扱いまでなくなったわけではありません。
【プロの結論】2026年の解除をどう評価すべきか
今回の指定解除は、2015年に始まった山口組分裂抗争の歴史における一つの節目です。
ただし、これをもって山口組の分裂問題が解決したと判断するのは早計です。
注目すべきなのは、警察が個々の組織間の抗争状況を分けて評価している点です。
- 六代目山口組と池田組の間では特定抗争指定が解除された。
- 六代目山口組と絆會の間でも2026年9月21日に解除された。
- 六代目山口組と神戸山口組の間では指定が継続している。
つまり、山口組分裂抗争は単純な二つの勢力の対立ではなく、組織ごとに異なる経緯と現在の関係を持つ複雑な問題です。
解除のニュースを読む際には、どの組織間の指定が解除されたのかを確認することが欠かせません。
【よくある質問】織田絆誠に関するFAQ
Q1:織田絆誠の読み方は何ですか?
織田絆誠は「おだ・よしのり」と読みます。2017年以降の報道では、任侠山口組の代表、絆會の会長として紹介されています。
Q2:織田絆誠の本名は金禎紀ですか?
はい。警察庁の公表資料には「織田絆誠こと金禎紀」と記載されています。大阪府警の指定暴力団一覧表でも、絆會の代表者は金禎紀とされています。
Q3:織田絆誠が神戸山口組を離脱した理由は何ですか?
2017年の本人インタビューでは、組織運営や金銭負担、幹部の優遇、意見が反映されにくい体制などへの不満を説明しています。人事や組織内の権力構造をめぐる対立も背景にあったと報じられています。
Q4:任侠山口組と絆會は別の組織ですか?
名称変更によるもので、同じ組織です。2017年に任侠団体山口組として結成され、任侠山口組を経て2020年2月に絆會へ改称しました。
Q5:2026年9月の特定抗争指定解除で絆會は解散したのですか?
いいえ。解除されたのは六代目山口組との間の特定抗争指定です。絆會自体は大阪府警の指定暴力団一覧表に掲載されています。
まとめ:織田絆誠の経歴と絆會の今後を正しく理解する
織田絆誠氏は、山健組幹部から神戸山口組の若頭代行を経て、2017年に任侠山口組を結成した人物です。その後、2020年に絆會へと名称を変更し、山口組分裂抗争の重要人物の一人として報道されてきました。
今回の調査で押さえておきたい要点は次の5つです。
1. 読み方は「おだ・よしのり」で、本名は金禎紀。
2. 井上邦雄氏との関係を経て、山健組から神戸山口組の幹部へと進んだ。
3. 2017年4月に任侠団体山口組を結成し、2020年2月に絆會へ改称した。
4. 2026年9月21日、六代目山口組との間の特定抗争指定が解除された。
5. 指定解除は解散や全面的な抗争終結を意味せず、絆會は引き続き指定暴力団として公表されている。
今後注目されるのは、特定抗争指定解除後の組織の動向、警察による監視・取締り、そして山口組と神戸山口組の対立関係です。
織田絆誠という人物を理解するには、個人の経歴だけでなく、山口組の分裂、神戸山口組の内部対立、任侠山口組の結成、絆會への改称という一連の歴史を合わせて見る必要があります。