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石原軍団メンバー歴代一覧と現在は?2026年最新の近況・解散理由を徹底解説

白木 奈緒 白木 奈緒 • 更新: • 公開: • 読了約 26 分
目次

「石原軍団には誰が所属していたのか」「解散した現在、舘ひろしや神田正輝、徳重聡らは何をしているのか」――昭和の芸能界を代表する俳優集団として知られた石原軍団は、2021年1月16日に58年の歴史に幕を下ろした。

石原裕次郎が1963年に設立した石原プロモーションを母体とし、渡哲也を中心に、舘ひろし、神田正輝、峰竜太、寺尾聰、徳重聡、金児憲史、池田努ら多彩な俳優が関わってきた。なかでもテレビドラマ「西部警察」や「大都会」は、石原軍団の名前を全国に知らしめた代表作だ。

2026年11月現在、石原軍団という組織は存在しない。しかし、元メンバーの多くは独立や移籍を経て俳優・タレントとして活動を続けている。神田正輝の「旅サラダ」卒業や舘ひろしの舘プロ設立など、解散後の歩みもそれぞれ異なる。

この記事では、歴代メンバーの顔ぶれ、解散直前の所属俳優、石原プロモーションが解散した本当の経緯、そして2026年現在の元メンバーの状況を整理する。

【まず結論】石原軍団とは?石原プロモーションとの違いを解説

石原軍団メンバー

石原軍団とは、俳優・映画スターの石原裕次郎が設立した芸能プロダクション「石原プロモーション」に所属し、強い結束力で活動していた俳優たちを指す愛称だ。

会社の正式名称が石原プロモーションであり、石原軍団は所属俳優や関係者を表す通称だった。

そのため、石原軍団には、会社の創業者である石原裕次郎、後継者として組織を率いた渡哲也、長年所属した舘ひろしや神田正輝だけでなく、すでに独立したOBや、過去に所属していた俳優も含めて語られることがある。

石原軍団の始まりは1963年

石原裕次郎は、日活のスターとして人気を確立した後、映画制作の新たな可能性を求めて独立プロダクションを設立した。

1963年に誕生した石原プロモーションは、単なる俳優の所属事務所ではなかった。

映画の企画・制作から俳優のマネジメント、音楽活動まで手掛ける制作会社として成長していく。

1968年には三船プロとの共同製作映画「黒部の太陽」が大きな話題となり、1970年代以降はテレビドラマにも活動の軸を広げた。

1971年には渡哲也が入社。石原裕次郎の信頼を得て、後に会社の経営を担う存在となる。

石原裕次郎が亡くなった1987年以降、渡哲也が2代目社長として組織を率いた。石原裕次郎が築いた会社の理念と、渡哲也が守った俳優集団の結束が、石原軍団の特徴だった。

石原軍団は正式な俳優ユニットではなかった

ここで押さえておきたいのは、石原軍団がアイドルグループのような固定メンバー制のユニットではなかったことだ。

俳優の所属期間には違いがあり、独立した人物や、石原プロを離れた後も軍団のOBとして親しまれた人物もいる。

そのため、ネット上の歴代メンバー一覧で名前の数が異なるのは、必ずしも誤りではない。

現役所属者だけを指すのか、過去の所属俳優やOBまで含めるのかによって、顔ぶれが変わるのである。

【歴代メンバー一覧】石原裕次郎・渡哲也から舘ひろし、徳重聡まで

石原軍団の中心人物は、創業者の石原裕次郎と、2代目社長の渡哲也だ。

その周囲には、舘ひろし、神田正輝、峰竜太、寺尾聰、苅谷俊介ら実力派俳優が集まった。

さらに2000年前後には、新しいスターを発掘するオーディションを通じて徳重聡、金児憲史、池田努らが加わり、次世代の石原軍団を担う俳優として注目された。

石原軍団の歴代メンバー・主なOB一覧

人物 所属・関係 主な実績・特徴
石原裕次郎 創業者・初代社長 「黒部の太陽」「西部警察」など
渡哲也 1971年入社・2代目社長 「大都会」「西部警察」など
舘ひろし 1983年入社 「西部警察」「あぶない刑事」
神田正輝 石原プロ所属俳優 「太陽にほえろ!」など
峰竜太 1976~2000年所属 俳優・タレントとして活躍
寺尾聰 元所属俳優 「大都会PARTIII」「西部警察」
苅谷俊介 1972~1985年所属 「大都会」「西部警察」
徳重聡 2000年の新人発掘オーディションでグランプリ 「西部警察SPECIAL」「大岡越前」
金児憲史 オーディション出身の俳優 「西部警察SPECIAL」「功名が辻」
池田努 2000年の石原プロオーディション出身 舞台・ドラマ・映画
宮下裕治 解散時の所属俳優 2020年に芸能界を引退
神田穣 解散時の所属俳優 2021年にエヴァーグリーン・エンタテイメントへ移籍
増本尚 次世代オーディション出身 後に舘プロで活動

※歴代の主な人物を整理したもので、石原軍団の全在籍者を網羅した公式名簿ではない。所属期間や解散後の進路は、石原プロや各所属先のプロフィール、報道資料を基に整理している。

石原裕次郎|石原軍団を築いた初代社長


1934年12月28日生まれ。1987年7月17日没、享年52歳。

代表作は「狂った果実」「嵐を呼ぶ男」「黒部の太陽」「西部警察」など。

石原裕次郎は、映画スターとしての知名度だけでなく、プロデューサーとしての手腕も評価された人物だ。

1963年に石原プロモーションを設立し、映画制作に取り組んだ。会社の代表作となる「黒部の太陽」では、従来の映画制作の枠を超えた大規模な作品づくりを実現した。

その後、テレビドラマへ進出し、「大都会」「西部警察」などの制作を通じて石原プロの存在感を高めていく。

1987年に亡くなるまで、石原軍団の象徴的な存在であり続けた。

渡哲也|石原裕次郎の後を継いだ2代目社長


1941年12月28日生まれ。2020年8月10日没。

代表作は「大都会」「西部警察」「仁義の墓場」など。

渡哲也は1971年に石原プロへ入社した。

石原裕次郎が亡くなった1987年には2代目社長に就任。俳優としての活動だけでなく、経営者として会社を支えた。

2011年3月には社長を退任し、その後も相談取締役として関わった。

渡哲也の大きな役割は、石原裕次郎という絶対的な存在を失った後も、会社と俳優たちの結束を維持したことにある。

2020年8月10日、肺炎のため78歳で亡くなった。石原プロモーションが正式に終業する約5か月前のことだった。

舘ひろし・神田正輝|石原軍団を代表した看板俳優


1983年に石原プロモーションへ入社。映画「暴力教室」でのデビュー後、「西部警察」への出演を経て石原軍団の中心人物となった。

舘ひろしは、石原裕次郎や渡哲也から大きな影響を受けた俳優の一人だ。

特に「西部警察」への出演をきっかけに石原プロへ入社し、その後は「あぶない刑事」シリーズでも人気を獲得した。

石原軍団解散後も俳優活動を続け、2021年には自身の芸能事務所・舘プロを設立している。


石原プロを代表する俳優。テレビドラマ「太陽にほえろ!」などで知られ、後年は「朝だ!生です旅サラダ」の司会を長く務めた。

神田正輝は、石原軍団の俳優として長年活動した後、テレビ司会者としても幅広い視聴者に親しまれた。

1997年4月から2024年9月28日まで、27年半にわたって「朝だ!生です旅サラダ」のMCを担当した。

俳優としてのキャリアと、長寿番組を支えた司会者としてのキャリア。その両方を持つ点が神田正輝の特徴だ。

峰竜太・寺尾聰・苅谷俊介|忘れてはならない歴代OB


1976年から2000年まで石原プロに所属。独立後はタレントとしても活躍し、「出没!アド街ック天国」などに出演している。


石原プロに在籍し、「大都会PARTIII」「西部警察」などに出演。退所後も俳優・歌手として独自のキャリアを築いた。


1972年に石原プロへ所属し、1985年に独立。「大都会」「西部警察」への出演で知られる。後年は考古学・古代史の研究にも取り組んでいる。

峰竜太は、石原プロを離れた後も芸能活動を続けた代表的なOBだ。スポーツニッポンの2020年の取材では、1976年から2000年まで在籍したことが紹介されている。

寺尾聰は、俳優としての方向性を考えて石原プロを離れた人物だ。苅谷俊介は1985年に独立し、俳優業と並行して考古学の研究に取り組んできた。

こうしたOBの存在も、石原軍団の歴史を語るうえで欠かせない。

【石原プロモーション解散理由】2021年1月16日までの経緯

石原軍団の解散は、突然決まった出来事ではなかった。

その背景には、石原裕次郎が残した遺言、石原まき子の経営上の事情、そして渡哲也や舘ひろし、神田正輝ら関係者との話し合いがあった。

石原裕次郎が残した「会社をたたみなさい」という遺言

石原プロモーションの解散を理解するうえで、最も重要なのが石原裕次郎の遺言だ。

2020年7月17日、石原まき子は関係各所に送付した書面で、会社の商号返還と芸能部門の終了を発表した。

その書面では、石原裕次郎が1987年7月17日に亡くなる際、会社をすぐにたたむよう伝えていたことが明かされた。

「俺が死んだら即会社をたたみなさい」

しかし、俳優やスタッフが会社を愛し、熱意を持って働き続けていたため、まき子は遺言をすぐに実行できなかったという。

結果として、石原裕次郎の死後も30年以上にわたり会社の運営が続いた。

石原まき子の体力的な事情と関係者の合意

もう一つの大きな理由が、石原まき子自身の高齢化と体力の低下だった。

2020年7月の発表文では、実務を続けることが難しくなる場面が増えたことが説明されている。

そこで渡哲也、舘ひろし、神田正輝、役員、スタッフらに相談した結果、石原裕次郎の名前を冠した会社の商号を返還することについて賛同を得た。

つまり、解散は一人の判断だけで進められたものではなく、石原プロを長く支えた関係者との合意によって実行されたものだった。

2019年から2021年までの解散タイムライン

- 2019年4月: 渡哲也の体調や俳優の高齢化を背景に、石原プロの今後をめぐる報道が出る。ただし、この時点では会社側が幕引きを決定事項として認めたわけではなかった。
- 2020年7月17日: 石原まき子が2021年1月16日付での商号返還と芸能部門の終了を発表。
- 2020年8月10日: 渡哲也が肺炎のため死去。享年78。
- 2021年1月16日: 石原プロモーションの芸能マネジメント業務が終了。商号を石原裕次郎の仏前に返還した。
- 2021年2月1日: 石原プロモーションが事務所を移転。残務整理や関連業務の引き継ぎが進められた。

2019年の段階では、渡哲也の健康状態などをめぐる報道が先行していた。しかし、最終的な決定は2020年7月の正式発表によって明らかになった。

特に重要なのは、渡哲也が亡くなる前に解散方針が正式発表されていた点だ。「渡哲也の死が直接の原因で解散した」という理解は正確ではない。

解散後も作品や肖像権の管理は続いている

石原プロモーションの芸能部門が終了したからといって、過去の作品がすべて消滅したわけではない。

2020年の発表文では、音楽・映像・肖像権などの管理を株式会社石原音楽出版社が担い、遺品などの保管・維持管理を一般社団法人ISHIHARAが担う予定と説明された。

この仕組みによって、石原裕次郎や渡哲也の作品、写真、関連資料などを後世に残すための基盤が整えられた。

会社の芸能マネジメントと、創業者や所属俳優が残した文化的資産の保存は、別の事業として引き継がれたのである。

【2026年最新】石原軍団メンバーの現在は?舘ひろし・神田正輝らの近況

2026年11月現在、石原軍団は解散しているため、現役の所属メンバーという意味での石原軍団は存在しない。

ただし、元メンバーの活動は現在も続いている。

特に舘ひろし、徳重聡、金児憲史、池田努、峰竜太は、それぞれ異なる形で芸能活動を続けている。

舘ひろし|2026年は芸能生活50周年の節目


舘ひろし

2026年も活動継続
2021年に舘プロを設立。俳優活動に加え、映画制作にも取り組んでいる。

石原軍団解散後、舘ひろしが選んだのは、自らの事務所を立ち上げる道だった。

2021年に設立した舘プロでは、俳優としての活動だけでなく、新たな映画制作への挑戦も掲げている。

2026年は芸能生活50周年という節目を迎えた。

舘プロの公式プロフィールには、2024年公開の「帰ってきた あぶない刑事」、2025年の「港のひかり」、2026年の映画作品などが掲載されている。

また、BS10の「舘ひろし シネマラウンジ」にも出演しており、俳優としての活動領域を広げている。

神田正輝|旅サラダ卒業後の2026年現在


神田正輝

2024年9月28日に「朝だ!生です旅サラダ」を卒業。2026年現在は、テレビのレギュラー出演から距離を置いている。

神田正輝は、石原プロ解散後も俳優・タレントとして活動していたが、長年務めた「旅サラダ」の卒業が大きな転機となった。

1997年4月から27年半にわたって番組を支え、2024年9月28日の放送を最後にMCを卒業した。

その後の状況については、2026年10月28日付の女性自身が近況を報道している。

同誌は、神田が引退を正式に宣言したわけではないものの、ここ2年間は仕事をせず、静かな生活を送っているようだとテレビ局関係者の話を紹介した。

したがって、2026年現在の神田正輝については、芸能界引退が公式発表されたと断定することはできない。旅サラダ卒業後、仕事を大幅に減らしているというのが、公表情報と報道から読み取れる状況だ。

徳重聡|ホリプロ系事務所に移籍し俳優活動を継続


徳重聡

所属:ホリプロ・ブッキング・エージェンシー

2000年の「21世紀の石原裕次郎を探せ!」でグランプリを受賞した俳優。

徳重聡は、石原軍団の次世代を象徴する存在だった。

2000年に開催された新人発掘オーディション「21世紀の石原裕次郎を探せ!」でグランプリを獲得し、俳優としての道を歩み始めた。

石原プロ解散後の2021年にはホリ・エージェンシーへ移籍。その後、現在のホリプロ・ブッキング・エージェンシーで活動している。

2026年にはNHK BS時代劇「大岡越前9」で徳川吉宗役を務めたほか、ドラマ「女帝」への出演や舞台「エレクトラ」など、テレビ・映画・舞台で活動を続けている。

石原裕次郎を目指して芸能界入りした俳優が、独自のキャリアを確立している点は興味深い。

金児憲史|俳優として映画・ドラマで活動


金児憲史

所属:スタッフ・アップグループ

1978年9月14日生まれ。広島県福山市出身。

金児憲史も、石原プロの次世代を担った俳優の一人だ。

「21世紀の石原裕次郎を探せ!」で選ばれ、2000年の「はみだし刑事情熱系PART5」などに出演。その後、「西部警察SPECIAL」「功名が辻」「自虐の詩」など幅広い作品に参加した。

解散後はスタッフ・アップグループへ移籍し、俳優活動を継続している。

2025年には「特捜9 final season」「家政夫のミタゾノ」などへの出演歴があり、2026年には連続ドラマ「北方謙三 水滸伝」に関連した出演情報も確認できる。

石原プロで培った経験を生かしながら、映像作品を中心に活動している。

池田努|舘プロに所属し舞台・ドラマで活躍


池田努

所属:舘プロ

1978年12月17日生まれ。俳優としてだけでなく画家としても活動する。

池田努は2000年の石原プロ開催オーディションを経て芸能活動を始めた。

映画「Fukushima50」「ヤクザと家族」などに出演し、舞台でも幅広い役柄に挑戦している。

石原プロ解散後は舘プロに所属。2026年にはNHK BS時代劇「あきない世傳 金と銀3」などの出演情報が掲載されている。

俳優業と並行して画家としての活動も続けており、2016年には個展を開催した経歴がある。

峰竜太|石原プロOBとして現在もテレビ出演


峰竜太

1976年から2000年まで石原プロに所属。現在もテレビタレントとして活動している。

峰竜太は、石原軍団のOBとして知られる人物だ。

石原プロを離れた後も芸能活動を続け、俳優だけでなく情報番組やバラエティー番組などでも活躍してきた。

2026年11月には、テレビ東京の「出没!アド街ック天国」のレギュラー出演者として番組情報に名前が掲載されている。

解散した石原軍団の元メンバーの中でも、長年テレビで親しまれている人物の一人だ。

そのほかの解散時メンバーの進路

解散時の所属俳優には、上記の人物以外にも宮下裕治、神田穣、増本尚がいた。

宮下裕治は2020年8月31日をもって芸能界を引退したと、当時の日刊スポーツが報じている。

神田穣は2021年にエヴァーグリーン・エンタテイメントへ移籍。増本尚は石原プロの次世代スター発掘オーディションを経て芸能界入りし、その後は舘プロの所属メンバーとして活動している。

全員が同じ方向へ進んだわけではなく、移籍、独立、引退など、個人ごとに異なる選択をした。

【石原軍団の代表作】西部警察・大都会が生んだ俳優集団の魅力

石原軍団を語る際、欠かせないのが「西部警察」と「大都会」だ。

石原プロモーションは、俳優を所属させるだけでなく、自らテレビドラマを制作するプロダクションだった。

その制作体制が、俳優同士の強い結びつきにつながっていった。

西部警察|石原軍団の象徴となった刑事ドラマ

「西部警察」は1979年から1984年まで放送された刑事ドラマシリーズだ。

渡哲也が演じた大門圭介を中心に、警察組織の刑事たちが事件に立ち向かうストーリーが展開された。

作品の特徴は、当時としてもスケールの大きなアクション演出にあった。

車両を使ったアクション、大規模な爆破演出、全国各地でのロケーション撮影など、テレビドラマの枠を超えた映像表現が支持された。

舘ひろしや苅谷俊介、寺尾聰らも関わり、石原軍団を代表する作品として記憶されている。

大都会|石原プロのテレビ制作を支えたシリーズ

「大都会」は1976年から1979年にかけて展開されたドラマシリーズだ。

「大都会 闘いの日々」「大都会PARTII」「大都会PARTIII」と続き、社会の裏側や警察組織の現実を描いた。

渡哲也を中心とする俳優陣が、作品ごとに異なる人物像を演じたことも特徴だ。

後の「西部警察」につながる石原プロのテレビドラマ制作の基礎を築いた作品として位置付けられる。

石原裕次郎が築いた映画制作の経験と、渡哲也が中心となって支えたテレビドラマ制作。この二つの流れが石原プロの強みだった。

寺尾聰の退所は「勘当」だったのか?

石原軍団に関する話題の中でも、寺尾聰の退所理由は興味深いエピソードの一つだ。

2025年5月24日放送のTBS系「人生最高レストラン」で、寺尾聰は石原プロを離れた当時の出来事を振り返った。

寺尾は「大都会PARTIII」や「西部警察」で刑事役を演じていたが、同じような役柄を続けることに疲れ、俳優として別の経験を積みたいと考えるようになったという。

石原裕次郎に退所の意思を伝えた際には、裕次郎から、外の世界で経験を積んで戻ってきても席を残しておくという趣旨の言葉を掛けられたと明かしている。

一方、当時の専務だった小林正彦が新聞記者に退所をどう説明するか尋ねた際、寺尾自身が「勘当でもなんでもいいんじゃないの?」と答えたことから、新聞に「勘当」という見出しが掲載されたという。

つまり、寺尾聰が石原プロから一方的に追放されたという単純な話ではない。俳優として新しい方向を求めた本人の選択と、石原裕次郎との関係があった。

【誤解を検証】石原軍団の解散で俳優や作品はどうなった?

石原軍団の解散については、現在もいくつかの誤解が見られる。

特に「解散したから全員が引退した」「西部警察などの作品が見られなくなった」「寺尾聰は追放された」といった理解は、実際の経緯とは異なる。

誤解1:石原軍団が解散したから全員引退した

これは正しくない。

2021年1月16日に終了したのは、石原プロモーションの芸能マネジメント部門と、それに伴う俳優の所属契約だ。

舘ひろしは舘プロを設立し、徳重聡は移籍、池田努は舘プロへ所属するなど、多くの俳優が芸能活動を続けた。

一方、宮下裕治のように引退を選んだ人物もいる。

解散後の進路は、本人の判断によって異なっている。

誤解2:石原軍団のメンバーは全員同じ時期に所属していた

これも正確ではない。

峰竜太は1976年から2000年まで、舘ひろしは1983年から2021年まで石原プロに所属した。

寺尾聰や苅谷俊介のように、過去に所属し、その後独立した俳優もいる。

また、石原軍団という呼び名には、石原プロの所属俳優だけでなく、OBや作品を通じて深く関わった人物も含まれる場合がある。

したがって、歴代メンバーを調べる場合は、所属時期と関係性を分けて考える必要がある。

誤解3:石原プロが解散したら西部警察も消滅した

これも事実とは異なる。

作品の版権や映像資料の管理は、芸能マネジメントとは別の形で引き継がれた。

実際に石原プロモーションは2020年の発表文で、株式会社石原音楽出版社などが版権管理を担う方針を示している。

「西部警察」や「大都会」は、石原軍団が残した映像文化として現在も視聴・再評価の対象となっている。

会社の終了と作品の消滅は、まったく別の問題なのだ。

【石原軍団メンバーの現在】に関するよくある質問(FAQ)

Q1:2026年現在、石原軍団の現役メンバーは誰ですか?

石原軍団は2021年1月16日に解散しているため、組織としての現役メンバーはいない。ただし、舘ひろし、徳重聡、金児憲史、池田努、峰竜太ら元メンバーは、それぞれ俳優・タレントとして活動を続けている。

Q2:石原軍団の中心人物は誰でしたか?

創業者で初代社長の石原裕次郎と、1987年以降に2代目社長として組織を率いた渡哲也が中心人物だった。舘ひろしや神田正輝も、長年にわたり石原軍団を代表する俳優として活躍した。

Q3:石原軍団が解散した最大の理由は何ですか?

石原裕次郎が残した会社をたたむという遺言、石原まき子の高齢化と体力的な事情、渡哲也や舘ひろし、神田正輝らとの話し合いが大きな背景となった。単に俳優の人気が低下したために解散したわけではない。

Q4:寺尾聰は石原軍団を追放されたのですか?

追放されたと単純に理解するのは適切ではない。2025年のテレビ番組で寺尾聰本人が退所時の経緯を説明しており、俳優として新しい経験を積みたいという思いから石原裕次郎に退所の意思を伝えたと振り返っている。

Q5:神田正輝は2026年現在、芸能界を引退していますか?

正式な引退発表は確認されていない。2024年9月に「旅サラダ」を卒業し、2026年10月の女性自身の報道では仕事から距離を置いている近況が伝えられた。

Q6:石原軍団の代表作は何ですか?

代表作として挙げられるのは「西部警察」「大都会」だ。映画では石原裕次郎が関わった「黒部の太陽」も重要な作品として知られている。

まとめ:石原軍団の名は消えても、俳優たちの歩みは続く

石原軍団は、石原裕次郎が1963年に設立した石原プロモーションを母体に誕生した、日本の芸能史に残る俳優集団だった。

渡哲也が2代目社長として組織を支え、舘ひろし、神田正輝、峰竜太、寺尾聰、苅谷俊介らがそれぞれの時代を彩った。

さらに徳重聡、金児憲史、池田努ら次世代の俳優も加わり、石原軍団の歴史は単なるスターの集合体にとどまらない広がりを見せた。

2021年1月16日の解散は、石原裕次郎の遺言を実行するとともに、石原まき子や関係者が長年守ってきた会社に一つの区切りを付ける決断だった。

2026年現在、舘ひろしは舘プロを率い、徳重聡はドラマや舞台で活躍し、金児憲史や池田努も俳優として活動を続けている。神田正輝は長年のレギュラー番組を卒業し、新しい生活の時間を過ごしている。

石原軍団の歴史を振り返る際に大切なのは、解散という一つの出来事だけで俳優たちのキャリアを判断しないことだ。

石原裕次郎が築き、渡哲也が守ったものは、会社の名前だけではない。作品づくりへの情熱、仲間との信頼関係、そして俳優として自分の道を切り開く姿勢だった。

石原プロモーションという会社は歴史に幕を下ろした。しかし、そこから生まれた作品と、俳優たちが受け継いだ経験は、今も日本のエンターテインメントの中に息づいている。

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白木 奈緒
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プロ野球・サッカー・格闘技の選手情報を担当する編集者。リーグ公式やクラブの発表、試合記録を一次情報とし、移籍や記録の数値は公式記録で確認してから掲載します。

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