大相撲の土俵で、力士の勝負を裁く行司。なかでも、独特の装束と堂々とした所作で注目を集めているのが、朝日山部屋所属の三役行司・式守勘太夫(しきもり・かんだゆう)だ。本名は菊池浩。1968年11月15日生まれで、2026年11月3日現在57歳。宮城県伊具郡丸森町を出身地とし、1984年に日本相撲協会へ採用されて以来、40年以上にわたって行司として土俵を支えている。
2025年初場所から三役格に昇進した勘太夫は、2026年には自らデザインした個性的な装束でも話題になった。春場所では伊達政宗の陣羽織をモチーフにした装束、夏場所では美しいカワセミの刺繍を施した新装束を披露。伝統を守るだけでなく、行司装束に独自の美意識を取り入れる姿勢が注目されている。プロフィール、行司名の変遷、昇進の背景、装束デザインの秘密まで詳しく見ていく。
【公式プロフィール】式守勘太夫の本名・読み方・年齢・出身地は?

式守勘太夫の基本情報は、日本相撲協会の公式行司プロフィールで確認できる。現在の正式な格付は「三役行司」。報道では「三役格行司」と表記されることもある。
まず押さえておきたいのは、行司名と本名は別だという点だ。式守勘太夫は代々受け継がれてきた名跡であり、本人の戸籍上の名前は菊池浩である。
式守勘太夫の基本プロフィール
- 行司名:式守勘太夫
- 読み方:しきもり・かんだゆう
- 本名:菊池浩(きくち・ひろし)
- 生年月日:1968年11月15日
- 年齢:57歳(2026年11月3日現在)
- 出身地:宮城県伊具郡丸森町
- 所属部屋:朝日山部屋
- 現在の階級:三役行司
- 協会採用:1984年4月
- 初土俵:1984年5月場所
年齢については、誕生日が11月15日である点に注意したい。2026年11月3日時点では57歳で、同月15日に58歳を迎える。
出身地は宮城県、出生地については別の記述も
日本相撲協会の公式プロフィールでは、出身地を宮城県伊具郡丸森町としている。一方、2025年3月の日刊スポーツの人物紹介では東京生まれと紹介されている。
これは「出生地」と「出身地」という異なる情報として整理すると理解しやすい。協会の公式プロフィールにおける出身地は宮城県であり、2026年3月の日刊スポーツの記事でも宮城県出身にちなんだ装束のデザインが紹介されている。
出身地を調べる場合は、日本相撲協会の現行プロフィールに記載された宮城県伊具郡丸森町を基準にするのが適切だ。
【経歴・行司名履歴】式守国浩から12代式守勘太夫へ
勘太夫の経歴を語るうえで欠かせないのが、行司名の変遷だ。行司は力士の四股名と同じように、昇進や名跡の継承に伴って名前が変わることがある。
勘太夫も、入門当初から現在の名前を名乗っていたわけではない。式守国浩を出発点に、式守錦之助、式守与太夫、式守与之吉を経て、現在の名跡にたどり着いた。
行司名が変わった理由と時期
2019年の襲名時に掲載された本人インタビューによると、最初の行司名は式守国浩だった。当時の師匠だった元大関・清國の名前から「国」の一字を取り、本名の「浩」と組み合わせたものだという。
その後、十枚目格への昇進を機に式守錦之助を襲名。幕内格への昇進では式守与太夫となり、2016年には式守与之吉を名乗った。そして2019年5月、12代式守勘太夫を襲名している。
日本相撲協会の公式プロフィールに掲載された行司名履歴と、襲名時のインタビューを照らし合わせると、次のようになる。
- 1984年:式守国浩として行司の道へ。
- 2001年1月:十枚目格に昇進し、8代式守錦之助を襲名。
- 2009年1月:幕内格に昇進し、12代式守与太夫を襲名。
- 2016年1月:10代式守与之吉を襲名。
- 2019年5月:12代式守勘太夫を襲名。
「勘太夫」という名跡に込められた伝統
式守勘太夫という名前は、本人だけのオリジナルな名称ではない。2019年の襲名特集によると、この名跡は文政6年(1823年)から続いており、勘太夫はその12代目に当たる。
本人は、先輩行司が勘太夫を名乗っていたことから、いつか自分もその名前を襲名したいと考えていたという。式守与之吉を経て勘太夫になることを意識していたというエピソードからも、名跡を受け継ぐことへの思いが伝わる。
行司名は単なる呼び名ではない。過去の行司が築いてきた信用や所作、軍配などの伝統を次代へつなぐ役割も担っている。
【人物・関係性一覧】朝日山部屋や同期、装束を支えた関係者
式守勘太夫の現在を理解するには、所属部屋だけでなく、行司としての昇進を支えた相撲界の関係者や、2026年の装束制作に関わった企業との関係も押さえておきたい。
日本相撲協会の公式情報と報道をもとに、主な関係性を整理した。
| 人物・組織 | 勘太夫との関係 | 確認できる内容 |
|---|---|---|
| 日本相撲協会 | 所属団体 | 1984年4月採用。現在の格付は三役行司。 |
| 朝日山部屋 | 現在の所属部屋 | 協会公式プロフィールと部屋紹介に所属が掲載されている。 |
| 木村元基 | 行司の同期 | 1984年4月に同時期に採用された同期行司。2025年の昇進をめぐる報道でも友情が紹介された。 |
| Tasyoデザイン株式会社 | 2026年夏場所の装束制作に関係 | 三役格昇進を機に、カワセミ刺繍の装束を贈った企業。 |
| 田中彰人氏 | Tasyoデザイン株式会社の社長 | 2026年夏場所初日前のお披露目会に参加した。 |
| 三役行司 | 現在の階級 | 幕内格の上、立行司の下に位置する行司の上位階級。 |
朝日山部屋での現在の立場
朝日山部屋は千葉県鎌ケ谷市に所在する相撲部屋で、師匠は元関脇・琴錦の朝日山宗功親方だ。日本相撲協会の部屋紹介では、式守勘太夫が三役行司として掲載されている。
力士の番付だけに目が向きがちな相撲部屋だが、行司もそれぞれの相撲部屋に所属して活動する。勘太夫は朝日山部屋に所属しながら、本場所や巡業で行司としての役割を果たしている。
同期・木村元基との関係も話題に
2025年3月の日刊スポーツの特集では、同期の行司である木村元基との関係が紹介された。2人は1984年4月に日本相撲協会に採用され、同年の夏場所で初土俵を踏んだ同期である。
勘太夫は三役格への昇進について、同期の木村元基がまだ同じ階級に到達していないことを気にかけていたという。自分だけが先に昇進したことを素直に喜ぶのではなく、同期と同じ立場になってこそ実感が湧くという心情が報じられた。
行司の世界では、力士のように勝敗によって番付が大きく変動するわけではない。長年の勤務、技量、経験などを積み重ねて昇進するため、同期との関係も長い職業人生の中で重要な意味を持つ。
【2025年の三役行司昇進】40年以上の経験が実った節目
式守勘太夫にとって大きな転換点となったのが、2025年の三役格昇進だ。
日本相撲協会は2024年12月23日付の行司昇進を発表し、幕内格だった勘太夫を三役格へ昇進させた。2025年初場所から新しい階級で土俵に立つことになった。
幕内格から三役格へ、何が変わったのか
三役格は、行司の階級の中でも上位に位置する。一般的には、小結・関脇・大関といった上位力士の取組を裁く役割を担う。
昇進によって変わるのは、担当する取組の格だけではない。装束にも明確な違いが生まれる。
日本相撲協会の解説によると、三役行司になると、軍配の房や直垂の菊綴などが朱色となり、白足袋に草履を履くことが許される。加えて、右腰の後ろ側に印籠を携えることもできる。
幕内格から三役格への昇進は、見た目にも分かる大きな変化なのだ。
行司の階級はどこまである?
行司の階級は、上から立行司、三役格、幕内格、十両格、幕下格、三段目格、序二段格、序ノ口格に分かれている。
最高位の立行司には、木村庄之助と式守伊之助という2つの名跡がある。勘太夫が現在位置する三役格は、その立行司の一段下に当たる。
つまり、三役格昇進は行司として最高位に近づく重要な節目であり、40年以上の経験を積んできた勘太夫にとって大きなキャリア上の到達点だった。
【2026年最新】新装束は2種類!伊達政宗とカワセミのデザインを解説
2026年の式守勘太夫を語るうえで外せないのが、自らデザインを手がけた2種類の新装束だ。
春場所と夏場所で披露した装束は、それぞれ異なるテーマを持っている。いずれも伝統的な行司装束を土台にしながら、本人の発想を大胆に取り入れた作品となった。
2026年春場所:伊達政宗の陣羽織をモチーフにした装束
2026年3月16日の日刊スポーツの報道によると、春場所から披露された装束は、大阪の後援者から贈られたもの。デザインは勘太夫自身が担当し、構想から完成まで約2年を費やした。
最大の特徴は、宮城県出身にちなんで、伊達政宗の陣羽織をモチーフにした袴のデザインだ。
金色の部分には金箔を使用し、漆を塗った上に金箔を貼り付けるという手法を採用。これまでに制作した装束の中でも、最も高価なものになったと報じられている。
加えて、上着は左右非対称の絵柄に仕上げられた。東の力士が勝った場合と西の力士が勝った場合で、勘太夫が勝ち名乗りを上げる際に見える絵柄が変わる仕掛けだ。
- 東の力士が勝った場合:桜の絵柄が見える。
- 西の力士が勝った場合:紅葉の絵柄が見える。
勝負の方向によって装束の表情まで変わるという発想は、単なる衣装の装飾を超えた演出といえる。
2026年夏場所:白地にカワセミを刺繍した新装束
さらに注目を集めたのが、2026年5月の夏場所で初披露されたカワセミの新装束だ。
日刊スポーツが2026年5月14日に報じたところによると、この装束は白地をベースに、色鮮やかなカワセミの刺繍を施したもの。2025年初場所から三役格に昇進したことを記念し、薬局を運営するTasyoデザイン株式会社から贈られた。
デザインを考えたのは勘太夫本人で、完成まで約1年半を要した。夏場所初日の前日には、同社の田中彰人社長ら約30人が参加するお披露目会も開かれた。
特に目を引くのは、装束の下部に施された青色のグラデーションだ。これは川面を表現しており、その上を飛ぶように描かれたカワセミと組み合わせることで、水辺の風景を装束全体に表現している。
刺繍は表と裏を合わせて6羽。すべて異なる動きをしており、細部まで丁寧に作り込まれている。
「思った以上に素晴らしい。刺繍の凹凸感がすごいんです。職人の腕だなと思いました」
勘太夫は完成した装束について、日刊スポーツの取材でこのように感想を述べている。
【デザインの経緯】なぜカワセミ?装束に込めた本人のこだわり
カワセミの装束が興味深いのは、単に見た目が美しいからではない。デザインの発想には、巡業先で目にした自然の風景が深く関係している。
きっかけは東京・町田市の巡業で見た光景
日刊スポーツの報道によると、勘太夫がカワセミを装束の題材にしようと思ったきっかけは、東京・町田市での巡業だった。
巡業先で小さな川の周囲に多くの人が集まっているのを見かけた。何が起きているのかと近づいてみると、カワセミが川面に向かって餌を取りにいく姿を目にしたという。
その光景の美しさが印象に残り、装束のデザインに取り入れることを思いついた。
色違いのカワセミには自然の光の変化を表現
カワセミは見る時間や光の当たり方によって、青にも緑にも見える鳥だ。
勘太夫はその特徴を装束に反映し、同じカワセミでも色合いを変えて描いた。単に鳥を写実的に刺繍するのではなく、自然の中で見える色彩の変化まで表現しようとしている。
また、軍配を上げる際に東西の向きによってカワセミの見え方が変わるように工夫されている。土俵上での行司の動きと装束のデザインが連動している点も面白い。
図書館で専門書を調べ、自ら絵を描いて制作
報道によれば、勘太夫はカワセミについて図書館で専門書を読み、特徴を学びながら自ら絵を描いてデザインを完成させた。
つまり、完成した装束は既存の図柄を選んだだけのものではない。題材の選定、色の組み合わせ、配置、刺繍の見え方まで本人が考えた作品だ。
実は以前から鳥を好み、軍配にも鳥を描いていた
今回のカワセミのデザインは、勘太夫の以前からの趣味ともつながっている。
2019年の襲名時のインタビューでは、本人が鳥好きであることが紹介されている。幼い頃にインコを飼っていた経験があり、雷鳥を描いた軍配も所有していた。
その軍配は、天龍神社から贈られた白木の軍配に、本人が以前から考えていた雷鳥の絵柄を取り入れたものだという。
また、式守勘太夫の名跡には、代々受け継がれてきた軍配も存在する。2019年のインタビューでは、2代目勘太夫が使用した約153年前の軍配についても語られていた。普段は相撲博物館で保管され、襲名時には初日だけ使用したという。
このように、勘太夫の装束や軍配には、伝統を受け継ぐ姿勢と、自分自身の好きなものを表現する姿勢の両方が表れている。
【三役行司の役割】式守勘太夫は土俵で何をしている?
式守勘太夫をより深く理解するには、そもそも三役行司がどのような仕事を担っているのかを知る必要がある。
行司は、単に勝った力士を指し示すだけの存在ではない。日本相撲協会の定款では、力士が土俵に上がってから競技を終えて土俵を下りるまでの進行を主導し、土俵祭の祭主や土俵入りの誘導も担う役割が定められている。
三役行司が担当する取組
三役格行司は、一般的に小結・関脇・大関といった上位力士の取組を裁く。取組の組み合わせや本場所の状況によって担当範囲が異なる場合もあるが、幕内の上位戦を担う重要なポジションだ。
行司の階級は次のように構成されている。
- 立行司:木村庄之助・式守伊之助
- 三役格:上位力士の取組を担当
- 幕内格:幕内の取組を担当
- 十両格:十両の取組を担当
- 幕下格以下:幕下・三段目・序二段・序ノ口などの取組を担当
装束を見れば行司の階級が分かる
行司の装束は、見た目の華やかさだけでなく、階級を示す役割も持っている。
日本相撲協会の公式解説では、軍配の房や直垂の菊綴の色が階級によって定められている。三役行司は朱色の房や菊綴を用い、白足袋と草履を履くことができる。
三役格昇進によって勘太夫の装いが変わったのも、この伝統的な決まりに基づくものだ。
なお、力士の三役と行司の三役格は別の概念である。勘太夫自身が関脇や小結の力士という意味ではなく、行司としての階級が三役格ということだ。
【プロの結論】式守勘太夫の魅力は伝統と独創性の両立にある
式守勘太夫の歩みを振り返ると、1984年の採用から2025年の三役格昇進まで、長い時間をかけて行司としての経験を積み重ねてきたことが分かる。
その一方で、2026年に披露した2種類の装束からは、伝統を守るだけにとどまらない創作意欲が見えてくる。
評価したい要点は3つ
1. 名跡を受け継ぐ伝統への理解
式守国浩から式守勘太夫まで、複数の名前を経て現在の名跡に到達した。12代目として勘太夫の名を継承していることは、個人のキャリアだけでなく、行司文化の継承という意味も持つ。
2. 装束を自らデザインする創造性
伊達政宗の陣羽織、桜と紅葉、そしてカワセミと川面。いずれも単なる模様ではなく、本人の出身地や巡業での経験、自然への関心が反映されている。
3. 土俵上の動きまで考えたデザイン
東西の勝ち名乗りによって見える絵柄を変える工夫や、軍配を上げる動作に合わせたカワセミの配置など、行司ならではの視点が生きている。
特に重要なのは、装束のデザインが土俵上の仕事と切り離されていないことだ。行司の動き、勝負の方向、観客から見える角度まで考慮している点に、長年土俵に立ってきた経験が表れている。
勘太夫の装束は、伝統文化を現代的な感覚で表現する一つの試みとして評価できる。行司を力士の勝負を裁く存在としてだけでなく、相撲文化を視覚的に伝える担い手として見るきっかけにもなる。
【式守勘太夫のプロフィール・現在】に関するよくある質問(FAQ)
Q1:式守勘太夫の読み方は何ですか?
A1:読み方は「しきもり・かんだゆう」です。日本相撲協会の公式プロフィールにも、この読み方が掲載されています。
Q2:式守勘太夫の本名と年齢は?
A2:本名は菊池浩です。1968年11月15日生まれで、2026年11月3日現在57歳。同月15日に58歳になります。
Q3:式守勘太夫は現在何格の行司ですか?
A3:2026年現在、三役行司です。2024年12月23日付で昇進が決まり、2025年初場所から三役格として活動しています。
Q4:式守勘太夫の行司名は何度変わりましたか?
A4:公式プロフィールに掲載されている行司名は、式守国浩、式守錦之助、式守与太夫、式守与之吉、式守勘太夫の5つです。
Q5:2026年夏場所の新装束には何が刺繍されていますか?
A5:白地の装束に、6羽のカワセミが刺繍されています。川面をイメージした青いグラデーションも特徴です。デザインは勘太夫本人が手がけました。
Q6:カワセミの装束は誰が贈ったのですか?
A6:三役格昇進を記念して、薬局を運営するTasyoデザイン株式会社から贈られました。デザインは勘太夫自身が考案しています。
まとめ:式守勘太夫は2026年も伝統と個性を土俵で表現する
式守勘太夫は、本名・菊池浩、1968年11月15日生まれの行司で、宮城県伊具郡丸森町を出身地としている。1984年に日本相撲協会へ採用され、式守国浩から複数の行司名を経て、2019年5月に12代式守勘太夫を襲名した。
2025年初場所からは三役格に昇進。2026年には伊達政宗をモチーフにした春場所の装束と、カワセミの刺繍を施した夏場所の新装束を披露し、行司としての新しい魅力を発信している。
とりわけカワセミの装束は、巡業先で見た自然の風景を出発点に、本人が図書館で調べ、絵を描き、職人とともに完成させた作品だ。そこには、40年以上にわたって土俵に立ってきた行司の経験と、鳥を愛する個人としての感性が同居している。
今後、さらに上位の立行司を目指すのか、それとも現在の立場で長く土俵を支えていくのか。将来の進路については本人の今後の判断を待つ必要がある。ただ、2026年の装束を通じて明らかになったのは、式守勘太夫が単に伝統を守るだけでなく、自らの発想で相撲文化の魅力を広げているということだ。
次に大相撲を観戦するときは、力士の勝敗だけでなく、軍配の房の色、装束の刺繍、勝ち名乗りの際の行司の向きにも注目してほしい。式守勘太夫の仕事には、土俵の勝負をより豊かに楽しむための見どころが詰まっている。
主な事実確認資料: 日本相撲協会公式プロフィール・行司一覧・朝日山部屋紹介、2019年の襲名インタビュー、日刊スポーツの2025年昇進関連記事および2026年3月・5月の装束関連記事。