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照ノ富士引退の真相と現在は?2026年断髪式と伊勢ヶ濱親方への転身を徹底解説

天音 栞 天音 栞 • 更新: • 公開: • 読了約 26 分
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第73代横綱・照ノ富士は、2025年1月17日に現役引退を正式発表しました。大関から序二段まで転落しながら、再び大関、そして横綱へと返り咲いた不屈の力士が、なぜ土俵を去る決断をしたのでしょうか。その背景には、長年にわたる両膝の故障や糖尿病、度重なる休場、そして横綱としての責任を全うしたいという強い思いがありました。

引退後は年寄・伊勢ヶ濱を襲名し、2025年6月には伊勢ヶ濱部屋を継承。さらに2026年1月31日には両国国技館で引退相撲と断髪式が開催され、大の里、豊昇龍、長男の照務甚くんを従えた最後の横綱土俵入りが実現しました。2026年11月現在の活動、引退会見で語った本音、歴代成績、家族とのエピソードまで、照ノ富士の歩みを時系列で詳しく振り返ります。

【引退理由の真相】照ノ富士はなぜ2025年1月に現役を退いたのか?

照ノ富士引退

照ノ富士の引退理由を理解するには、最後の出場となった2025年1月場所だけでなく、現役生活を通じて積み重なった身体的な負担を振り返る必要があります。

引退を決定づけた右膝と腰の故障

2025年1月場所は、照ノ富士にとって3場所連続の休場を避け、再起を目指す場所でした。2024年9月場所と11月場所を全休した後、初場所で約3場所ぶりに本場所の土俵へ復帰しています。

しかし、復帰後の相撲は厳しいものでした。初日に小結・若隆景に敗れ、4日目には翔猿にも敗戦。4日目終了時点で2勝2敗となり、5日目の1月16日から休場しました。

師匠の伊勢ヶ濱親方(当時、元横綱・旭富士)は、右膝に水がたまって腫れ、曲げることも難しくなっていたと説明しています。右膝をかばって相撲を取るうちに腰にも負担が及び、十分な稽古ができない状態になっていました。

この休場を受けて、1月16日には引退の意向が報じられ、翌17日、日本相撲協会が理事会で現役引退と年寄「照ノ富士」の襲名を正式に承認しました。引退時の横綱在位は21場所、横綱としての休場は13度に達していました。

つまり、最後の場所での不振だけが引退の理由ではありません。長期間にわたって治療と復帰を繰り返してきた身体が、ついに横綱として戦い続けることを難しくしたのです。

膝のけがだけではなかった病気との闘い

照ノ富士を長く苦しめたのは、膝の故障だけではありません。

2015年に大関へ昇進した後、右膝を負傷し、その後も両膝の故障に悩まされました。過去の本人インタビューでは、膝の手術を受けたことに加え、糖尿病、C型肝炎、腎臓結石などの病気も重なったと振り返っています。

特に糖尿病は、体力の維持や稽古にも影響しました。本人は、トレーニングをしても思うように筋肉がつかず、逆に疲労が蓄積していく状態だったと説明しています。

2024年には、休場理由として具体的な診断名も公表されました。

  • 2024年5月:左肋軟骨損傷、右変形性膝関節症。3週間の安静加療が必要と診断。
  • 2024年9月:糖尿病、両変形性膝関節症による休場。
  • 2025年1月:右膝の腫れと腰の痛みが深刻化し、初場所を途中休場。

2024年5月には、咳をするだけでも左脇腹に強い痛みが走る状態だったと師匠が説明しています。同年9月には糖尿病と両膝の変形性関節症による休場が発表されました。

こうした経緯を見ると、照ノ富士の引退は突然の決断ではなく、長年の故障と病気によって競技生活の限界が近づいていた結果だったことが分かります。

引退会見で語った本人の本音

2025年1月17日、両国国技館で行われた引退会見では、照ノ富士本人が決断の理由を率直に語りました。

「できる限りのことをやってきた。今場所、思うように相撲できなくなり、これ以上、中途半端な気持ちと体で土俵に上がれないと思い、決断した」

この言葉には、横綱として土俵に立つことへの責任感が表れています。

照ノ富士は初日に敗れた後、師匠に対して、もう一度負けたら引退したいという覚悟を伝えていたことも明かしています。単に勝てなくなったから辞めるという判断ではなく、自分が納得できる相撲を取れなくなったことが大きな理由でした。

また、師匠の伊勢ヶ濱親方は、序二段まで落ちた力士が再び横綱に昇進したことについて、奇跡に近いと評価。精神力の強さを称賛しました。

引退会見で照ノ富士が語ったのは、14年間にわたる激しい相撲人生への感謝と、次世代の力士を育てるという新たな目標でした。

【奇跡の復活劇】序二段から第73代横綱まで駆け上がった経歴

照ノ富士の力士人生を語るうえで欠かせないのが、大関から序二段まで番付を落とし、そこから横綱にまで返り咲いた復活劇です。

大関経験者が序二段まで降格した後、大関に復帰し、さらに横綱まで昇進した例は史上初。単なる番付の上昇ではなく、力士としての土台を作り直した異例の経歴でした。

2015年、大関昇進と初優勝

照ノ富士は1991年11月29日、モンゴルのウランバートルで生まれました。本名は帰化後の杉野森正山。初土俵は2011年5月の技量審査場所で、当初は若三勝という四股名を名乗っていました。

その後、伊勢ヶ濱部屋に移籍し、着実に番付を上昇させます。2015年5月場所には関脇として12勝3敗を記録し、初の幕内優勝を達成。翌7月場所には大関へ昇進しました。

当時の照ノ富士は、強靱な身体と前に出る力強い相撲を武器に、将来の横綱候補として大きな期待を集めていました。

大関から序二段へ転落した苦難の時期

しかし、大関昇進後に右膝などの故障が重なり、相撲の内容にも影響が出始めます。さらに糖尿病などの病気も加わり、思うように稽古を積めない時期が続きました。

2017年には大関から陥落。その後も休場が続き、十両、幕下、三段目と番付を下げ、2019年3月場所には序二段まで転落しました。

大関まで上り詰めた力士が、下から2番目の序二段で相撲を取る。この状況は、本人にとっても極めて厳しいものでした。

引退を考えた時期もありましたが、師匠の励ましや周囲の支えもあり、現役続行を選択します。

復帰場所で特に印象に残っている一番として、本人が挙げたのは2019年春場所初日の若野口戦でした。

引退会見で横綱自身が思い出の取組に序二段時代の一番を挙げたことは、異例ともいえる出来事です。華々しい優勝や横綱土俵入りではなく、もう一度土俵に戻るために踏み出した最初の一歩を大切にしていたことがうかがえます。

大関復帰から横綱昇進へ

2019年11月場所では幕下優勝を達成。2020年1月場所には十両優勝を果たし、関取に復帰しました。

さらに2020年7月場所では、再入幕したばかりの前頭17枚目という低い番付から13勝2敗で幕内優勝。かつての大関が、幕尻に近い位置から再び優勝を手にしたのです。

その後も勝ち星を積み重ね、2021年3月場所で幕内優勝。大関への復帰を果たすと、同年7月場所後には横綱昇進が決定しました。

2021年9月場所から第73代横綱として土俵に上がります。序二段から横綱まで戻った経歴は、大相撲史に残る復活劇となりました。

【歴代成績と人物相関】照ノ富士の14年間を年表で整理

照ノ富士の実績を確認すると、復活劇だけでなく、横綱としても確かな記録を残したことが分かります。

第73代横綱・照ノ富士のプロフィールと通算成績

日本相撲協会の公式プロフィールによると、照ノ富士の主な記録は次のとおりです。

  • 生年月日:1991年11月29日
  • 出身地:モンゴル・ウランバートル
  • 本名:杉野森正山
  • 身長:192センチ
  • 体重:176キロ
  • 最高位:第73代横綱
  • 横綱在位:2021年9月場所~2025年1月場所
  • 幕内優勝:10回
  • 十両優勝:2回
  • 幕下優勝:1回
  • 三賞:殊勲賞3回、敢闘賞3回、技能賞3回

通算成績は523勝275敗231休、82場所。幕内成績は366勝207敗197休、52場所でした。

特に幕内優勝10回は、照ノ富士の横綱としての実績を示す大きな数字です。休場の多さだけが取り上げられがちですが、出場した場所では優勝争いを演じる強さを持ち続けていました。

照ノ富士を取り巻く人物と重要な出来事の関係

照ノ富士の復活と引退後の転身には、師匠、現役横綱、家族など、多くの人物が関わっています。それぞれの関係を整理します。

人物・出来事 照ノ富士との関係 主な役割・エピソード
宮城野親方(元旭富士) 入門時からの師匠 現役時代の指導者。2026年の断髪式で止めばさみを担当。
伊勢ヶ濱部屋 現在の所属部屋・師匠を務める部屋 2025年6月9日に照ノ富士が継承。
大の里 現役横綱 2026年1月31日の最後の横綱土俵入りで露払いを担当。
豊昇龍 現役横綱 最後の横綱土俵入りで太刀持ちを担当。
照務甚くん 長男 父親の最後の土俵入りに参加。2022年11月生まれ。
白鵬翔 元横綱・同じモンゴル出身の先輩 2026年の断髪式で、はさみを入れた約330人の参加者の一人。
花田虎上 元横綱・第66代横綱若乃花 2026年の断髪式に参加。
日本相撲協会 引退と年寄襲名の承認機関 2025年1月に引退を承認し、同年6月には部屋継承も承認。

優勝10回に至るまでの主な転換点

照ノ富士の幕内優勝10回は、一つの時代に集中して生まれたものではありません。大関時代、序二段からの復活後、横綱昇進後と、異なる段階で積み上げられています。

  • 2015年5月:関脇で初の幕内優勝。大関昇進への足掛かりとなる。
  • 2020年7月:前頭17枚目で13勝2敗。再入幕直後に優勝。
  • 2021年3月:関脇で12勝3敗の優勝。
  • 2021年9月:新横綱として13勝2敗で優勝。
  • 2021年11月:15戦全勝で横綱として初の全勝優勝。
  • 2023年5月:3場所連続全休から復帰し、14勝1敗で8度目の優勝。
  • 2024年1月:13勝2敗で9度目の優勝。
  • 2024年7月:12勝3敗で10度目の幕内優勝。

特筆すべきは2023年5月場所です。3場所連続で全休した横綱が復帰直後の場所で優勝するという、極めて難しい記録を達成しました。

この場所では14勝1敗で優勝を決め、優勝インタビューでは、手術後の日々を無駄にしないよう取り組んできたという趣旨の言葉を残しています。

故障で休む期間が長くても、復帰した場所で結果を出す。その勝負強さこそ、照ノ富士が多くの相撲ファンに強い印象を残した理由の一つです。

【2026年1月31日】両国国技館で行われた引退相撲と断髪式の全貌

現役引退から約1年後の2026年1月31日、東京・両国国技館で「照ノ富士引退伊勢ヶ濱襲名披露大相撲」が開催されました。

これは現役時代を応援したファンや関係者に感謝を伝えるとともに、力士としての姿に正式な区切りをつける興行です。日本相撲協会と伊勢ヶ濱部屋の公式案内にも、開催日と会場、当日の進行が掲載されました。

最後の横綱土俵入りは大の里・豊昇龍との豪華な共演

引退相撲の最大の見どころとなったのが、照ノ富士にとって最後の横綱土俵入りです。

この日、照ノ富士は露払いに大の里、太刀持ちに豊昇龍という現役の両横綱を従えて登場しました。加えて、まわし姿の長男・照務甚くんも一緒に土俵に上がっています。

披露したのは、照ノ富士が現役時代に行ってきた不知火型の横綱土俵入りです。

両膝には大きなサポーターを装着していましたが、力強く四股を踏み、最後の横綱土俵入りを披露。会場からは大きな拍手と声援が送られました。

大の里は巡業中に照ノ富士からアドバイスを受けたことにも触れ、貴重な経験になったとコメント。豊昇龍も一緒に土俵入りできた喜びを語っています。

長年、横綱として相撲界を支えた照ノ富士が、次の時代を担う2人の横綱と並んだ姿は、世代交代を象徴する場面にもなりました。

約330人が参加した断髪式と止めばさみ

最後の土俵入りに続いて行われたのが断髪式です。

大銀杏に別れを告げるため、約330人が順番にはさみを入れました。参加者には、元横綱の白鵬翔、元第66代横綱若乃花の花田虎上をはじめ、スポーツ界や各界の著名人が名を連ねました。

報道された主な参加者には、柔道の大野将平、競泳の北島康介、サッカーの小野伸二、ボクシングの阿部一二三や中谷潤人、ラグビーの稲垣啓太などがいます。

そして、最後にまげへはさみを入れる止めばさみを担当したのは、現役時代の師匠だった宮城野親方(元横綱・旭富士)です。

照ノ富士は、断髪式を終えた後、約330人それぞれとの思い出がよみがえったと振り返りました。止めばさみの際、師匠からは入門当初の苦労や努力をねぎらう言葉をかけられたといいます。

師匠とのやり取りについて、照ノ富士は「泣かそうとしていました」と笑顔で明かしました。師匠からは、これまでの努力を次の弟子たちに伝え、さらに強い力士を育てるよう期待を寄せられたそうです。

断髪後はタキシード姿で土俵に登場

断髪式を終えた照ノ富士は、大銀杏を切り落とした新しい髪型を披露しました。髪型はスイングショートに整えられ、現役時代とは異なる雰囲気に変わっています。

その後、タキシード姿で土俵に上がり、弟子たちに囲まれながら挨拶しました。

「次の世代を育て、相撲界に恩返しできるよう、一層精進いたします」

力士としての最後の儀式を終えた後も、照ノ富士が見据えていたのは指導者としての未来でした。

引退相撲の当日スケジュール

伊勢ヶ濱部屋が案内した当日の主な進行は次のとおりです。

  • 10時:開場。
  • 11時:ふれ太鼓、十両土俵入り、部屋トーナメント、十両取組など。
  • 11時45分頃:照ノ富士の最後の土俵入り。
  • 12時頃:断髪式、花束贈呈。
  • 14時30分頃:幕内土俵入り、横綱土俵入り、幕内取組など。
  • 16時頃:打ち出し。

当日の興行は終了しており、2026年11月現在、1月31日の引退相撲はすでに過去の節目となっています。

なお、当日の様子は日本相撲協会の公式チャンネルや報道各社の映像・写真でも紹介されています。

【2026年現在】照ノ富士は伊勢ヶ濱親方として何をしている?

照ノ富士は現役引退後、単に親方として協会に残っただけではありません。2025年6月には年寄「伊勢ヶ濱」を襲名し、伊勢ヶ濱部屋そのものを引き継ぎました。

2025年6月9日に伊勢ヶ濱部屋を継承

現役引退直後の2025年1月17日、照ノ富士は年寄「照ノ富士」として後進の指導にあたることが承認されました。

その後、同年6月9日、日本相撲協会は年寄名跡と相撲部屋の継承を正式に承認します。

この人事によって、照ノ富士は年寄「伊勢ヶ濱」を襲名し、伊勢ヶ濱部屋の師匠に就任しました。

一方、これまで師匠を務めていた元横綱・旭富士は、同日付で年寄「宮城野」を襲名しています。

つまり、2026年現在の照ノ富士は、伊勢ヶ濱部屋の師匠である伊勢ヶ濱親方です。単なる部屋付き親方ではなく、部屋を運営し、弟子たちの成長を担う立場になっています。

伊勢ヶ濱親方として掲げる指導方針

照ノ富士が引退会見で語った指導者としての目標は、勝つことだけを追い求めるのではなく、自分に負けない力士を育てることでした。

会見では、次のような抱負を述べています。

「自分に嘘をつかない、自分を曲げない力士を育てたい。その力士は必ず強くなる」

この言葉には、自身の経験が反映されています。

照ノ富士は、順調に出世した時期だけでなく、大関から序二段に落ち、病気や故障によって相撲を取れない苦しさも経験しました。だからこそ、結果が出ないときに何を考え、どう努力を続けるかという部分を、弟子たちに伝えられる立場にあります。

2025年6月の部屋継承会見でも、照ノ富士は歴史ある伊勢ヶ濱部屋を引き継ぐ責任を強調し、今以上に強い部屋にしていきたいという考えを示しました。

また、相撲部屋を家族のような存在と捉え、良いときも苦しいときも一緒に成長していく部屋を目指す姿勢も語っています。

2026年11月現在の立場と今後の展望

2026年11月現在、日本相撲協会の伊勢ヶ濱部屋公式紹介では、師匠として伊勢ヶ濱春雄の名前が掲載されています。現役時代の四股名は照ノ富士で、生涯戦歴523勝275敗231休、幕内優勝10回という実績も記載されています。

現在の主な役割は、伊勢ヶ濱部屋の運営と所属力士の指導です。

照ノ富士にとって、横綱時代の経験を次世代に伝えることは、新たな相撲人生の中心になります。序二段から復活した経験は、成績が伸び悩む弟子や故障からの復帰を目指す力士にとっても、具体的な指導の土台となるはずです。

今後注目されるのは、照ノ富士自身の記録ではなく、師匠としてどのような関取や横綱を育てていくかという点です。

【家族エピソード】照ノ富士の妻と長男・照務甚くんとの関係

照ノ富士の相撲人生を語る際には、家族の存在も見逃せません。特に長男の照務甚くんは、現役時代の節目だけでなく、2026年の引退相撲でも大きな注目を集めました。

2018年に結婚した妻とのエピソード

照ノ富士は2018年2月15日、大関昇進前から交際していたモンゴル人女性と結婚しています。結婚が公になったのは2021年1月で、同年2月11日には富岡八幡宮で結婚式を行いました。

妻は元横綱・旭天鵬の従妹にあたる女性です。旭天鵬は親族としても照ノ富士の妻を気にかけており、結婚に際して大切にするよう伝えていたとされています。

照ノ富士は故障や病気に苦しみながら現役を続けてきましたが、家族はそうした長い競技生活を支える存在でもありました。

長男の名前は照務甚(てむじん)

2022年11月、照ノ富士夫妻の間に第1子となる長男が誕生しました。

名前は照務甚(てむじん)。モンゴル帝国の初代皇帝チンギス・ハンの本名に由来しています。

照ノ富士は、長男が生まれた後も横綱として土俵に立ち続けました。ただし、本人は子供が生まれたことだけを理由に努力できるようになったわけではないという考えも示しています。子供が生まれる前から力士として努力するべきだった、という趣旨の発言も残しています。

家族を大切にしながらも、横綱としての責任や自身の目標を第一に考えていたことがうかがえます。

2026年1月31日、父と長男が最後の土俵入りに参加

照務甚くんが特に注目されたのが、2026年1月31日の引退相撲です。

当時3歳だった長男は、父親と一緒にまわし姿で土俵に上がりました。露払いの大の里、太刀持ちの豊昇龍と並び、照ノ富士の最後の横綱土俵入りを見届ける場面となりました。

長男が父親とともに土俵に立つ姿は、14年間の現役生活に区切りをつける象徴的な光景でした。

現役時代には、故障を抱えながら何度も土俵に戻ってきた照ノ富士。最後の土俵入りでは、横綱としての姿だけでなく、父親としての一面も印象に残しました。

なお、家族の詳細な日常生活や長男の現在の活動について、広く公表された情報は限られています。競技生活と家族のプライベートを分けながら、節目となる場面で家族の姿が伝えられてきました。

【プロの結論】照ノ富士の引退が大相撲に残したものとは?

照ノ富士の引退を評価する際、単純に横綱在位期間や休場回数だけを見ると、その本質を見誤る可能性があります。

むしろ注目すべきなのは、序二段まで番付を落とした力士が、どのようにして再び大関、横綱へと上り詰めたのかという過程です。

① 記録だけでは測れない復活の価値

幕内優勝10回、通算523勝という数字は、照ノ富士の実績を示しています。しかし、彼の最大の功績は、番付を失った後も競技生活を続け、再び最高位にたどり着いたことにあります。

特に2019年春場所の序二段での復帰は、引退会見でも思い出の一番として語られました。横綱としての華やかな勝利より、もう一度土俵に立つことを決めた瞬間が心に残っていたのです。

② 横綱としての責任感と身体の限界

横綱は、単に強ければよいという地位ではありません。土俵入りを含め、相撲界の象徴としての役割も求められます。

照ノ富士は故障や病気を抱えながらも、復帰を目指して何度も土俵に戻りました。2023年5月には3場所連続全休から優勝を果たし、2024年7月には10度目の幕内優勝を達成しています。

その一方で、2025年1月には自分が納得できる状態で相撲を取れないと判断し、引退を選びました。

これは、横綱としての責任を放棄したのではなく、最後まで自分の相撲に対して誠実であろうとした決断として捉えられます。

③ 親方としての第二の相撲人生

2025年6月の伊勢ヶ濱部屋継承によって、照ノ富士は指導者として新しい責任を担うことになりました。

自身の経験から、故障や不調で苦しむ力士の気持ちを理解できることは、指導者として大きな強みです。

ただし、現役時代に成功した方法をそのまま弟子に当てはめるだけでは十分ではありません。力士ごとに体格や得意技、精神面の特徴は異なります。照ノ富士が自分の経験をどう生かし、個々の力士に合わせた育成につなげるかが、今後の評価を左右するでしょう。

引退相撲で約330人がはさみを入れ、最後に師匠が止めばさみを入れたことも、照ノ富士がこれまで築いてきた人間関係を象徴しています。

最後の挨拶で語った「次の世代を育て、相撲界に恩返しできるよう」という言葉は、横綱としての物語が終わったのではなく、指導者としての新しい物語が始まったことを示しています。

照ノ富士の引退に関するよくある質問(FAQ)

Q1:照ノ富士はいつ引退しましたか?
A1:2025年1月17日に日本相撲協会が現役引退と年寄「照ノ富士」の襲名を正式に発表しました。最後の出場場所は2025年1月場所で、5日目から休場していました。

Q2:照ノ富士の引退理由は何ですか?
A2:長年の両膝の故障や糖尿病などの健康問題に加え、2025年1月場所では右膝の腫れと腰の痛みが悪化しました。本人は会見で、中途半端な気持ちと体で土俵に上がるべきではないと判断したと説明しています。

Q3:照ノ富士の引退相撲はいつ開催されましたか?
A3:2026年1月31日に東京・両国国技館で開催されました。最後の横綱土俵入りや断髪式が行われ、約330人がはさみを入れました。

Q4:最後の横綱土俵入りで露払いと太刀持ちを務めたのは誰ですか?
A4:露払いが大の里、太刀持ちが豊昇龍です。長男の照務甚くんも一緒に土俵へ上がりました。

Q5:照ノ富士の断髪式で止めばさみを入れたのは誰ですか?
A5:現役時代の師匠だった宮城野親方(元横綱・旭富士)です。約330人がはさみを入れた後、最後に師匠が止めばさみを担当しました。

Q6:2026年現在、照ノ富士は何をしていますか?
A6:年寄・伊勢ヶ濱として伊勢ヶ濱部屋の師匠を務めています。2025年6月9日に部屋を継承し、現在は後進の育成と部屋の運営に携わっています。

Q7:照ノ富士の幕内優勝回数と通算成績は?
A7:幕内優勝は通算10回です。日本相撲協会の公式プロフィールによると、生涯戦歴は523勝275敗231休、82場所です。

Q8:照ノ富士の長男の名前と由来は何ですか?
A8:長男の名前は照務甚(てむじん)くんです。2022年11月に誕生し、モンゴル帝国の初代皇帝チンギス・ハンの本名に由来しています。

まとめ:照ノ富士引退は終わりではなく、新たな相撲人生の始まり

第73代横綱・照ノ富士は、2025年1月17日に現役引退を正式発表しました。大関から序二段まで転落し、膝の故障や糖尿病などに苦しみながらも、再び大関、横綱へと返り咲いた力士です。

幕内優勝10回、通算523勝という記録に加え、3場所連続全休からの優勝や序二段からの復活劇は、大相撲史に残る実績となりました。

2026年1月31日の引退相撲では、大の里と豊昇龍を従え、長男の照務甚くんとともに最後の横綱土俵入りを披露。約330人が参加した断髪式では、師匠の宮城野親方が止めばさみを入れました。

そして2026年11月現在、照ノ富士は伊勢ヶ濱部屋の師匠として、新たな役割を担っています。

今後の注目点は、横綱として残した優勝記録だけではありません。自分自身が経験した挫折と復活を、どのように弟子たちへ伝えていくのかということです。

序二段から横綱へ、そして横綱から親方へ。照ノ富士の相撲人生は、現役引退によって終わったのではなく、次の世代を育てる新しい段階へと進んでいます。

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天音 栞

アイドルグループとアーティストの動向を追うライター。公式サイト・公式SNS・音楽配信のクレジットを照合し、卒業や加入などの発表は必ず一次情報の日付とともに記録します。

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