赤報隊事件とは、1987年(昭和62年)から1988年(昭和63年)にかけて発生した、朝日新聞社の関連施設や関係者などを標的とする一連の襲撃事件です。なかでも、1987年5月3日に兵庫県西宮市の朝日新聞阪神支局で発生した事件は、記者2人が銃撃され、小尻知博記者が死亡、犬飼兵衛記者が重傷を負った戦後の重大な言論機関襲撃事件として知られています。
犯行声明では「赤報隊」という名称が使われ、朝日新聞東京本社、名古屋本社社員寮、静岡支局、さらにリクルート元会長の江副浩正氏宅も標的になりました。警察庁はこれらを警察庁指定第116号事件として捜査しましたが、犯人の特定には至っていません。2026年5月8日の衆議院法務委員会でも、警察庁の政府参考人が第116号事件を未検挙の指定事件として説明しています。
特に混同されやすいのが、阪神支局襲撃事件の2002年の時効成立と、一連の指定5事件すべての2003年3月までの時効成立という違いです。事件の発生順、被害者、犯行声明文、犯人像、捜査の経緯を整理すると、現在も残る謎が見えてきます。
【事件の全貌】赤報隊事件とは?警察庁指定第116号事件との関係

赤報隊事件は、単独の襲撃事件を指す名称ではありません。
1987年1月の朝日新聞東京本社銃撃事件を皮切りに、兵庫、愛知、静岡、東京で発生した一連の事件です。
犯行声明文には「赤報隊」という名称が記されていました。警察は、事件の標的や使用された銃器、犯行声明文などの共通点を調べ、複数の事件を同一犯による可能性の高い一連の犯行として扱いました。
警察庁指定第116号事件とは
警察庁指定第116号事件とは、警察庁が広域的な組織捜査を必要と判断し、指定した重要事件です。
当時の事件は複数の都県にまたがっており、各地域の警察が個別に捜査するだけでは情報の集約が難しい状況でした。
1988年版警察白書によると、警察は次のような共通点を重視していました。
- 朝日新聞社の関係者や関連施設が標的になっていた。
- 阪神支局や名古屋本社寮などで散弾銃が使用されていた。
- 犯行後に「赤報隊」を名乗る声明が出されていた。
- 複数の地域で同種の事件が発生していた。
警察庁は1987年9月25日に阪神支局事件と名古屋本社寮事件を指定し、その後、東京本社事件、静岡支局爆破未遂事件、江副浩正氏宅銃撃事件を追加しました。
ここで押さえておきたいのは、第116号という番号は捜査上の指定番号であり、犯人の所属組織や人物を特定したものではないという点です。
赤報隊事件は5つだけなのか
警察庁指定第116号事件として整理される対象は、正式には次の5事件です。
一方、赤報隊の名称が使われた脅迫状や、1990年の愛知韓国人会館放火事件など、周辺の関連事案も報道されてきました。
そのため、資料によって赤報隊事件全体の件数が異なる場合があります。
警察庁指定第116号事件の5事件と、赤報隊名義で報じられた関連事案は区別する必要があります。
【赤報隊事件の年表】5つの事件を発生順に徹底整理
赤報隊事件を理解するうえで重要なのが、事件の発生順と警察が事件を把握・指定した順番が必ずしも一致していないことです。
特に東京本社銃撃事件は、1987年1月に発生していましたが、警察白書によると、事件が発覚したのは同年10月1日でした。
警察庁指定第116号の5事件一覧
1987年1月:朝日新聞東京本社銃撃事件
一連の事件の最初に位置づけられるのが、朝日新聞東京本社への散弾銃発砲事件です。
発生したのは1987年1月。ところが、事件として発覚したのは同年10月1日でした。
1988年版警察白書には、東京本社への発砲が確認された後、10月3日に第116号事件へ追加指定された経緯が記されています。
つまり、阪神支局襲撃事件が発生した時点では、東京本社への銃撃との関係が一般に明らかになっていたわけではありません。
1987年5月3日:朝日新聞阪神支局襲撃事件
赤報隊事件の中心となるのが、兵庫県西宮市の朝日新聞阪神支局で発生した襲撃事件です。
憲法記念日の夜、目出し帽をかぶった男が支局に侵入し、編集室で散弾銃を発砲しました。
この事件で小尻知博記者が死亡し、犬飼兵衛記者が重傷を負いました。
事件後には、報道機関に「赤報隊」を名乗る犯行声明文が届き、東京本社への銃撃も自分たちの犯行であると主張しました。
1987年9月24日:朝日新聞名古屋本社社員寮襲撃事件
続いて発生したのが、愛知県名古屋市の朝日新聞名古屋本社社員寮への襲撃です。
阪神支局事件と同じく散弾銃が使用されました。
新聞社の業務拠点だけでなく、社員が生活する施設も標的になったことで、事件は単なる新聞社への抗議や脅迫とは異なる、深刻な広域襲撃として捉えられるようになります。
1988年3月:朝日新聞静岡支局爆破未遂事件
1988年3月12日、朝日新聞静岡支局の駐車場で、時限装置付きの爆発物が仕掛けられていたことが発覚しました。
爆発には至らず、未遂に終わっています。
この事件について、1989年版警察白書は、犯行声明文の用紙や紙質、使用されたとみられるワープロの機種、文書の形式や表現などを調べたと説明しています。
また、同時期には中曽根康弘元首相や竹下登首相に対する脅迫状も報じられています。ただし、これらは警察庁指定第116号の正式な5事件とは別に整理する必要があります。
1988年8月10日:江副浩正・リクルート元会長宅銃撃事件
1988年8月10日、東京都港区にあった江副浩正氏の自宅にも散弾銃が発砲されました。
江副氏はリクルートの創業者であり、当時の日本経済界を代表する経営者の一人でした。
朝日新聞社の施設を狙った事件から、企業経営者の自宅への攻撃へと対象が広がったことは、一連の事件の特徴を考えるうえで重要です。
警察は、静岡支局事件とこの事件についても、声明文の特徴などから第116号事件と同一犯による可能性が極めて強いと判断し、追加指定しました。
【被害者と事件の傷痕】小尻知博記者と犬飼兵衛記者に何が起きたのか
赤報隊事件を語る際、忘れてはならないのが、阪神支局で被害に遭った2人の記者です。
犯人像や政治的背景に関心が集まりやすい事件ですが、実際に命を奪われ、人生を大きく変えられた被害者がいます。
小尻知博記者は29歳で死亡
小尻知博記者
事件当時29歳
1987年5月3日の阪神支局襲撃で銃撃され、翌4日未明に亡くなりました。朝日新聞の記者として取材活動に従事していた人物です。
小尻記者の死は、新聞社の一社員が犯罪に巻き込まれたというだけの問題ではありませんでした。
取材し、情報を集め、記事を書くという報道活動そのものが、銃撃によって脅かされたからです。
2026年5月3日には事件から39年を迎え、阪神支局では追悼行事が行われました。訪れた人たちが祭壇に手を合わせ、事件の記憶を受け継いでいます。
犬飼兵衛記者は重傷を負い、2018年に死去
犬飼兵衛記者
事件当時42歳
小尻記者とともに銃撃され、右手の指を2本失うなどの重傷を負いました。2018年1月16日、73歳で亡くなっています。
犬飼記者は、襲撃事件を経験した重要な証人でもありました。
事件後も長く生き、当時の記憶を持つ人物として存在していましたが、2018年の死去によって、現場で被害に遭ったもう一人の記者もこの世を去りました。
週刊金曜日の追悼記事などでも、犬飼記者の負傷と、その後の歩みが伝えられています。
なぜ言論の自由への攻撃とされるのか
阪神支局襲撃事件が特別な意味を持つのは、標的が報道機関だったことです。
犯行声明には、朝日新聞を「反日」と位置づけ、厳しい処罰を示唆する政治的な表現が含まれていました。
報道機関に対して暴力を用い、記者の生命を奪う行為は、報道内容への批判とは根本的に異なります。
批判や反論は言論によって行われるべきであり、暴力によって取材や報道を封じようとすることは、民主主義の基盤を脅かします。
2026年の39年目の追悼報道でも、朝日新聞関係者は事件を言論の自由と民主主義社会への挑戦として位置づけています。
【犯行声明文と犯人の正体】赤報隊の真相はどこまで判明している?
赤報隊事件で多くの人が知りたいのは、結局、誰が犯人だったのかという点でしょう。
しかし、2026年現在も実行犯は特定されていません。
犯行声明文には政治的な主張や強い敵意が記されていましたが、それだけで犯人の実名や所属団体を確定することはできません。
犯行声明文に記されていた内容
阪神支局襲撃事件の後、共同通信社や時事通信社に「赤報隊」を名乗る声明文が届きました。
この声明文は、阪神支局への襲撃を自分たちの犯行と主張し、1987年1月の東京本社銃撃事件にも言及していました。
声明文に見られた特徴は、次のとおりです。
- 「赤報隊」という名義を使用していた。
- 朝日新聞を反日的と批判する政治的主張があった。
- 新聞社や報道関係者への威嚇的な表現が含まれていた。
- 複数の事件を同じ犯行主体によるものと主張していた。
声明文の内容は、事件の政治的背景を考える重要な資料です。
ただし、声明文に書かれた思想や主張が、そのまま実行犯の正体を証明するわけではありません。犯行を主張する文書と、実際の犯人を結びつける証拠は別のものです。
警察は犯行声明文から何を調べたのか
1989年版警察白書には、犯行声明文の分析について重要な記録が残されています。
警察が比較したのは、単に文章の内容だけではありません。
- 用紙の形状
- 紙質
- 文書作成に使用されたと考えられるワープロの機種
- 文書の形式
- 表現方法
- 記載内容
これらの特徴を総合的に分析し、静岡支局爆破未遂事件や江副氏宅銃撃事件について、第116号事件と同一犯による可能性が極めて強いと判断しました。
ここで重要なのは、警察白書の表現が「可能性が極めて強い」であることです。
これは捜査上の関連性を示す評価であり、犯人の身元や組織の全容が判明したという意味ではありません。
赤報隊事件の犯人は右翼団体だったのか
犯行声明文に政治的・国家主義的な表現があったことから、事件の背景として右翼思想や新右翼との関係が取り沙汰されてきました。
また、当時の政治状況や朝日新聞の報道内容との関係も、事件を理解するための論点になっています。
しかし、特定の右翼団体や政治団体が犯行を実行したと確定する公的な捜査結果は公表されていません。
同様に、宗教団体などとの関係をめぐる言説についても、捜査対象として名前が取り沙汰されたことと、事件への関与が証明されたことは区別しなければなりません。
赤報隊事件の犯人について確定しているのは、犯行声明で赤報隊という名称が使われたことまでです。
実行犯が誰だったのか、単独犯だったのか、複数人による組織的犯行だったのか、誰が指示したのかという問題には、現在も確定した答えがありません。
2023年の新たな報道と「9人の重要捜査対象者」
2023年には、文藝春秋の取材班が赤報隊事件の捜査資料に関する記事を公表しました。
記事では、警察庁や兵庫県警が1998年に作成したとされる捜査報告書や、「重要捜査対象者9人」と題されたリストについて取り上げています。
また、事件後の資金提供などに関する人物の証言も紹介され、時効成立から20年が経過した後も、事件の背景に関する新たな論点が報じられました。
ただし、記事に登場する証言や捜査対象者に関する情報は、犯人の確定や刑事裁判による認定とは異なります。
2026年現在、これらの報道をもって赤報隊事件の犯人が判明したとすることはできません。
【時効成立と2026年現在】未解決のまま捜査は終わったのか
赤報隊事件の経緯を理解するうえで、特に注意したいのが時効成立の時期です。
インターネット上では「2002年に赤報隊事件のすべてが時効になった」と説明されることがあります。
しかし、これは正確には阪神支局襲撃事件の殺人事件に関する説明です。
2002年と2003年、時効成立の違い
1987年5月3日に発生した阪神支局襲撃事件では、殺人罪の公訴時効が2002年5月に成立しました。
一方、警察庁指定第116号事件として扱われた一連の事件は、2003年3月までにすべて公訴時効が成立しています。
2026年5月8日の衆議院法務委員会では、警察庁の政府参考人が、指定第116号事件について、平成15年3月までに全事件の公訴時効が完成したと説明しました。
したがって、次のように整理するのが正確です。
| 時期 | 内容 |
|---|---|
| 2002年5月 | 阪神支局襲撃事件の殺人罪の公訴時効成立 |
| 2003年3月まで | 警察庁指定第116号の全事件の公訴時効成立 |
| 2026年5月8日 | 衆議院法務委員会で未検挙事件として政府が説明 |
| 2026年11月現在 | 犯人未特定・未解決 |
2026年現在も未解決であることは国会で確認されている
2026年5月8日の衆議院法務委員会では、警察庁指定事件24件のうち、被疑者の検挙に至っていない事件が2件あると説明されました。
そのうちの一つが、グリコ・森永事件として知られる第114号事件であり、もう一つが赤報隊事件の第116号事件です。
これは、赤報隊事件が単に過去の報道上の呼称として残っているだけではなく、警察庁指定事件の未検挙事案として、政府の国会答弁でも確認されていることを意味します。
同じ答弁では、時効が完成した事件については、一般的には捜査が終結すると説明されています。
つまり、2026年現在の赤報隊事件については、次の2つを分けて理解する必要があります。
- 事件の真相: 犯人の氏名や組織の全容は解明されていない。
- 刑事手続き: 指定された事件の公訴時効はすべて成立しており、通常の刑事訴追はできない。
事件が未解決であることと、警察が通常の捜査を継続していることは同じではありません。
2025年の「令和赤報隊」事件は過去の襲撃事件と関係するのか
2025年6月には、朝日新聞阪神支局に「令和赤報隊」を名乗る脅迫文とおもちゃの銃を送り、業務を妨害した疑いで、静岡県富士市の会社員の男が逮捕されました。
神戸新聞の報道によると、兵庫県警は脅迫と威力業務妨害の疑いで逮捕し、過去の阪神支局襲撃事件を模倣した可能性も含めて調べていました。
送付された段ボールには、小尻記者と犬飼記者の写真に多数の穴を開けた紙や、おもちゃの銃が入っていたとされています。
しかし、県警は当時の襲撃事件との関連をうかがわせるものは見つかっていないと説明しています。
したがって、この2025年の逮捕を、1987年の赤報隊事件の犯人が見つかったという意味で受け取るのは誤りです。
「令和赤報隊」を名乗った別件の脅迫事件と、1987年からの未解決事件は区別しなければなりません。
【プロの結論】赤報隊事件の真相を見極めるための3つの判断基準
赤報隊事件は、発生から約40年が経過しても、犯人の正体が分からないまま残されています。
そのため、事件を調べる際には、報道された事実、警察の捜査上の評価、関係者の証言、推測をそれぞれ区別が必要です。
1. 「赤報隊」という名称と実在する組織を混同しない
犯行声明文に赤報隊という名前が記されていたことは事実です。
しかし、声明文の名義だけで、その名称を持つ組織の構成員や指揮系統まで確定したことにはなりません。
実行犯、声明文の作成者、指示役、支援者が同一人物だったかどうかも、未解明の問題です。
2. 犯行声明文の思想と実際の動機を区別する
声明文には、朝日新聞への強い敵意や国家主義的な主張が表れていました。
そのため、事件の政治的背景を考えるうえで声明文は重要です。
しかし、犯人がどのような経緯で犯行に至ったのか、政治的な主張が唯一の動機だったのかは、確定していません。
思想的な表現が存在することと、犯行動機の全容が解明されていることは別問題です。
3. 2002年の時効と2003年の全事件時効を正しく理解する
赤報隊事件については、時効成立を一つの日付だけで説明すると、事件の経緯を誤解しやすくなります。
阪神支局襲撃事件の殺人罪は2002年に時効が成立し、第116号事件の指定対象となった全事件は2003年3月までに時効となりました。
また、時効成立は犯人が無実だったという意味でも、事件が解決したという意味でもありません。
被害者や遺族にとって、犯人が特定されないまま刑事責任を問えなくなったことは、事件が残した重大な問題です。
赤報隊事件を調べるなら、警察白書、国会会議録、通信社の用語解説、事件当時から取材を続けてきた記者の記録を照らし合わせることが、最も確かな理解につながります。
【赤報隊事件】に関するよくある質問(FAQ)
Q1:赤報隊事件の犯人は誰ですか?
A1:2026年11月現在、犯人は特定されていません。「赤報隊」を名乗る犯行声明文が届きましたが、実行犯の氏名、所属組織、指揮系統などは公的に確定していません。2026年5月の衆議院法務委員会でも、第116号事件は未検挙事件として説明されています。
Q2:赤報隊事件の5つの事件とは何ですか?
A2:警察庁指定第116号事件の5事件は、朝日新聞東京本社銃撃事件、朝日新聞阪神支局襲撃事件、朝日新聞名古屋本社社員寮襲撃事件、朝日新聞静岡支局爆破未遂事件、江副浩正・リクルート元会長宅銃撃事件です。1987年1月から1988年8月にかけて発生しました。
Q3:赤報隊事件は2002年に時効になったのですか?
A3:阪神支局襲撃事件の殺人罪については2002年5月に公訴時効が成立しました。一方、第116号事件として指定された一連の5事件すべてについては、2003年3月までに公訴時効が成立しています。
まとめ:赤報隊事件は2026年現在も未解決、残された謎と教訓
赤報隊事件は、1987年の朝日新聞阪神支局襲撃事件を中心に、東京、名古屋、静岡、そしてリクルート元会長宅へと標的が広がった一連の重大事件です。
小尻知博記者が29歳で命を奪われ、犬飼兵衛記者も重傷を負いました。
警察庁は5つの事件を指定第116号事件として捜査しましたが、犯人の特定には至らず、2002年から2003年にかけて公訴時効が成立しました。
2026年5月の国会答弁でも、赤報隊事件は未検挙事件として確認されています。2026年11月現在も、事件の核心である実行犯の正体や犯行の全容は明らかになっていません。
事件が残したものは、未解決という事実だけではありません。報道機関への暴力が、記者個人の生命だけでなく、社会全体の言論の自由を脅かすことを示した歴史でもあります。
犯人が分からないことと、事件の意味まで失われることは違います。
阪神支局襲撃事件から39年を迎えた2026年も、被害者を追悼し、記録を保存し、言論への暴力を許さない姿勢を次の世代に伝えていくことが求められています。