倍賞明さんの野球人生には、試合結果や所属チームの記録だけでは伝わらないエピソードがあります。2016年にFull-Countが掲載した本人インタビューには、野球への情熱や、往年の名選手との交流が記されています。
長嶋茂雄に名前を覚えられていた理由
大学時代、倍賞さんは日大野球部の合宿所近くで、長嶋茂雄さんと偶然出会いました。
ある春の日、上級生の荷物を持って歩いていたところ、長嶋さんの車が近づいてきて、野球部員たちを乗せてくれたそうです。
車内で出身高校とポジションを尋ねられた倍賞さんが「日大三高出身、倍賞明です」と答えると、長嶋さんは甲子園準優勝の選手として覚えていました。
加えて、姉が倍賞千恵子さんであることにも気付いたといいます。
甲子園での実績が、大学時代にも野球界で知られていたことを示すエピソードです。
50年以上ぶりに再会した作新学院の八木沢荘六
もう一つ印象的なのが、1962年春の選抜決勝で対戦した八木沢荘六さんとの再会です。
八木沢さんは、当時の作新学院の投手でした。日大三高と作新学院は決勝で対戦し、日大三高が0対1で敗れています。
それから半世紀以上が経過した頃、倍賞さんが経営していた飲食店に、知人の紹介で八木沢さんが訪れました。
Full-Countのインタビューで、倍賞さんは再会について次のように振り返っています。
「五十数年ぶりに再会して、お互い涙を流しながら昔話に花が咲きました。楽しいひと時でした」
高校時代には勝敗を争ったライバル同士も、長い年月を経て懐かしい思い出を共有する関係になっていました。
このエピソードは、倍賞さんにとって野球が単なる競技ではなく、生涯にわたる人間関係を築くきっかけだったことを物語っています。
落合博満の才能にも注目していた
日産自動車の監督時代には、東芝府中の4番打者だった落合博満さんとも対戦しています。
倍賞さんは当時の落合さんの打撃を高く評価し、スカウトに対しても、その打力を指摘していたとインタビューで語っています。
当時は落合さんの独特な打撃フォームを理由に、プロでは通用しないと見るスカウトもいたそうです。
結果的に落合さんはプロ野球で三冠王を3度獲得する選手になりました。
もちろん、当時の評価を現在の結果だけで判断することはできません。しかし、社会人野球の監督として、将来性のある打者を見極めようとしていた倍賞さんの観察眼は興味深いものです。
2016年、50年ぶりの神宮で始球式
倍賞さんは2016年6月、第65回全日本大学野球選手権大会で始球式を務めました。
これは、日本大学が1966年の第15回大会で優勝してから50年という節目に行われたものです。
全日本大学野球連盟の大会記録にも、優勝経験のある日本大学の内野手・倍賞明さんが始球式を担当したことが掲載されています。
当日は、日大出身の長野久義選手から贈られたグローブを使用しました。
本人のインタビューによると、50年ぶりの神宮球場で緊張しながらも、投球はノーバウンドで捕手のミットに届いたそうです。
また、2016年当時は六本木で飲食店を経営していました。店内には高校や大学のユニフォームが飾られ、野球ファンが訪れて本人と野球談議を楽しんでいたと報じられています。
現役を離れた後も野球との関係を保ち続けていたことが分かる、晩年の重要な記録です。
【家族関係・家系図】倍賞千恵子と倍賞美津子の兄だった!

倍賞明さんを検索する人の多くが気になるのが、倍賞千恵子さん、倍賞美津子さんとの兄弟関係です。
結論からいうと、倍賞明さんは、倍賞千恵子さんの弟であり、倍賞美津子さんの兄です。
ここは間違えやすいポイントなので、整理しておきましょう。
倍賞千恵子との関係は?
映画『男はつらいよ』シリーズのさくら役などで広く知られています。
倍賞明さんは1944年生まれなので、千恵子さんより3歳ほど年下の弟にあたります。
2016年のFull-Countのインタビューでも、千恵子さんを「千恵子姉さん」と呼んでおり、姉弟関係が本人の言葉からも確認できます。
倍賞美津子との関係は?
< Entity value="倍賞美津子" category="known_celebrity"/>さんは1946年生まれの女優です。
映画やテレビドラマなどで活躍し、アントニオ猪木さんの元妻としても知られています。
1944年生まれの倍賞明さんは、美津子さんより2歳年上の兄です。
2019年のデイリースポーツの訃報記事でも、美津子さんは倍賞明さんの妹として紹介されています。
倍賞家の兄弟関係を整理
公開報道で確認できる主要な家族関係を整理すると、次のようになります。
倍賞家・主な家族関係
倍賞明(1944〜2019)
元野球選手・元日産自動車野球部監督
姉
倍賞千恵子
1941年生まれ
女優・歌手
妹
倍賞美津子
1946年生まれ
女優
2019年の日刊スポーツの訃報では、倍賞明さんの妻・倍賞みつよさんが喪主を務めたことも報じられています。
姉妹は芸能界、明さんは野球界へ
倍賞家で興味深いのは、兄弟姉妹がそれぞれ異なる分野で活躍したことです。
Full-Countの取材によると、千恵子さんと美津子さんは母親の影響もあって松竹音楽舞踊学校に入学。一方、明さんは中学生の頃から本格的に野球を始めました。
その後、姉妹は映画・芸能界で、明さんは野球界でそれぞれの道を歩みます。
家族の中に芸能界で知られる人物がいた一方で、明さん自身も野球の全国大会で結果を残し、社会人野球の指導者として活動していました。
単に「有名女優の兄弟」という説明だけでは、倍賞明さんの人物像を十分に伝えられません。
【2019年に死去】倍賞明の晩年と2026年現在の状況
倍賞明さんは、2019年1月22日、74歳で亡くなりました。
2019年1月25日、デイリースポーツと日刊スポーツが訃報を報道しています。
日刊スポーツによると、通夜は1月28日、葬儀・告別式は1月29日に東京都板橋区内で営まれました。妻のみつよさんが喪主を務めたことも伝えられています。
死因は公表されている?
2019年の主要な訃報記事では、亡くなった日と年齢、葬儀の日程などが伝えられています。
一方、これらの報道には具体的な死因の記載はありません。
そのため、病気や事故など特定の原因を結び付けることはできません。
2026年現在は何をしている?
2026年11月現在、倍賞明さんはすでに亡くなっているため、現在の活動や近況はありません。
ただし、晩年の様子を知る手掛かりは残っています。
- 2016年:六本木で飲食店を経営していた。
- 2016年6月:全日本大学野球選手権大会で始球式を務めた。
- 2019年1月22日:74歳で死去。
特に2016年の始球式は、大学時代に優勝した大会へ50年後に戻るという節目の出来事でした。
飲食店のその後については、2016年以降の営業状況を示す確かな情報は確認できません。
倍賞明さんを2026年の視点から振り返るなら、最後まで野球と関わり続けた人物として、その歩みを記録に残すことが大切です。
【倍賞明に関するよくある質問(FAQ)】
Q1:倍賞明の読み方と生年月日は?
A1:読み方は「ばいしょう・あきら」です。1944年5月11日生まれ、東京都出身です。2019年1月22日に74歳で亡くなりました。
Q2:倍賞明は倍賞千恵子・倍賞美津子のどちらの兄弟?
A2:倍賞明さんは倍賞千恵子さんの弟で、倍賞美津子さんの兄です。千恵子さんが姉、美津子さんが妹という関係になります。
Q3:倍賞明は甲子園で優勝したことがある?
A3:1962年春の選抜高校野球大会で日大三高の一員として準優勝しています。決勝では作新学院に0対1で敗れました。また、同年夏はベスト8に進出しています。
【プロの結論】倍賞明の野球人生に残された3つの功績
倍賞明さんの人生を振り返ると、評価すべき要点は大きく3つあります。
1つ目は、高校野球での全国的な実績です。
1962年春の選抜準優勝、夏の甲子園ベスト8という成績は、当時の日大三高の主力選手だったことを裏付けています。特に春の大会で29打数16安打という春夏通算成績を残したことは、打者としての実力を示す記録です。
2つ目は、大学・社会人野球での継続的な活躍です。
日本大学では1966年の大学日本選手権優勝を経験。その後、鐘紡、日産自動車へ進み、社会人野球の監督も務めました。高校時代だけの実績にとどまらない野球人生でした。
3つ目は、野球界との長い交流です。
2016年の始球式、八木沢荘六さんとの再会、長嶋茂雄さんとの思い出などからは、現役を退いた後も野球を大切にしていた姿が伝わってきます。
倍賞千恵子さん、倍賞美津子さんという著名な姉妹の存在から倍賞明さんを知った人にとっても、野球選手としての経歴を知れば、その人物像は大きく変わるはずです。
まとめ:倍賞明は甲子園準優勝と社会人野球で功績を残した人物
倍賞明さんは1944年生まれの元野球選手で、日大三高時代に甲子園準優勝を経験しました。
日本大学では1966年の大学日本選手権優勝を経験し、卒業後は鐘紡、日産自動車でプレー。1975年には日産自動車野球部の監督に就任しました。
家族関係では、倍賞千恵子さんの弟、倍賞美津子さんの兄という立場です。そして2019年1月22日、74歳でその生涯を閉じました。
倍賞明さんを理解するうえで大切なのは、芸能界で活躍した姉妹の存在だけでなく、甲子園、大学日本一、社会人野球の指導者という本人自身の実績に目を向けることです。
2026年現在も、1962年の甲子園準優勝と2016年の大学野球選手権での始球式は、倍賞明さんの野球人生を振り返る重要な記録として残っています。