2026年現在、元第62代横綱・大乃国康(おおのくにやすし)さんは、日本相撲協会の年寄・芝田山康として活動しています。北海道河西郡芽室町出身の大乃国は、現役時代に幕内優勝2回を達成し、1988年の九州場所では横綱・千代の富士の53連勝に終止符を打った人物です。現在64歳となり、東京都杉並区にある芝田山部屋の師匠を務めるほか、日本相撲協会では役員待遇委員として協会運営にも携わっています。
1991年7月場所で現役を引退してから35年。現役時代の豪快な取り口だけでなく、「スイーツ親方」という親しみやすい愛称でも知られるようになりました。大乃国康のプロフィール、横綱昇進までの経歴、優勝2回の詳細、千代の富士との名勝負、引退後の芝田山親方としての活動まで、2026年11月時点の日本相撲協会公式情報と報道資料をもとに整理します。
【大乃国康の現在】2026年は芝田山部屋の師匠と日本相撲協会の役員待遇

2026年11月3日現在、大乃国康さんは年寄・芝田山康として日本相撲協会に所属しています。日本相撲協会の公式年寄プロフィールでは、芝田山康の本名を青木康、所属部屋を芝田山、立場を役員待遇と記載しています。
また、協会の公式職務分掌では、芝田山康は役員待遇委員の一人として掲載されています。担当職務は生活指導部副部長と野見宿禰神社担当です。現役時代の実績を持つ元横綱として、部屋の指導だけでなく、相撲界全体に関係する役割も担っています。
芝田山親方は現在どのような仕事をしているのか
現在の活動は、大きく分けて相撲部屋の運営と日本相撲協会の業務の2つです。
- 部屋の師匠:芝田山部屋に所属する力士の指導、育成、生活面の管理。
- 協会の役職:役員待遇委員として生活指導部副部長を担当。
- 伝統文化に関する役割:野見宿禰神社の担当。
- 相撲の普及:元横綱としての経験を生かした解説や相撲文化の発信。
ここで注意したいのが「役員待遇」という肩書です。これは日本相撲協会における役職上の待遇を示すもので、理事と同じ意味ではありません。公式の職務分掌でも、芝田山親方は理事や副理事の欄ではなく、役員待遇委員の欄に掲載されています。
そのため、2026年現在の肩書を正確に表現するなら、日本相撲協会の役員待遇委員であり、生活指導部副部長を務める芝田山親方となります。
芝田山部屋の師匠としての現在
芝田山部屋は東京都杉並区高井戸東にある日本相撲協会所属の相撲部屋です。芝田山親方が1999年6月に創設し、以来、師匠として弟子の育成に取り組んできました。
日本相撲協会の2026年現在の部屋紹介でも、師匠は芝田山康、現役時代の最高位は第62代横綱・大乃国と明記されています。
横綱として培った経験を次世代の力士に伝えることは、現役引退後の芝田山親方にとって中心的な仕事です。自らが大関から横綱へと昇進した経験だけでなく、横綱として苦しい時期を過ごした経験も、後進の指導に生かせる立場にあります。
【プロフィール】大乃国康とは何者?本名・出身地・横綱昇進を整理
大乃国康は、1980年代後半の大相撲を代表する大型力士の一人です。恵まれた体格を生かした右四つからの寄りや吊りを得意とし、強豪力士がひしめく時代に第62代横綱まで上り詰めました。
日本相撲協会の歴代横綱プロフィールによると、本名は青木康。北海道河西郡芽室町の出身で、1962年10月9日に生まれています。
大乃国康の基本プロフィール
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 現役時代の四股名 | 大乃国康(おおのくに・やすし) |
| 現在の年寄名 | 芝田山康 |
| 本名 | 青木康 |
| 生年月日 | 1962年10月9日 |
| 2026年11月現在の年齢 | 64歳 |
| 出身地 | 北海道河西郡芽室町 |
| 所属部屋 | 現役時代は花籠部屋から放駒部屋へ |
| 現在の所属部屋 | 芝田山部屋 |
| 身長 | 189cm |
| 体重 | 188kg(日本相撲協会公式プロフィール掲載値) |
| 得意技 | 右四つ・寄り・吊り |
| 最高位 | 第62代横綱 |
| 幕内優勝 | 2回 |
| 生涯戦歴 | 560勝319敗107休(81場所) |
| 引退場所 | 1991年7月場所 |
出典:日本相撲協会「歴代横綱プロフィール」「年寄プロフィール」。
北海道芽室町出身の青木康が相撲界に入門
大乃国は北海道の十勝地方に位置する芽室町の出身です。幼少期から体格に恵まれ、1978年3月場所に初土俵を踏みました。当時は15歳。しこ名は青木から大ノ国、そして大乃国へと変わっています。
入門後は順調に番付を上げ、1982年3月場所で新十両、1983年3月場所で新入幕を果たしました。新入幕後も存在感を示し、1983年9月場所には新三役へ昇進しています。
特筆すべきなのは、1983年の九州場所で北の湖、千代の富士、隆の里という当時の三横綱を破る活躍を見せたことです。若手ながら横綱級の実力者を倒したことで、大乃国の名前は相撲ファンに広く知られるようになりました。
1985年に大関、1987年に第62代横綱へ
1985年9月場所で大関に昇進。さらに1987年5月場所では15戦全勝で幕内初優勝を飾りました。
同年9月場所まで大関として好成績を重ね、1987年11月場所から第62代横綱に昇進しています。25歳での横綱昇進でした。
日本相撲協会の公式記録では、横綱在位は昭和62年11月から平成3年7月まで。大乃国は約3年8カ月にわたり、最高位である横綱として土俵に立ち続けました。
【幕内優勝2回の実績】大乃国はどれほど強かったのか?
大乃国の現役時代を評価するうえで欠かせないのが、幕内優勝2回という実績です。ただし、ここには一つ要点があります。
幕内優勝2回のうち、初優勝は大関時代、2回目は横綱時代に達成したものです。横綱昇進後に2回優勝したという意味ではありません。
1987年5月場所:15戦全勝で初優勝
大乃国にとって最初の大きな勲章となったのが、1987年5月場所です。
当時は西大関。15日間を通して一度も敗れることなく、15勝0敗の全勝優勝を達成しました。
横綱・千代の富士や北勝海らが活躍していた時代に、大関として全勝優勝を成し遂げたことは、大乃国の実力を証明する大きな出来事でした。
この優勝は、同年11月の横綱昇進につながる重要な実績の一つとなりました。
1988年3月場所:北勝海との優勝決定戦を制す
2回目の幕内優勝は1988年3月場所です。横綱に昇進してから初めて手にした賜杯でもありました。
この場所では大乃国と北勝海がともに13勝2敗となり、優勝決定戦に進出。大乃国はこの一番を制し、通算2回目の幕内優勝を達成しました。
日本相撲協会の公式クイズでも、この場所の優勝決定戦について、大乃国が北勝海を破って優勝した経緯が紹介されています。
当時の大乃国は、単に体格の大きな力士ではありませんでした。横綱同士の優勝争いを制する勝負強さも備えていたのです。
公式記録から見る大乃国の実力
日本相撲協会が公表している大乃国の生涯戦歴は、560勝319敗107休、全81場所です。
幕内戦歴は426勝228敗105休。三賞は殊勲賞5回、敢闘賞2回で、金星も4個獲得しています。
注目したいのは殊勲賞5回という記録です。強豪相手に勝利し、場所の流れを変えるような相撲を見せてきたことが数字にも表れています。
幕内優勝の回数だけを比較すると、千代の富士や北の湖などの大横綱には及びません。しかし、横綱としての実績は優勝回数だけで測れるものではありません。千代の富士の連勝記録を止めた一番をはじめ、相撲史に残る勝負を演じたことも、大乃国の大きな功績です。
【千代の富士53連勝を止めた一番】1988年九州場所の真相
大乃国康の名前を聞いて、多くの相撲ファンが思い出すのが、1988年11月の九州場所千秋楽です。
この日、大乃国は当時の大横綱・千代の富士と対戦しました。千代の富士はすでに53連勝を記録しており、歴史的な連勝記録である双葉山の69連勝に迫る勢いでした。
しかし、千秋楽の結びの一番で大乃国が勝利。千代の富士の連勝は53でストップしました。
千代の富士はどのような状況だったのか
千代の富士の連勝は、1988年5月場所7日目から始まりました。名古屋場所、秋場所と連続全勝優勝を果たし、九州場所でも快進撃を続けていました。
日本相撲協会の公式クイズ記事によると、九州場所14日目には花の国を破って46連勝となり、翌日以降も勝ち続けて53連勝に到達。14日目には4場所連続、通算26回目の優勝も決めていました。
つまり、大乃国との千秋楽の一番は、優勝を争う通常の取組とは異なる歴史的な意味を持っていました。
千代の富士が勝てば連勝記録は54に伸び、双葉山の69連勝にさらに近づきます。大相撲の歴史に残る記録更新への期待が、福岡国際センターの土俵に集まっていたのです。
大乃国が決めた左のど輪からの寄り倒し
千秋楽の結びの一番で、大乃国は横綱としての意地を見せました。
日本相撲協会の公式解説によると、決まり手は寄り倒し。左のど輪から攻め、千代の富士を土俵外へ押し倒しました。
この一番は昭和最後の取組としても知られています。千代の富士という絶対的な存在の連勝を、同じ横綱の大乃国が止めたという点で、相撲史に残る名勝負となりました。
ベースボール・マガジン社の相撲専門記事でも、この一番は大乃国の代表的な名勝負として取り上げられています。単なる記録阻止ではなく、横綱同士の誇りがぶつかった一番だったことが伝わります。
この勝利が大乃国の評価を高めた理由
大乃国はこの場所、千代の富士とは対照的に好調とはいえない成績でした。そうした状況でも、千秋楽の横綱対決で勝利を収めたことは大きな意味を持ちます。
相撲では、番付や過去の成績だけで次の勝敗が決まるわけではありません。横綱であっても、土俵上では一瞬の判断と攻防によって勝負が決まります。
大乃国の勝利は、強者が記録を伸ばし続ける時代にも、それを止める対抗者が存在することを示した一番でした。
現在でも「千代の富士の53連勝を止めた力士は誰か」という問いに、大乃国の名前が挙がる理由はここにあります。
【現役引退から現在まで】大乃国康と芝田山親方の経歴・関係者年表
大乃国のキャリアを整理すると、横綱としての現役時代と、芝田山親方として後進を育てる現在では、活動の中心が大きく変化していることが分かります。
ここでは、日本相撲協会の公式プロフィール、歴代横綱の記録、芝田山部屋の紹介資料、当時の報道をもとに、主要な出来事と人物・組織の関係をまとめました。
| 時期 | 人物・組織 | 出来事・関係性 |
|---|---|---|
| 1978年3月 | 青木康・花籠部屋 | 15歳で初土俵を踏む。 |
| 1982年3月 | 大乃国 | 新十両に昇進。 |
| 1983年3月 | 大乃国 | 新入幕。幕内力士として活躍を始める。 |
| 1985年9月 | 大乃国 | 大関に昇進。 |
| 1987年5月 | 大乃国・千代の富士ら | 15戦全勝で幕内初優勝。 |
| 1987年11月 | 第62代横綱・大乃国 | 横綱に昇進。 |
| 1988年3月 | 大乃国・北勝海 | 13勝2敗の優勝決定戦で北勝海を破り、2回目の幕内優勝。 |
| 1988年11月 | 大乃国・千代の富士 | 九州場所千秋楽で千代の富士の53連勝を止める。 |
| 1991年7月 | 大乃国 | 現役を引退。年寄として後進の指導へ。 |
| 1993年3月 | 芝田山康 | 年寄名を芝田山に変更。 |
| 1999年6月 | 芝田山部屋 | 放駒部屋から独立し、自身の相撲部屋を創設。 |
| 2026年11月 | 芝田山康・日本相撲協会 | 芝田山部屋の師匠、役員待遇委員、生活指導部副部長として活動。 |
出典:日本相撲協会公式プロフィール、芝田山部屋紹介、ベースボール・マガジン社、日刊スポーツなど。
1991年7月、28歳で現役引退
大乃国は1991年7月場所を最後に現役を引退しました。当時28歳。横綱としての実績を考えると、比較的若い年齢での引退でした。
当時の報道によると、休場明けの名古屋場所では4勝4敗と苦戦し、7月14日に引退を表明しました。横綱としての進退について師匠の放駒親方と話し合ったうえでの決断だったと伝えられています。
引退後は年寄として相撲界に残り、後進の指導に携わる道を選びました。
横綱という地位は、力士にとって最高の栄誉であると同時に、常に結果を求められる厳しい立場でもあります。大乃国の引退は、現役時代の華やかな実績だけでは語れない、横綱という地位の重さを考えさせる出来事でもありました。
1999年に芝田山部屋を創設
引退後、放駒部屋で後進の指導に携わった大乃国は、1993年に年寄名を芝田山へ変更しました。
その後、1999年6月に独立し、芝田山部屋を創設。自らが現役時代に経験した稽古や勝負の厳しさを、弟子たちへ伝える立場になりました。
日刊スポーツの2008年の報道では、芝田山部屋創設から初めての関取として大勇武が十両昇進を決めたことが紹介されています。部屋を立ち上げてから最初の関取が誕生するまでには約9年を要しました。
部屋の創設は、元横綱という肩書だけで簡単に成し遂げられるものではありません。力士の育成、稽古環境の整備、日々の部屋運営など、多くの責任を伴います。
大乃国が現役を退いた後も相撲界に残り、長年にわたって指導者として活動していることは、競技者から育成者への転身という意味でも注目されます。
【スイーツ親方の素顔】芝田山康が甘いもの好きとして知られる理由
芝田山親方を語るうえで外せないのが、「スイーツ親方」という愛称です。
現役時代の大乃国は、189cm、188kgという堂々とした体格の持ち主でした。その一方、引退後は甘いもの好きとして知られるようになり、相撲界でも珍しいスイーツ評論家としての顔を持つようになりました。
2006年と2009年に全国スイーツ巡業の著書を刊行
芝田山親方は2006年と2009年に、スイーツに関する著書を刊行しています。代表的なシリーズが『第62代横綱・大乃国の全国スイーツ巡業』です。
朝日新聞の書籍紹介記事でも、芝田山親方は甘党で知られる美食家として紹介されています。北海道で農業や酪農に親しんだ背景を生かし、食材や菓子の特徴を自分の視点で伝えている点も特徴です。
著書では、巡業先などで出会った菓子を紹介し、その由来や味わいについて解説しています。現役時代の相撲とは異なる分野ですが、食への関心を専門的な発信へと発展させた活動といえます。
スイーツ親方は単なるニックネームではない
「スイーツ親方」という愛称は、甘いものが好きというだけで定着したものではありません。
書籍の出版に加え、相撲協会のイベントでの菓子販売やメディアでのスイーツ紹介など、実際の活動が愛称の背景にあります。
2021年には、日本相撲協会の企画として国技館に「スイーツ親方の店」が設けられ、北海道の銘菓やオリジナルのパンなどが販売されたことを日刊スポーツが報じています。
また、2025年9月にはNHK大相撲中継の解説席に登場し、スイーツに関するコメントが話題になったと日刊スポーツが伝えました。
こうした活動から分かるのは、芝田山親方が現役時代の実績だけに頼らず、食文化という別の切り口でも大相撲の魅力を伝えてきたことです。
現役時代の横綱と現在の親方に共通するもの
現役時代の大乃国と、現在の芝田山親方は、一見すると異なる人物像に見える可能性があります。
しかし、どちらにも共通するのは、自分の得意分野を生かして活動していることです。
現役時代は右四つや寄りを武器に横綱まで昇進し、引退後は相撲部屋の指導、協会の業務、スイーツの情報発信へと活動の幅を広げてきました。
横綱としての厳しい経験と、親しみやすいスイーツ好きの一面。その両方が芝田山親方の現在の人物像を形づくっています。
【プロの結論】大乃国康の評価は優勝回数だけでは決まらない
大乃国康の相撲人生を振り返ると、幕内優勝2回という数字だけでは、その存在感を十分に説明できません。
1987年の全勝優勝、1988年の横綱としての優勝、そして千代の富士の53連勝を止めた歴史的一番。これらは、それぞれ異なる意味を持つ実績です。
評価のポイント1:横綱としての勝負強さ
大乃国は、千代の富士や北勝海など、強豪がそろった時代に横綱へ昇進しました。横綱昇進後も優勝を経験し、歴史的な名勝負を残しています。
優勝回数の多さだけではなく、強豪との直接対決でどのような結果を残したかも、力士を評価する重要な視点です。
評価のポイント2:横綱引退後も相撲界を支えている
1991年の引退後、芝田山部屋を創設し、師匠として弟子を育ててきました。さらに日本相撲協会の役員待遇委員として、部屋の枠を超えた仕事にも携わっています。
現役時代に頂点を経験した力士が、次の世代を育てる側に回ることには大きな意味があります。自らが成功した経験だけでなく、苦しい時期を乗り越えた経験も指導に生かせるからです。
評価のポイント3:相撲以外の活動でファンとの接点を広げた
スイーツ親方としての活動は、相撲に詳しくない人にも芝田山親方の名前を知ってもらうきっかけになりました。
伝統競技の世界では、力士や親方の魅力を土俵上の成績だけで伝える必要はありません。食文化や地域とのつながりなど、別の角度から相撲に関心を持ってもらうことも、競技の普及につながります。
大乃国から芝田山親方への歩みは、元横綱が引退後にどのような形で相撲界に貢献できるかを示す一つの事例です。
【大乃国康の現在】に関するよくある質問(FAQ)
Q1:大乃国康は2026年現在、何をしていますか?
A1:2026年11月現在、年寄・芝田山康として芝田山部屋の師匠を務めています。また、日本相撲協会の役員待遇委員で、生活指導部副部長と野見宿禰神社担当を務めています。
Q2:大乃国の本名と出身地はどこですか?
A2:本名は青木康です。1962年10月9日生まれで、北海道河西郡芽室町の出身です。2026年11月現在64歳です。
Q3:大乃国の幕内優勝は何回ですか?
A3:幕内優勝は通算2回です。1987年5月場所に大関として15戦全勝で初優勝し、1988年3月場所には横綱として北勝海との優勝決定戦を制しました。
Q4:大乃国は千代の富士の何連勝を止めましたか?
A4:1988年11月の九州場所千秋楽で、千代の富士の53連勝を止めました。決まり手は寄り倒しで、昭和最後の一番としても知られています。
Q5:大乃国はいつ引退しましたか?
A5:1991年7月場所に引退しました。当時28歳でした。引退後は年寄として後進の指導に入り、のちに芝田山部屋を創設しています。
Q6:大乃国と芝田山親方は別人ですか?
A6:別人ではありません。大乃国康は現役時代の四股名で、芝田山康は引退後の年寄名です。同一人物であり、現在は芝田山親方として活動しています。
Q7:なぜスイーツ親方と呼ばれているのですか?
A7:甘いものや菓子作りを好み、全国のスイーツを紹介する著書を出版するなど、食に関する活動を続けてきたためです。相撲界でも有名な甘党として知られています。
まとめ:大乃国康は2026年も芝田山親方として相撲界を支えている
大乃国康は、第62代横綱として幕内優勝2回を達成し、1988年には千代の富士の53連勝を止めた名力士です。1991年7月に28歳で現役を引退した後も相撲界に残り、1999年には芝田山部屋を創設しました。
2026年現在は64歳。芝田山部屋の師匠として力士を育てるとともに、日本相撲協会の役員待遇委員、生活指導部副部長として協会運営にも携わっています。
また、スイーツ親方という愛称で知られるように、相撲以外の分野でも独自の活動を続けてきました。
大乃国の経歴を理解するうえで押さえておきたいのは、幕内優勝2回という現役時代の実績だけではありません。千代の富士との名勝負、横綱引退後の部屋創設、そして現在の協会での役割まで、一連の歩みを通して見ることが大切です。
土俵で戦う横綱から、弟子を育てる師匠へ。そして相撲の魅力を幅広く伝える親方へ。大乃国康こと芝田山親方は、現役引退から35年を経た2026年も、日本相撲界を支える存在であり続けています。