高田みづえさんの夫は、元大相撲大関の若嶋津六夫(わかしまづ・むつお)さんです。本名は日高六男(ひだか・むつお)。1957年1月12日に鹿児島県熊毛郡中種子町、種子島で生まれました。
現役時代は、俊敏な動きと精悍な容姿から「南海の黒豹」という愛称で人気を集めました。1983年に大関へ昇進し、1984年には幕内優勝を2度達成しています。
引退後は親方として後進を育て、日本相撲協会の理事も務めました。相撲界で長く活動した後、2023年7月に日本相撲協会を退職しています。
そして、2026年3月15日、千葉県内の病院で肺炎のため69歳で亡くなりました。訃報は日本相撲協会からも発表され、各社がその生涯と功績を報じています。
若嶋津の基本プロフィール
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 四股名 | 若嶋津六夫 |
| 本名 | 日高六男 |
| 生年月日 | 1957年1月12日 |
| 出身地 | 鹿児島県中種子町 |
| 最高位 | 大関 |
| 所属部屋 | 二子山部屋 |
| 愛称 | 南海の黒豹 |
| 幕内優勝 | 2回 |
| 現役引退 | 1987年7月 |
| 死去 | 2026年3月15日 |
| 享年 | 69歳 |
| 死因 | 肺炎 |
| 妻 | 高田みづえ |
特に注目したいのは、若嶋津さんが単なる人気力士ではなく、引退後も相撲界に大きな足跡を残した人物だったことです。
高田さんとの結婚によって芸能界と大相撲という異なる世界が結びつきましたが、夫婦の人生はその後、相撲部屋の経営や弟子の育成という新しい段階へ進んでいきました。
【夫婦の馴れ初め】新聞対談で出会い、1985年9月27日に結婚

高田みづえさんと若嶋津さんの出会いは、芸能界の知人を介した紹介でも、テレビ番組での共演でもありません。
新聞の取材をきっかけにした対談でした。
この出会いについては、2026年10月24日に高田さん自身がニッポン放送「徳光和夫 とくモリ!歌謡サタデー」に出演した際、当時の記憶を詳しく語っています。
出会いは大相撲の支度部屋だった
高田さんによると、当時は歌手活動が非常に忙しく、月に1回休めるかどうかという生活でした。
その時期に新聞の取材が入り、若嶋津さんとの対談が実現します。
初めて顔を合わせた場所は、大相撲の支度部屋でした。
若嶋津さんは取組前の準備中で、床山に髪を結ってもらっていたといいます。
高田さんが自己紹介すると、若嶋津さんは大きな体をしながら顔を真っ赤にしたそうです。
2026年10月の番組で、高田さんはそのときの第一印象について、純情な人だと感じたことを振り返りました。
実は、若嶋津さんは以前から高田さんのファンだったことも伝えられています。
つまり、若嶋津さんにとっては憧れていた歌手と直接会える機会でもあったのです。
電話で育まれた2人の関係
交際当時は、若嶋津さんの地方巡業や高田さんの歌手活動があり、頻繁に会える環境ではありませんでした。
高田さんは2026年10月の番組で、当時は電話で話すことが多かったと説明しています。
また、若嶋津さんの優しさや、自分にはないものを教えてくれるところに惹かれたとも語りました。
同じ鹿児島県出身という共通点も、2人の距離を縮める要素になったと考えられます。
1985年2月に婚約、9月に結婚
2人は1985年2月に婚約を発表しました。
当時、高田さんは人気絶頂のアイドル歌手。若嶋津さんも大関として注目を集めていたため、芸能界と相撲界の大きな話題になりました。
そして、1985年9月27日、東京・紀尾井町のホテルニューオータニで神前結婚式を挙げています。
当時の報道によると、披露宴には約1500人が招待され、テレビ朝日系列で生中継された披露宴は30.2%の視聴率を記録しました。
当時の芸能界を代表する大型結婚イベントの一つだったことが分かります。
結婚を機に高田みづえは芸能界を引退
結婚と同時に、高田さんは歌手活動に終止符を打ちました。
1977年に「硝子坂」でデビューし、「私はピアノ」などのヒット曲を持ち、NHK紅白歌合戦にも7回出場していた人気歌手です。
そのキャリアを1985年に区切り、夫と家庭を支える道を選びました。
単に結婚によって仕事を休止したというよりも、生活の中心を大きく変える決断だったのです。
後年の取材で高田さんは、歌手になりたかった夢への思いもあったと振り返っています。それでも、若嶋津さんと出会ったことが人生の大きな転機になりました。
【若嶋津の経歴】「南海の黒豹」と呼ばれた元大関の実績
若嶋津さんの相撲人生は、1975年春場所の初土俵から始まりました。
鹿児島商工高校(現在の樟南高校)を卒業後、元横綱初代若乃花が率いる二子山部屋に入門します。
小柄ながらも俊敏な動きとスピード感のある取り口が特徴で、左四つを得意としました。
体の軽さを弱点にせず、持ち味である機動力を生かして上位へと進出していきます。
大関昇進から幕内優勝2回へ
1980年春場所で新十両、1981年初場所で新入幕を果たしました。
そして1982年九州場所後、大関昇進を決めます。
1984年には春場所で14勝1敗の成績を残して初優勝。同年の名古屋場所では15戦全勝という圧倒的な成績で2度目の優勝を達成しました。
俊敏な相撲と精悍な容姿から「南海の黒豹」と呼ばれ、昭和の大相撲を代表する人気力士の一人となりました。
若嶋津の主な経歴年表
| 年月 | 出来事 | 内容・関係者 |
|---|---|---|
| 1957年1月 | 誕生 | 鹿児島県中種子町 |
| 1975年3月 | 初土俵 | 二子山部屋に入門 |
| 1981年1月 | 新入幕 | 幕内力士へ昇進 |
| 1983年1月 | 大関昇進 | 九州場所後に昇進決定 |
| 1984年3月 | 初優勝 | 春場所14勝1敗 |
| 1984年7月 | 2度目の優勝 | 名古屋場所15戦全勝 |
| 1985年2月 | 婚約発表 | 高田みづえさんと婚約 |
| 1985年9月 | 結婚 | 高田みづえさんと挙式 |
| 1987年7月 | 現役引退 | 年寄・松ケ根を襲名 |
| 1990年2月 | 部屋を創設 | 松ケ根部屋を設立 |
| 2014年12月 | 名跡変更 | 年寄・二所ノ関を襲名 |
| 2017年10月 | 頭部手術 | 路上で倒れ、療養生活へ |
| 2021年12月 | 部屋を継承 | 放駒親方に部屋を引き継ぐ |
| 2022年1月 | 定年 | 65歳で定年を迎える |
| 2023年7月 | 協会退職 | 日本相撲協会を退職 |
| 2026年3月15日 | 死去 | 肺炎のため69歳で死去 |
引退後は松ケ根部屋を創設
1987年7月、若嶋津さんは現役を引退し、年寄「松ケ根」を襲名しました。
その後、1990年2月に独立して松ケ根部屋を創設します。
2014年には年寄「二所ノ関」を襲名し、部屋の名称も二所ノ関部屋となりました。
師匠としては松鳳山ら7人の関取を育て、後進の育成にも力を注ぎました。
現役時代だけでなく、引退後も相撲界の発展に関わり続けたことが、若嶋津さんの大きな功績です。
現役時代の通算成績は515勝330敗21休。幕内優勝2回、敢闘賞2回、技能賞3回、金星2個という実績を残しました。
【相撲部屋のおかみ】高田みづえが支えた32年間
高田みづえさんの人生を語るうえで欠かせないのが、相撲部屋のおかみとして過ごした約32年間です。
1985年の結婚後、若嶋津さんが現役を引退して親方になると、高田さんは相撲部屋を支える立場になりました。
1990年2月の松ケ根部屋創設を機に、本格的におかみとしての生活が始まります。
おかみの仕事は弟子たちの生活を支えること
相撲部屋のおかみは、単に師匠の妻というだけではありません。
力士たちが日々の稽古や本場所に集中できるよう、生活面を幅広く支える役割があります。
具体的には、次のような仕事が含まれます。
- 力士や関係者の食事・生活面のサポート
- 弟子やその家族との連絡・相談対応
- 後援会や関係者との交流
- 部屋の行事や来客への対応
- 弟子たちが相撲に専念できる環境づくり
高田さんは芸能界から相撲界へと生活の舞台を移し、こうした裏方の仕事に取り組みました。
Numberの2022年の取材記事では、松ケ根部屋創設当初、弟子3人と元力士のマネージャーでスタートしたことが紹介されています。
また、高田さんは当初、元歌手という経歴によって自分の名前ばかりが目立つことを気にしていたそうです。
そこで、徹底して裏方に徹するという考えを持つようになりました。
100人を超える弟子たちを支えた日々
2026年の報道では、高田さん自身が、相撲部屋のおかみとして延べ100人を超える弟子たちと過ごしたことを振り返っています。
また、弟子たちとは部屋を離れた後も連絡を取り合っていると話しました。
このエピソードからも、おかみという役割が単なる仕事ではなく、長期的な人間関係を築く生活そのものだったことがうかがえます。
2022年におかみを卒業した理由
2021年12月、松ケ根部屋から続く部屋は元関脇玉乃島の放駒親方に引き継がれました。
その後、2022年の初場所を終えた時点で、高田さんは32年間続けてきたおかみの仕事を卒業しています。
若嶋津さんも2022年1月に65歳の定年を迎えました。
ただし、定年と日本相撲協会からの完全な退職は同じ日ではありません。
定年後は参与として協会に残り、2023年7月21日付で正式に退職しました。
この経緯は、検索時に混同されやすいポイントです。
- 2021年12月:部屋を放駒親方へ継承
- 2022年初場所後:高田さんがおかみを卒業
- 2022年1月:若嶋津さんが65歳の定年を迎える
- 2023年7月:日本相撲協会を退職
高田さんは2022年以降、相撲部屋のおかみという役割から離れ、夫の療養生活を支える日々へと移っていきました。
【2017年の倒れた日から死去まで】8年半の療養と肺炎
若嶋津さんの人生に大きな変化が訪れたのは、2017年10月でした。
千葉県船橋市内の路上で倒れ、病院へ搬送されて頭部の手術を受けました。
当時は一時意識不明の重体となりましたが、その後、生命の危機を脱し、療養とリハビリを続けることになります。
2017年10月、頭部の手術を受ける
当時の若嶋津さんは、日本相撲協会の理事を務めていました。
しかし、突然の転倒と手術によって、相撲協会の業務や将来の理事選への出馬にも影響が出ました。
以降はリハビリを続ける生活となり、高田さんが夫を支える日々が始まります。
この出来事から2026年3月の死去まで、約8年半の時間が経過しました。
高田みづえが続けた長期の介護生活
若嶋津さんは、倒れた後も療養生活を続けていました。
高田さんは自宅で夫を介護し、できる限り自宅で過ごせるよう支えていたことを、2026年3月24日の葬儀で明かしています。
しかし、2025年8月からは自宅での生活が難しくなり、施設でお世話になるようになりました。
高田さんは、秋ごろには状態が少し良くなり、再び自宅へ帰れるかもしれないと考えていたことも説明しています。
その後、2026年3月に夫を見送ることになりました。
若嶋津の死因は肺炎、享年69歳
2026年3月15日、若嶋津さんは千葉県内の病院で肺炎のため亡くなりました。
享年69歳でした。
スポニチの報道によると、亡くなったのは午前11時34分。前年夏から体調を崩していたと伝えられています。
死因については、報道各社と日本相撲協会の発表で肺炎とされています。2017年の頭部手術が直接の死因だったという発表ではありません。
葬儀では高田みづえが喪主を務めた
2026年3月23日に通夜、翌24日に葬儀が千葉県市川市内で営まれました。
喪主を務めたのは妻の高田みづえさんです。
葬儀には約300人が参列し、若嶋津さんの現役時代の功績や人柄をしのびました。
高田さんは葬儀のあいさつで、夫が倒れてからも日本相撲協会の支援を受け、65歳の定年まで相撲界での人生を全うできたことへの感謝を伝えました。
加えて、夫が家族を何より大切にしていたことも明かしています。
「お父さんの幸せは何?」と聞くと、必ず「勝信、アイリ、お母さん」と答えていました。
2026年3月24日、高田みづえさんの葬儀でのあいさつより。日刊スポーツ報道。
高田さんは、夫が家族について「それ以外何があるの」と話していたことも紹介しました。
この言葉は、若嶋津さんが家庭をどれほど大切にしていたかを伝えるエピソードとして報じられています。
【2026年最新の高田みづえ】夫を見送った後、再び歌声を披露
2026年11月現在、高田みづえさんは夫の死去を経て、新たな人生の段階を迎えています。
大きな話題となったのが、2026年8月のNHK音楽番組への出演です。
2026年8月25日、NHK「うたコン」で11年ぶりの歌唱
2026年8月25日、高田さんはNHK総合の「うたコン」に生出演しました。
番組は「高田みづえ 一夜限りの復活SP」として放送され、デビュー曲「硝子坂」とヒット曲「私はピアノ」を披露しました。
テレビでの生歌唱は11年ぶりと報じられています。
高田さんは1977年のデビューから人気を集め、1985年に結婚を機に芸能界を引退しました。
その後は長く表舞台から距離を置いていたため、今回の出演は往年のファンにとっても印象的な出来事となりました。
歌唱を決断した背景には夫との別れがあった
2026年10月24日のスポーツ報知の取材で、高田さんは「うたコン」出演に至った経緯を説明しています。
夫が亡くなったことで気持ちが落ち込み、このままではいけない、一歩踏み出さなければという思いがあったそうです。
そこにNHKから出演の話が届き、出演を決めました。
また、歌唱に向けては一人でカラオケに通って練習したことも明かしています。
長年歌っていなかったこともあり、NHKホールでの歌唱には緊張したと振り返りました。
10月24日には41年ぶりにニッポン放送へ出演
加えて、2026年10月24日には、ニッポン放送「徳光和夫 とくモリ!歌謡サタデー」に生出演しました。
同局への出演は41年ぶりです。
この番組では若嶋津さんとの出会いや結婚生活、歌手時代の思い出などを語りました。
特に印象的なのは、夫との人生を振り返る高田さんの言葉です。
日刊スポーツの取材では、若嶋津さんとの人生について「親方が導いてくれた人生」と表現したことが紹介されています。
また、介護生活についても、夫婦の絆という言葉だけでは簡単に表せない時間だったと語っています。
健康であることや、当たり前に生活できることのありがたさを改めて感じたとも話しました。
本格的な歌手復帰は決まっている?
2026年10月24日の取材では、今後の歌手活動についても質問が出ました。
高田さんは、現在は本格的な復帰を考えているわけではないと説明しています。
紅白歌合戦への出演についても、明確な意欲を示したわけではありません。
したがって、2026年11月現在の状況は次のように整理できます。
- 2026年8月:NHK「うたコン」で11年ぶりの生歌唱
- 2026年10月:ニッポン放送に41年ぶりに生出演
- 夫との出会いや結婚生活について、自身の言葉で振り返る
- 本格的な歌手活動への復帰は未定
一夜限りの出演を、そのまま芸能界への完全復帰と受け取るのは正確ではありません。
ただし、長年支え続けた夫を見送った後、高田さんが少しずつ新しい一歩を踏み出していることは、2026年の出演から伝わってきます。
【高田みづえの夫】に関するよくある質問(FAQ)
Q1:高田みづえの夫は誰ですか?
元大関・若嶋津こと日高六男さんです。現役時代は「南海の黒豹」と呼ばれ、引退後は松ケ根部屋を創設した相撲界の指導者でした。
Q2:若嶋津の本名は何ですか?
本名は日高六男(ひだか・むつお)です。1957年1月12日生まれで、鹿児島県中種子町の出身です。
Q3:若嶋津はいつ、何歳で亡くなりましたか?
2026年3月15日です。肺炎のため千葉県内の病院で亡くなり、享年69歳でした。
Q4:高田みづえと若嶋津はいつ結婚しましたか?
1985年9月27日です。同年2月に婚約を発表し、東京のホテルニューオータニで挙式しました。
Q5:高田みづえと若嶋津の子供は何人ですか?
子供は1男1女の2人です。長男は勝信さん、長女はモデルや女優として活動するアイリさんです。2026年3月の葬儀で、高田さん自身が2人の名前を挙げています。
Q6:高田みづえは相撲部屋のおかみをいつまで務めましたか?
1990年の松ケ根部屋創設から、2022年の初場所後までです。約32年間にわたり弟子たちを支えました。
Q7:2026年現在、高田みづえは芸能界に復帰していますか?
2026年8月にNHK「うたコン」で11年ぶりに歌唱し、10月にはニッポン放送にも出演しました。ただし、本格的な歌手活動への復帰は明言していません。
まとめ:高田みづえと若嶋津、41年間にわたる夫婦の歩み
高田みづえさんの夫は、元大関・若嶋津こと日高六男さんでした。
2人は新聞取材をきっかけに出会い、1985年に結婚。人気絶頂だった高田さんは歌手を引退し、夫とともに歩む人生を選びました。
1990年に松ケ根部屋が創設されると、高田さんはおかみとして弟子たちを支え、約32年間にわたって相撲部屋を切り盛りしました。
2017年10月には若嶋津さんが倒れて頭部の手術を受け、長期の療養生活が始まります。高田さんは約8年半にわたって夫を支えましたが、2026年3月15日、若嶋津さんは肺炎のため69歳で亡くなりました。
夫を見送った後の高田さんは、2026年8月にNHK「うたコン」で歌声を披露し、10月にはラジオ番組で夫との出会いや人生を振り返っています。
若嶋津さんは大相撲の名大関として、高田みづえさんは歌手として、そして相撲部屋のおかみとして、それぞれの立場で時代を歩んできました。
2人の歩みは、華やかな芸能界と厳しい相撲界を結びつけた夫婦の歴史でもあります。若嶋津さんが残した相撲界での功績と、高田さんが長年支えてきた家族や弟子たちとのつながりは、これからも語り継がれていくでしょう。
主な参考報道・資料:日本相撲協会、共同通信、日刊スポーツ、スポニチ、Number Web、NHK「うたコン」関連報道、ニッポン放送「徳光和夫 とくモリ!歌謡サタデー」(2026年10月24日)。