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テイエムオオアラシは2頭いる?1993年生まれの死去と2023年産の近況を徹底解説

硲 俊 硲 俊 • 更新: • 公開: • 読了約 15 分
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「テイエムオオアラシ」を検索すると、重賞3勝を挙げた往年の名馬と、2023年生まれの若い競走馬という、2頭の情報が表示されます。実は、この2頭は同じ名前を持つ別々の馬です。1993年4月18日生まれのテイエムオオアラシは、42戦8勝、カブトヤマ記念・福島記念・小倉記念を制した実績馬。引退後は小倉競馬場で誘導馬を務め、2026年8月2日に33歳で亡くなりました。

一方、2023年5月17日生まれの同名馬は、父シルバーステート、母ビアンカシェボンという異なる血統を持ち、2026年にはJRAから佐賀競馬へ移籍して出走しています。2頭のプロフィールや血統、競走成績、引退後の歩み、そして2026年11月現在の若い馬の状況を、JRA・JBISサーチ・引退名馬関連の公開記録をもとに整理します。

【まず確認】テイエムオオアラシは1993年生まれと2023年生まれの2頭

テイエムオオアラシ

今回の検索で最も注意したいのが、同じ馬名を持つ2頭の情報が混在している点です。

競馬データベースでは、1993年生まれの馬は旧世代の競走馬情報として登録され、2023年生まれの馬は別の競走馬として管理されています。生年月日だけでなく、父母や毛色、競走成績も異なります。

加えて、両馬は馬主名が竹園正繼氏で共通しています。そのため、馬名だけで検索すると、古い重賞勝利の記録と若い馬の出走情報が同じ検索結果に並ぶことがあります。

見分ける際に最も確実なのは、生年月日と血統を確認することです。

【1993年生まれの名馬】血統・プロフィールと42戦8勝の実績

父セクレフアスター、母フジアザミの血統

1993年4月18日に誕生したテイエムオオアラシは、北海道浦河町の冨岡牧場で生産された黒鹿毛の競走馬です。

父はセクレフアスター、母はフジアザミ。母の父はハギノカムイオーです。

JBISサーチの血統情報によると、父セクレフアスターは米国の名馬セクレタリアトを父に持つ血統です。母系にはハギノカムイオーやシネラリアの名前が並びます。

セクレフアスターを父に持つ馬として、テイエムオオアラシは競馬史に名前を残す存在になりました。血統表をたどると、米国の名血と日本の競馬史に関わる母系が組み合わさっていることが分かります。

競走成績は42戦8勝、獲得賞金は約2億5302万円

JRAやJBISサーチなどの競走馬データによると、通算成績は42戦8勝[8-5-3-26]。2着5回、3着3回という記録を残しました。

総賞金は253,024,000円。中央競馬で2億5000万円を超える賞金を獲得しています。

数字だけを見ると勝率は約19%ですが、注目すべきなのは勝利の内容です。条件戦を勝ち上がり、1997年秋に重賞を連勝。その勢いで有馬記念にも出走し、翌1998年には再び重賞タイトルを獲得しました。

一度だけ大きなレースに勝った馬ではありません。複数の重賞で結果を残し、長い競走生活を通じて存在感を示した馬でした。

【競走成績を徹底整理】1997年の重賞連勝から1998年の小倉記念制覇へ

テイエムオオアラシの競走生活を語るうえで、最大の転換点は1997年秋です。

それまで条件戦を中心に走っていた同馬は、1997年9月の野分特別、スカイブルーSを連勝。オープンクラスへ進出すると、重賞でも結果を残すようになります。

以下は、JRAのレース結果や競走馬データで確認できる主な経歴と、同名馬を区別するための比較です。

項目 1993年生まれの馬 2023年生まれの馬 見分けるポイント
生年月日 1993年4月18日 2023年5月17日 誕生年が30年違う
父 セクレフアスター シルバーステート 父馬が異なる
母 フジアザミ ビアンカシェボン 母馬が異なる
母の父 ハギノカムイオー フジキセキ 母系も異なる
毛色 黒鹿毛 青鹿毛 毛色の表記が異なる
通算成績 42戦8勝 2026年9月19日時点で3戦0勝 競走実績が異なる
主な経歴 重賞3勝、小倉競馬場の誘導馬 JRAから佐賀競馬へ移籍 活動時期と競走歴が異なる
共通点 馬名はテイエムオオアラシ、馬主は竹園正繼氏 同名・同馬主でも別個体

1997年10月19日:カブトヤマ記念を制覇

最初の大きな勲章は、1997年10月19日のカブトヤマ記念(GⅢ)です。

舞台は福島競馬場の芝1800メートル。土肥幸広騎手を背に出走し、サクラエキスパートを抑えて1着となりました。勝ち時計は1分49秒0でした。

この勝利によって、テイエムオオアラシは重賞ウイナーの仲間入りを果たします。条件戦を勝ち上がってきた馬が、昇級後の重賞でも結果を出したという意味で、競走生活の大きな節目でした。

1997年11月16日:福島記念も勝利し重賞連勝

続く1997年11月16日の福島記念(GⅢ)でも、テイエムオオアラシは勝利します。

こちらは福島競馬場の芝2000メートル。土肥幸広騎手とのコンビで、ファンドリロバリーとの接戦を制しました。勝ち時計は2分03秒0で、2着馬との着差はハナでした。

カブトヤマ記念に続く重賞連勝です。芝1800メートルと2000メートルの両方で結果を出したことは、同馬の競走実績を考えるうえで見逃せません。

1997年12月21日:有馬記念にも出走

重賞連勝後には、年末の大舞台である有馬記念(GⅠ)にも挑戦しました。

中山競馬場の芝2500メートルで行われた1997年の有馬記念では、シルクジャスティスが勝利。テイエムオオアラシは6着でした。

GⅢを連勝した勢いのまま、国内屈指の大レースに挑戦した経歴も、この馬の代表的な実績の一つです。

1998年8月16日:小倉記念で重賞3勝目

そして、3つ目の重賞タイトルが1998年8月16日の小倉記念(GⅢ)です。

このレースでは福永祐一騎手が騎乗。芝1800メートルを1分46秒0で走り、ツルマルガイセンに先着しました。これがテイエムオオアラシにとって3度目の重賞制覇です。

ここで一つ、競馬ファンが知っておきたい記録上の注意点があります。レース名は小倉記念ですが、1998年の同競走は小倉競馬場ではなく京都競馬場で開催されました。JRAの公式レース結果にも「4回京都2日」と記載され、芝1800メートルの競走として記録されています。

つまり、小倉記念の勝ち馬であることと、小倉競馬場で実際にレースを勝ったことは別の話です。馬名や重賞名だけから開催場所を判断すると、誤解が生じる部分です。

【引退後の現在と死去】小倉競馬場の誘導馬から鹿児島での晩年まで

2001年に競走生活を終え、誘導馬として活躍

重賞3勝を挙げたテイエムオオアラシは、2001年に競走馬登録を抹消しました。JRAの記録では抹消年月日は2001年2月22日です。

競走馬としての役割を終えた後は、小倉競馬場で誘導馬を務めました。

誘導馬は、レースに出走する競走馬を本馬場へ案内する役割を担う馬です。競走馬時代とは異なる形で競馬場に関わり、開催を支える存在として働きます。

かつて小倉記念の名前を背負う重賞を制した馬が、引退後には競馬場で誘導馬として活躍したという経歴は、テイエムオオアラシを語るうえで印象的なエピソードです。

南九州市森林馬事公苑を経て、あさひが丘乗馬倶楽部シュバルへ

小倉競馬場での誘導馬生活を終えた後は、鹿児島県の南九州市森林馬事公苑を経て、鹿児島市にある「あさひが丘乗馬倶楽部シュバル」で余生を過ごしました。

2024年6月27日には、施設を運営する社会福祉法人落穂会が、テイエムオオアラシの引退名馬繁養展示事業への登録を発表しています。

これは公益財団法人ジャパン・スタッドブック・インターナショナル(JAIRS)が実施する、引退競走馬の繁養や展示を支援する事業です。

登録時の発表では、当時31歳。1997年のカブトヤマ記念と福島記念、1998年の小倉記念を制した経歴や、小倉競馬場で誘導馬を務めたことも紹介されました。

競走馬としての実績だけでなく、引退後も長く生き、競馬ファンや関係者にその姿を伝え続けた馬だったことが分かります。

2026年8月2日、33歳で死去

テイエムオオアラシは、2026年8月2日、繋養先のあさひが丘乗馬倶楽部シュバルで亡くなりました。33歳でした。

ジャパン・スタッドブック・インターナショナルからの連絡を受け、8月3日に日刊スポーツやスポーツニッポンなどが訃報を報じています。引退名馬の公式紹介ページも、2026年8月更新で死亡日を記載しました。

訃報が報じられた当時、同馬は存命する最高齢のJRA平地重賞勝ち馬として紹介されていました。競走馬としての現役時代を終えてからも長い年月を生き、33歳まで過ごしたことになります。

1997年の重賞連勝から有馬記念への挑戦、1998年の小倉記念制覇、そして誘導馬としての第二の馬生。テイエムオオアラシの歩みは、競走成績だけでは語り尽くせないものでした。

【2023年生まれの同名馬】シルバーステート産駒の現在は?

父シルバーステート、母ビアンカシェボン

もう一頭のテイエムオオアラシは、2023年5月17日生まれの牡馬です。

JRAの競走馬情報によると、父はシルバーステート、母はビアンカシェボン、母の父はフジキセキ。母の母はミルズウィスパーです。生産者は北海道日高町の日高テイエム牧場、馬主は竹園正繼氏です。

1993年生まれの馬とは、父も母も異なります。こちらはディープインパクトの血を引くシルバーステート産駒であり、血統面でも明確に別の競走馬です。

馬名の意味は、JRAのプロフィールによると「冠名+大嵐」。過去の名馬と同じ名前が付けられています。

2026年6月にJRAデビュー、同月に地方競馬へ

2023年生まれのテイエムオオアラシは、2026年6月20日に阪神競馬場で行われた3歳未勝利戦で初出走しました。

レース条件はダート1200メートル。16頭立ての13番人気で、結果は16着でした。走破時計は1分18秒7です。

JRAの競走馬情報では、2026年6月24日付で競走馬登録が抹消されています。6月末の日刊スポーツの登録抹消情報では、移籍先は佐賀と記載されました。

その後、佐賀競馬に移籍し、平山宏秀厩舎の管理馬として出走しています。

佐賀競馬での成績は2戦0勝、通算3戦0勝

地方競馬の公開データで確認できる出走履歴は、次のとおりです。

2026年8月8日・佐賀競馬
「C2-28組」に出走し、12頭立ての12着。ダート1400メートルを1分43秒1で走りました。

2026年9月19日・佐賀競馬
「SAGAリベンジャーズFEVER14」に出走し、14頭立ての14着。ダート1400メートルで1分48秒8という記録でした。

この2戦を含め、2026年9月19日までの通算成績は3戦0勝[0-0-0-3]です。

2026年11月3日時点で確認できる公開出走履歴では、9月19日の佐賀競馬が最後の出走となっています。次走予定については掲載を確認できません。競走馬データには佐賀・平山宏秀厩舎の所属情報が記載されていますが、最新の登録状況や今後の出走については、地方競馬の更新情報を確認する必要があります。

ここで大切なのは、若い馬の3戦0勝という成績を、1993年生まれの名馬の実績と混同しないことです。名前は同じでも、競走生活はまだ別の段階にあります。3戦だけで競走能力や今後の可能性を断定することもできません。

【よくある誤解を整理】同名馬の見分け方と引退名馬登録

1993年生まれの馬は2026年に亡くなったのか

はい。1993年4月18日生まれのテイエムオオアラシは、2026年8月2日に33歳で亡くなりました。JAIRSの引退名馬情報にも死亡日が記載されています。

2023年生まれの馬も亡くなったのか

いいえ。2026年8月2日の訃報は1993年生まれの重賞3勝馬に関するものです。2023年生まれの馬については、佐賀競馬での出走記録が確認されています。2頭の情報を混同しないことが大切です。

引退名馬に登録されていたのはどちらか

2024年6月27日に引退名馬繁養展示事業への登録が発表されたのは、1993年生まれの馬です。2023年生まれの馬が同じ登録を受けたという意味ではありません。

小倉記念は小倉競馬場で勝ったのか

1998年の小倉記念は、京都競馬場で開催されました。競走名は小倉記念ですが、実際の開催場は京都です。JRAのレース結果を確認すると、この違いが分かります。

【プロの結論】テイエムオオアラシの価値は重賞3勝と第二の馬生にある

1993年生まれのテイエムオオアラシは、42戦8勝という数字以上に、1997年のカブトヤマ記念・福島記念連勝と、1998年の小倉記念制覇によって競馬史に名前を残しました。

加えて、2001年の引退後に小倉競馬場で誘導馬を務め、鹿児島で余生を送り、2024年には引退名馬として登録された経歴があります。競走馬としての役割を終えた後も、その存在が記録され、支えられてきた点は見逃せません。

一方、2023年生まれの同名馬は、シルバーステートとビアンカシェボンの間に生まれた別個体です。2026年はJRAで1戦、佐賀で2戦を経験しましたが、現段階で先代の実績を引き継ぐような評価をするのは早計です。

競走馬の情報を調べる際は、馬名だけで判断せず、生年月日・父母・競走成績・所属厩舎を照合することが基本です。特に同名馬がいる場合、馬主名だけでも区別できないケースがあります。

テイエムオオアラシという名前には、重賞3勝を挙げ、誘導馬としても親しまれ、33歳まで生きた一頭の名馬の歴史と、新たな競走生活を歩み始めた若い馬の記録が重なっています。

2026年8月2日に亡くなった1993年生まれの馬への追悼と、2023年生まれの馬の今後の歩みは、分けて記録していく必要があります。それぞれの馬を正しく知ることが、競馬の歴史と引退馬の存在を大切にする第一歩です。