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山田裕貴の出身高校は東邦高校!野球を辞めた理由と甲子園の挫折、俳優への転機を徹底解説

橘 宗 橘 宗 • 更新: • 公開: • 読了約 23 分
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俳優・山田裕貴さんの出身高校は、愛知県名古屋市にある東邦高等学校(東邦高校)です。元プロ野球選手の父・山田和利さんも同校の卒業生であり、山田さん自身も幼少期からプロ野球選手を夢見て野球に打ち込んでいました。しかし、高校では野球部に入らず、バレーボール部に所属。高校3年生の夏、母校が甲子園に出場した際、スタンドからかつての仲間たちの活躍を見つめ、人生最大級の挫折を味わったと振り返っています。

2026年11月3日現在、36歳となった山田さんは、映画『ゴジラ-0.0』の公開を迎えるなど、第一線で活躍する俳優です。高校時代に経験した野球への未練は、なぜ俳優という新しい道を選ぶきっかけになったのでしょうか。出身高校の詳細、野球を辞めた理由、甲子園での出来事、大学進学を選ばなかった背景、卒業後の進路まで、本人のインタビューと報道をもとにたどります。

【学歴を解説】山田裕貴の出身高校は東邦高校!父も卒業した野球の名門校

山田裕貴高校

愛知県名古屋市の東邦高等学校が出身校

山田裕貴さんの出身高校は、愛知県名古屋市にある東邦高等学校です。

東邦高校は、野球の強豪校として全国的に知られる学校です。春の選抜高校野球大会では優勝経験もあり、数多くの甲子園出場実績を持っています。

山田さんにとって、この学校は単なる進学先ではありません。父親の山田和利さんも東邦高校の野球部OBであり、親子にとって野球とのつながりが深い母校でした。

父・和利さんは中日ドラゴンズや広島東洋カープなどでプレーした元プロ野球選手です。幼い頃の山田さんは、テレビに映る父の姿に憧れ、自身もプロ野球選手になることを夢見ていました。

2023年のテレビ出演時には、父と同じ高校を選んだ理由について、父に少しでも近づきたかったのかもしれないと振り返っています。

父親の背中を追いかけてきた少年にとって、東邦高校への進学は、野球選手としての夢と家族への憧れが重なる選択だったのです。

父親の母校でありながら、野球部には所属しなかった

ここで注目したいのが、山田さんは東邦高校の野球部員ではなかったという点です。

本人が2025年のTOKYO FMの番組『木村拓哉 Flow』で語ったところによると、高校時代は野球を辞め、バレーボール部に所属していました。

野球の名門校に進学しながら、野球部ではなく別の部活動を選んだ背景には、中学時代までに経験した競技人生の挫折がありました。

父と同じ道を進みたいという気持ちと、自分自身の可能性を考えた末の決断。その両方を抱えながら過ごした高校生活だったのです。

【野球を辞めた理由】山田裕貴はなぜプロ野球選手の夢を諦めたのか

小学生時代は全国大会にも出場した野球少年

山田裕貴さんが野球を始めたのは、小学3年生から4年生ごろです。

父親がプロ野球選手だったこともあり、野球は身近な存在でした。本人のインタビューによると、リトルリーグでは全国大会に出場するほど本格的に競技に取り組んでいました。

しかし、中学生になってシニアリーグに進むと、周囲の選手のレベルの高さを実感するようになります。

CREAのインタビューでは、体格の違いや、圧倒的な身体能力を持つ同世代の選手たちとの出会いを振り返っています。リンゴを握りつぶせるほどの力を持つ選手もいたといい、上には上がいることを痛感したそうです。

また、2023年のテレビ出演では、強豪チームに所属していたものの、レギュラーになれずベンチにいた経験も語っています。

父親がプロ野球選手という環境は、憧れであると同時に、知らず知らずのうちに自分を比較してしまうプレッシャーにもなっていました。

野球を辞めたのは中学時代から高校進学にかけて

山田さんは、中学3年生まで野球を続けた後、競技を辞める決断をしました。

その理由は、単に野球が嫌いになったからではありません。プロを目指す自分と、実際の競技レベルとの距離を感じるようになったことが大きかったと語っています。

CREAの2017年のインタビューでは、プロになれるか分からないまま野球を続けることに時間を使うより、人生は一度きりだから別の道を探したいという思いがあったと説明しています。

加えて、2021年のTBS系『A-Studio+』出演時には、父親の存在についても率直に振り返りました。

プロ野球選手の息子という立場を重く感じ、自分自身の人生を生きているのか、それとも父親を追いかけているのか分からなくなったというのです。

野球を辞める際、父親からかけられた言葉も印象的です。

「俺は(野球を)やれ、とは言ってない。何で自分でやると決めたことを最後までやらないんだ」

父親は、息子にプロ野球選手になることを強制していたわけではありません。自分で選んだことには最後まで向き合ってほしい、という思いを伝えていたのです。

当時の山田さんにとって、この言葉の意味を本当に理解するのは、もう少し先のことでした。

高校ではバレーボール部へ。野球から離れた新しい生活

東邦高校に進学した山田さんは、野球部には入らず、バレーボール部で高校生活を送りました。

ただし、野球との縁が完全に切れたわけではありません。中学時代のクラブチームで一緒にプレーしていた仲間や、対戦した選手たちは、その後も野球を続けていました。

高校生活の中で、彼らの成長を目にする機会が訪れます。それが、2008年夏の甲子園でした。

【2008年の甲子園】母校の出場で味わった高校時代最大の挫折

高校3年生の夏、東邦高校が甲子園へ

2008年、山田裕貴さんが高校3年生だった夏、東邦高校は第90回全国高等学校野球選手権記念大会に出場しました。

学校全体で甲子園に応援に行くことになり、山田さんも野球部員ではなく、一般の生徒としてスタンドから母校を応援しました。

当時の東邦高校は、1回戦で北海高校に15対10、2回戦で清峰高校に5対4で勝利。3回戦まで進出しましたが、大阪桐蔭高校に5対7で敗れています。

この大会は、東邦高校が全国の強豪校と戦う姿を、山田さんがスタンドから見届けた特別な夏となりました。

かつてのチームメートが甲子園で活躍する姿

山田さんにとって、試合の光景が特別だった理由は、母校の勝敗だけではありません。

グラウンドには、中学時代に同じ硬式野球のクラブチームでプレーしていた仲間たちがいました。かつて一緒に野球をしていた選手が4番打者として出場し、別の対戦相手だった選手も正捕手や主将として活躍していました。

2025年9月放送のTOKYO FM『木村拓哉 Flow』では、山田さん自身が当時の状況を具体的に振り返っています。

自分はユニフォームを着てグラウンドに立っているわけではなく、普通の高校生としてスタンドに座っている。その隣では、かつて同じ舞台で戦った仲間たちが、甲子園という憧れの場所で輝いている。

その現実を目の当たりにし、試合前から涙が止まらなくなったといいます。

「自分で自分の人生にフタをした」という後悔

2021年の『A-Studio+』や2023年の『日曜日の初耳学』などで語られた甲子園での体験は、山田さんの人生を語るうえで欠かせないエピソードです。

彼は、輝いている仲間たちを見ながら、自分も野球を続けていれば同じ場所に立てたかもしれないと考えました。

そして、父親から言われていた「自分で決めたことは最後までやり続けろ」という言葉を思い出します。

野球を辞めたことそのものよりも、自分で決めた道を途中で諦めてしまったことへの後悔。その感情が、甲子園のスタンドで一気にあふれ出したのです。

2026年7月のORICON NEWSのインタビューでも、山田さんは高校3年生の夏を人生の転機として紹介しています。挫折の感覚と、友人が活躍することへの興奮が同時に存在した、忘れられない経験だったと話しています。

重要なのは、この出来事が単なる野球への未練で終わらなかったことです。

自分で次に選ぶ道だけは、最後までやり抜こう。その決意が、俳優としての人生につながっていきました。

【俳優を目指したきっかけ】山田裕貴が大学進学を選ばなかった理由

父親と一緒に見た映画やドラマが原点

山田裕貴さんが俳優に興味を持つようになった背景には、父親との家庭での思い出も関係しています。

父親はプロ野球選手として遠征などで家を空けることが多く、幼い頃から一緒に過ごす時間が限られていました。

山田さんが2017年のCREAのインタビューで語ったところによると、父親や家族との思い出として印象に残っているのは、映画やドラマを一緒に見ていた時間だったそうです。

特に『踊る大捜査線』のようなテレビドラマや洋画に夢中になり、次第に作品の中で生きる俳優という仕事に惹かれていきました。

父親を野球以外の分野で超えたいという気持ちもありました。テレビに出演する回数なら父親を超えられるかもしれない。そんな思いも俳優を目指す原動力になったと明かしています。

大学に行くより、人の心を学べる俳優になりたい

高校3年生になり、大学進学を含めた将来の進路を考える時期を迎えた山田さん。しかし、やりたいことが明確でないまま大学へ進学する自分の姿には、しっくりこなかったといいます。

心理学に興味があり、人間の心について学びたいという気持ちはありました。一方で、お笑いや歌手といった道も考えたものの、自分には特別な才能がないと感じていました。

そこで思い至ったのが俳優という仕事です。

俳優ならさまざまな人物の人生を演じることができる。役を通して人間の感情や考え方を理解できるのではないか。そんな発想が、俳優を目指す決断につながりました。

2023年のスタディサプリ進路のインタビューでも、山田さんはこの考え方を高校生に向けて語っています。

「俳優さんならいろいろな人生を生きられるから、人の心も知れるんじゃないかな」

この言葉からは、単に有名になりたいという願望だけではなく、人間そのものへの興味が俳優という職業選択につながったことが分かります。

高校時代の野球の挫折、父親への憧れ、映画やドラマへの関心。これらが重なり、大学進学ではなく俳優を目指すという選択に至ったのです。

【高校卒業後の進路】ワタナベエンターテイメントカレッジで俳優修業へ

2009年4月、大学には進学せず上京

東邦高校を卒業した山田さんは、大学には進学しませんでした。

選んだ進路は、俳優を目指すための専門的な教育を受けられるワタナベエンターテイメントカレッジ(WEC)です。

ワタナベエデュケーションの公式沿革によると、山田さんは2009年4月に同校の6期生として入学しています。

高校時代に愛知県で過ごした生活から離れ、俳優を目指して新しい環境へ飛び込んだのです。

2025年10月のスポニチのインタビューでも、高校卒業後に上京し、ワタナベエンターテイメントカレッジで演技を学んだことを本人が振り返っています。

養成所ではエキストラや裏方の仕事にも積極的に挑戦

WECに入学した山田さんは、演技のレッスンを受けるだけではなく、エキストラなどの仕事にも積極的に応募していました。

2020年のワタナベエデュケーション公式インタビューでは、在学中に意識していたことについて、次のように説明しています。

「もう仕事をしている感覚でいく。」

学校で学ぶことを単なる練習と考えず、すでに俳優として仕事をしているつもりで取り組んでいたのです。

一方で、本人は本当に俳優になれるのかという不安も感じていたと明かしています。

芸能界は、養成所に入学しただけで成功が約束される世界ではありません。山田さん自身も、同じ夢を持つ人たちの中で活躍できるのは一握りだと認識していました。

2010年のオーディションでグランプリ、2011年に俳優デビュー

転機となったのが、2010年に開催された「D-BOYSスペシャルユニットオーディション」です。

山田さんは「D-BOYS部門」でグランプリを獲得し、ワタナベエンターテインメントへの所属につながりました。

そして2011年、テレビ朝日系の特撮ドラマ『海賊戦隊ゴーカイジャー』でジョー・ギブケン/ゴーカイブルー役を演じ、俳優としてデビューします。

中学時代に野球を諦め、高校時代に甲子園のスタンドで味わった挫折から数年。自分で選んだ俳優という道で、ついに本格的な第一歩を踏み出しました。

山田裕貴の学歴と人生の転換点を年表で整理

ここまでの経歴を、学校生活と俳優としてのキャリアを結び付けて整理すると、次のようになります。

時期 学校・出来事 人物・キャリアとの関係
小学生時代 野球を始める 父・山田和利さんに憧れ、プロ野球選手を目指す
中学生時代 硬式野球のクラブチームで活動 全国レベルの選手たちとの競争を経験
中学卒業前後 野球を辞める プロ野球選手への夢を断念
高校時代 東邦高等学校 野球部には入らず、バレーボール部に所属
2008年夏 第90回全国高校野球選手権記念大会 高校3年生として母校を甲子園のスタンドから応援
2009年4月 ワタナベエンターテイメントカレッジ6期生 大学へは進学せず、演技の勉強を開始
2010年 D-BOYSスペシャルユニットオーディション D-BOYS部門でグランプリを獲得
2011年 『海賊戦隊ゴーカイジャー』 ジョー・ギブケン/ゴーカイブルー役で俳優デビュー
2026年 映画・ドラマで活躍 『ゴジラ-0.0』『キングダム 魂の決戦』などに出演

この年表から見えてくるのは、山田さんのキャリアが一度のオーディションで突然始まったわけではないということです。

野球への挫折、進路への迷い、養成所での下積み、オーディションへの挑戦という段階を経て、現在の俳優人生が形作られています。

【2026年最新プロフィール】山田裕貴の現在と高校時代から続く野球への思い

2026年11月3日時点の基本プロフィール

山田裕貴さんの現在のプロフィールを、所属事務所ワタナベエンターテインメントの公式情報をもとに整理します。

  • 名前:山田裕貴(やまだ・ゆうき)
  • 生年月日:1990年9月18日
  • 年齢:36歳
  • 出身地:愛知県
  • 身長:178cm
  • 所属事務所:ワタナベエンターテインメント
  • 出身高校:東邦高等学校
  • 卒業後の進路:ワタナベエンターテイメントカレッジ
  • 俳優デビュー:2011年

2026年の主な出演作品

2026年現在も山田さんは映画やドラマで幅広く活動しています。

  • 映画『ゴジラ-0.0』:2026年11月3日公開。水島四郎役。
  • 映画『キングダム 魂の決戦』:2026年公開。万極役。
  • ドラマ『ちるらん 新撰組鎮魂歌』:土方歳三役。TBSとU-NEXTの作品。
  • 映画『スーパーモブニンジャ』:2027年2月19日配信予定。主演・東野昭役。

特に『ゴジラ-0.0』は、2023年の『ゴジラ-1.0』に続く作品であり、山田さんは水島四郎役として出演しています。

2026年11月3日の公開初日には、神木隆之介さん、浜辺美波さん、佐々木蔵之介さん、安藤サクラさんらとともに舞台挨拶にも登壇しました。

かつて高校時代に自分の将来を模索していた青年は、現在では日本を代表する映画シリーズにも出演する俳優へと成長しています。

母校・東邦高校への思いは今も続いている

山田さんと東邦高校の関係は、卒業によって終わったわけではありません。

2019年、東邦高校が第91回選抜高校野球大会で優勝した際には、所属事務所を通じて後輩たちへの祝福メッセージを発表しました。

そのコメントでは、小さい頃からプロ野球選手を夢見て野球をしていたこと、東邦高校で野球をすることはなかったものの、親友が甲子園に出場したことを応援しに行った思い出が鮮明に残っていることを伝えています。

さらに2026年7月のORICON NEWSのインタビューでは、現在も甲子園を欠かさずチェックしていると語りました。

愛知県大会の予選も見守っており、母校で監督を務める高校時代の親友が、いつか夏の甲子園に出場する姿を見届けたいという夢も明かしています。

高校時代に涙を流した場所は、現在では後輩や仲間たちの挑戦を応援する場所へと変わりました。

かつて野球を諦めた経験を持つからこそ、甲子園を目指して努力する選手たちへの思いも特別なものになっているの可能性があります。

【誤解を整理】山田裕貴の高校時代・学歴について知っておきたい事実

山田裕貴さんの学歴や野球経験については、複数のエピソードが混同されることがあります。特に押さえておきたいのは次の4点です。

1.東邦高校の野球部員だったのか?

いいえ。山田さんは東邦高校に在学していましたが、野球部には所属していません。本人はTOKYO FMの番組で、高校時代はバレーボール部に所属していたと話しています。

2.野球を辞めたのは高校時代なのか?

野球を辞める決断をしたのは中学3年生までの時期です。高校では野球部に入らず、別の部活動に取り組んでいました。

3.甲子園に選手として出場したのか?

いいえ。2008年の甲子園では、東邦高校の一般生徒としてスタンドから応援していました。出場選手としてプレーしたわけではありません。

4.大学には進学したのか?

大学には進学していません。高校卒業後の2009年4月にワタナベエンターテイメントカレッジへ入学し、演技を学んでいます。

これらを整理すると、山田さんの高校時代は「野球の名門校で野球部に所属していた時代」ではなく、「野球を辞めた後、別の部活動をしながら将来の進路を模索していた時代」と理解するのが正確です。

【山田裕貴の高校】に関するよくある質問(FAQ)

Q1:山田裕貴の出身高校はどこですか?
A1:愛知県名古屋市にある東邦高等学校です。父親の山田和利さんも同校の野球部OBです。

Q2:山田裕貴は東邦高校の野球部に所属していましたか?
A2:所属していません。高校時代は野球を辞めており、本人によるとバレーボール部に所属していました。

Q3:山田裕貴が野球を辞めた理由は何ですか?
A3:中学時代に全国レベルの選手たちとの実力差を感じ、プロ野球選手になる夢を諦めたためです。父親の存在によるプレッシャーもあったと振り返っています。

Q4:山田裕貴が甲子園で涙したのは何年ですか?
A4:2008年です。高校3年生の夏、東邦高校が第90回全国高校野球選手権記念大会に出場した際、スタンドからかつての仲間の活躍を見て涙したと語っています。

Q5:山田裕貴は大学に進学しましたか?
A5:大学には進学していません。2009年4月にワタナベエンターテイメントカレッジに入学し、俳優になるための勉強を始めました。

Q6:山田裕貴が俳優を目指したきっかけは何ですか?
A6:父親と一緒に映画やドラマを見ていた経験や、人間の感情やさまざまな人生を演じられる俳優という仕事への関心がきっかけです。高校3年生の甲子園での経験も、人生の大きな転機になりました。

Q7:山田裕貴は2026年現在、何歳ですか?
A7:1990年9月18日生まれの36歳です。2026年11月3日公開の映画『ゴジラ-0.0』にも出演しています。

まとめ:山田裕貴の東邦高校時代は俳優人生の原点だった

山田裕貴さんの出身高校は、愛知県名古屋市の東邦高等学校です。父・山田和利さんと同じ高校に進みながらも、本人は中学時代に野球を辞め、高校ではバレーボール部に所属していました。

高校3年生の2008年、東邦高校が甲子園に出場した際、山田さんはスタンドからかつての仲間たちの活躍を見つめます。自分も野球を続けていれば、あの場所に立てたかもしれない。そんな後悔と挫折が、次に選ぶ道を最後までやり抜こうという決意につながりました。

高校卒業後は大学へ進最初に、2009年にワタナベエンターテイメントカレッジへ入学。2010年のオーディションでグランプリを獲得し、2011年に俳優デビューを果たします。

そして2026年、映画『ゴジラ-0.0』をはじめとする話題作に出演し、俳優としてさらなる活躍を続けています。

山田裕貴さんの高校時代を理解するうえで大切なのは、野球を辞めたことだけではなく、その挫折を次の挑戦につなげたことです。

甲子園のスタンドで流した涙は、過去への後悔であると同時に、新しい人生を歩み始めるための出発点でもありました。現在も母校の野球を見守り続ける山田さんにとって、東邦高校で過ごした時間は、俳優としての原点であり続けています。

主な確認資料・取材根拠

- ワタナベエンターテインメント公式プロフィール
- ワタナベエデュケーション公式卒業生インタビュー・沿革
- CREA「野球少年から戦隊ヒーローへ」
- TOKYO FM『木村拓哉 Flow』
- ORICON NEWS(2026年7月1日)
- デイリースポーツ、スポニチの本人出演番組に関する報道
- 日本高等学校野球連盟・第90回全国高校野球選手権記念大会記録

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