吉川峻平氏は、2024年9月に大阪府堺市で野球塾「GOAT Baseball Academy」を開校した。現在は同アカデミーの代表兼指導者として、選手の育成に取り組んでいる。
GOAT Baseball Academyとは?
GOATは「Greatest Of All Time」の略で、日本語では「史上最高」を意味する英語のスラングだ。
公式ブログによると、2024年9月9日に正式オープン。吉川氏が現役時代に経験した練習環境の問題を解消し、選手が技術を磨ける場所を提供することを目的としている。
特に特徴的なのは、次の指導方針だ。
- 投手コースは吉川氏によるマンツーマン指導。
- 野手コースは少人数制で実施。
- 小学生から中学生、高校生、大学生、社会人まで幅広く対応。
- 技術だけでなく、練習環境や自主練習のサポートにも力を入れる。
本人は公式の代表挨拶で、現役時代に最も苦労したこととして、練習場所と練習相手の確保を挙げている。
その経験が、野球教室を設立する動機の一つになった。
2026年は堺市・岸和田市の2拠点で活動
2026年10月時点のGOAT公式サイトでは、堺本校と岸和田和泉校の2拠点が案内されている。
| 指導内容 | 特徴 |
|---|---|
| 投手コース | 吉川氏による個別指導 |
| 野手コース | 定員2名までの少人数制 |
| 対象年齢 | 小学生から社会人まで |
| 指導拠点 | 堺本校・岸和田和泉校 |
投手指導では、一人ひとりのフォームや技術に合わせたレッスンを重視している。野手についても、打撃だけでなく守備や走塁の相談に対応している。
指導者としての評価につながる海外経験
吉川氏の指導者としての強みは、大学・社会人野球の日本代表経験だけではない。
アメリカではルーキーリーグから3Aまで経験し、異なるレベルの選手や練習環境に触れてきた。
GOATの公式代表挨拶では、アメリカで6年間プレーした経験を指導に生かす考えを示している。
また、2025年6月には、ダイヤモンドバックス時代のチームメートだったジョン・デュプランティエ投手との大阪での再会が、スポーツニッポンで紹介された。海外時代の人脈も現在の野球活動につながっている。
現役時代はメジャーリーグを目指す側だった吉川氏。現在は、次の世代の選手が自分の可能性を広げられるよう、技術と経験を伝える立場に変わっている。
【経歴プロフィール】関西大学からパナソニック、そしてアメリカへ

吉川峻平(よしかわ・しゅんぺい)
元プロ野球マイナーリーグ投手・野球指導者
- 生年月日:1995年1月24日
- 出身地:大阪府
- 投打:右投右打
- 出身高校:関大北陽高校
- 出身大学:関西大学
- 社会人時代:パナソニック
- 米国所属:アリゾナ・ダイヤモンドバックス傘下
- 独立リーグ:シャンバーグ・ブーマーズ
- 現在:GOAT Baseball Academy代表
高校時代は内野手から投手へ転向
吉川氏は大阪府出身。小学生時代から野球を始め、中学では千里山ボーイズでプレーした。
関大北陽高校に進学した当初は内野手だったが、高校2年生の夏に投手へ転向。3年生ではエース兼主将としてチームをけん引し、大阪大会でベスト16に進出した。
投手としてのキャリアは高校途中から本格化したことになる。
関西大学で大学日本代表に選出
大学は関西大学へ進学。1年春からリーグ戦に出場し、投手として経験を積んだ。
大きな転機となったのは2016年だ。
関西大学の公式発表によると、吉川氏は第40回日米大学野球選手権大会の大学日本代表24人に選出された。
同年の関西学生野球連盟春季リーグでは、41回2/3を投げて自責点6、防御率1.30を記録。伸びのある直球とシンカーを武器に活躍した。
この大学日本代表への選出が、本人がプロを目指すようになるきっかけの一つだったと、2026年の週刊ベースボールのインタビューでも振り返られている。
パナソニックでは社会人屈指の右腕に成長
2017年、大学卒業後にパナソニックへ入社。
社会人野球の世界でも、吉川氏は早い段階から存在感を発揮した。
特に注目されたのが、第88回都市対抗野球大会だ。
2017年7月15日の三菱自動車岡崎戦では、先発投手として9回を投げ切り、14奪三振、2失点の完投勝利を挙げた。
パナソニックの公式記録にも、この試合での活躍が残されている。社会人1年目からドラフト候補として評価される理由となった実績だ。
【経歴年表】吉川峻平のキャリアと重要な転換点
吉川氏の野球人生は、日本の大学・社会人野球、アメリカのマイナーリーグ、独立リーグ、そして野球指導という流れで整理できる。
| 年・時期 | 所属・出来事 | 主な実績・転換点 |
|---|---|---|
| 高校時代 | 関大北陽高校 | 高校2年夏に投手転向 |
| 2016年 | 関西大学 | 日米大学野球選手権の日本代表 |
| 2017年 | パナソニック | 都市対抗で14奪三振の完投勝利 |
| 2018年 | ダイヤモンドバックスと契約 | マイナー契約、日本野球連盟の処分 |
| 2019年 | 1Aバイセリア | 22試合、5勝7敗、防御率3.75 |
| 2020年 | マイナーリーグ | コロナ禍でシーズン中止 |
| 2021年 | ダイヤモンドバックス傘下 | 上級1A、2A、3Aなどを経験 |
| 2022年 | ダイヤモンドバックス退団 | 米独立リーグへ移籍 |
| 2022年 | シャンバーグ・ブーマーズ | 20登板、7勝9敗、防御率5.43 |
| 2023年 | シャンバーグ | シーズン終了後に現役引退 |
| 2024年9月 | GOAT開校 | 野球指導者として活動開始 |
| 2026年 | GOAT Baseball Academy | 堺市・岸和田市で指導 |
この年表で注目したいのは、2018年の渡米が単なる所属変更ではなかったことだ。
吉川氏にとっては、国内プロ野球を経由せずにメジャーリーグを目指すという人生の大きな選択だった。一方、その決断は日本の社会人野球界との間に深刻な問題を生むことになった。
【メジャー挑戦の理由】なぜNPBではなくダイヤモンドバックスを選んだのか
吉川氏が渡米を選んだ理由は、単純にアメリカの野球に憧れていたからというだけではない。
2026年1月31日公開の週刊ベースボールのインタビューでは、本人の考えが具体的に紹介されている。
もともと抱いていた「アメリカで野球人生を終える」という夢
吉川氏は、高校時代からではなく、大学日本代表を経験した頃からプロを目指すようになった。
その後、パナソニックで活躍し、ドラフト1位候補として注目されるようになる。
通常なら、社会人野球からNPBのドラフトを経てプロ入りする道が有力だった。
しかし、吉川氏には別の考えがあった。
社会人からNPBに進んだ場合、アメリカに挑戦できる年齢が30歳を超える可能性がある。それなら、成長の余地がある若いうちにマイナーリーグからメジャーを目指したいと考えたのだ。
2026年の週刊ベースボールの取材では、本人が次のように振り返っている。
「どちらの後悔が少ないかを考えると、アメリカで失敗したと言うほうが、納得できそうだったので、そちらを選んだっていう感じです」
つまり、NPBで成功してから海外へ行くという安全性の高いルートより、早い段階でアメリカに挑戦する道を選んだ。
これは結果だけを見て評価するのではなく、本人が当時どのような人生を送りたいと考えていたのかを理解するうえで重要な証言だ。
2018年にダイヤモンドバックスとマイナー契約
2018年8月、吉川氏はアリゾナ・ダイヤモンドバックスとの契約を進めた。
契約日は8月10日と週刊ベースボールが報じており、球団による正式発表は9月23日(日本時間24日)だった。
NPBを経由せずにMLB球団の傘下に入るという異例の進路だった。
しかし、この契約が日本野球連盟の登録規定に抵触していたことが明らかになる。
【日本野球連盟の登録資格剥奪】何が問題だったのか
吉川峻平氏の名前が野球ファンに広く知られるようになった背景には、2018年の日本野球連盟による処分がある。
この問題は、海外挑戦そのものが禁止されていたという話ではない。
問題となったのは、社会人野球に所属する選手がプロ球団と交渉・契約する際に守るべき規定だった。
抵触したのは2つの登録規定
2018年8月24日、パナソニックは社内調査の結果を公表し、吉川氏の行為が日本野球連盟の規定に抵触していたことを明らかにした。
主な問題は次の2点だった。
1つ目は、プロ球団との交渉時期。
日本野球連盟の登録規定では、所定の期間にプロ球団と交渉することが制限されていた。吉川氏は都市対抗野球大会の終了前にダイヤモンドバックスのスカウトと接触していた。
2つ目は、登録抹消手続きの順序。
社会人野球の登録選手がプロ球団と契約する場合、契約締結前に退部し、登録抹消届を提出する必要があった。しかし、吉川氏は登録抹消届を提出する前に入団契約書を交わしていた。
この2点が規定違反と判断された。
2018年9月、日本野球連盟が最も重い処分を決定
日本野球連盟は2018年9月5日、吉川氏に対する処分を発表した。
今後の再登録も認めないという厳しい内容だった。
当時の日刊スポーツは、社会人野球の選手だけでなく指導者としても活動できなくなる「永久追放」に相当する処分と報じている。
加えて、パナソニックの北口正光野球部長兼監督にも9カ月間の出場資格停止処分が科された。
アジア大会日本代表も辞退
処分に至るまでの過程では、もう一つ重要な出来事があった。
吉川氏は2018年8月、ジャカルタ・アジア大会の社会人日本代表に選出されていた。
しかし、8月23日に侍ジャパン公式サイトが出場辞退を発表。所属するパナソニック野球部からの申し入れによるものだった。
当初予定されていた国際大会への出場も実現しなかった。
「永久追放」は野球界全体からの追放ではない
ここは誤解されやすいポイントだ。
日本野球連盟の処分は、社会人野球における登録資格を剥奪し、再登録を認めないというものだった。
したがって、あらゆる野球活動が禁止されたわけではない。
実際に吉川氏はその後もアメリカで選手として活動し、引退後は日本で野球教室を運営している。
社会人野球の登録資格剥奪と、野球指導者としての活動禁止は同じ意味ではない。
この区別は、現在の吉川氏の活動を理解するうえでも重要だ。
【アメリカでの成績】マイナーからシャンバーグ・ブーマーズまで
吉川氏は2018年に契約を結んだものの、実際に本格的なアメリカでのプレーが始まったのは2019年だった。
2019年は1Aバイセリアで5勝
渡米後はダイヤモンドバックス傘下のマイナーリーグでプレーした。
2019年には1Aのバイセリア・ローハイドに所属し、22試合に登板。
- 登板数:22試合
- 勝利数:5勝
- 敗戦数:7敗
- 防御率:3.75
日本の社会人野球から渡米した右腕は、アメリカでも一定の実績を残した。
2020年は新型コロナウイルスの影響
2020年は新型コロナウイルスの影響でマイナーリーグのシーズンが中止された。
選手にとって実戦経験を積めない期間が生まれ、吉川氏も公式戦での登板機会を失った。
本人の実力だけではどうにもならない外部環境の変化だった。
2021年は上級1Aから3A、アリゾナ・フォールリーグへ
2021年には傘下の上級1Aヒルズボロに所属。
さらに2Aや3Aでも登板し、アリゾナ・フォールリーグにも選出された。
アリゾナ・フォールリーグは、各球団の有望選手が参加する育成リーグとして知られる。
この選出は、吉川氏がアメリカでさらに上のステージを目指す機会を得ていたことを示す出来事だった。
2022年3月、ダイヤモンドバックスを退団
2022年3月31日(日本時間4月1日)、吉川氏は自身のSNSでダイヤモンドバックスからリリースされたことを報告した。
当時の報道によると、マイナーリーグではルーキーリーグから3Aまで経験し、球団傘下での通算成績は次のとおりだった。
| 項目 | 成績 |
|---|---|
| 登板数 | 31試合 |
| 勝利 | 5勝 |
| 敗戦 | 8敗 |
| 防御率 | 4.61 |
| 最高到達クラス | 3A |
メジャー昇格には届かなかったものの、アメリカのマイナーリーグで複数の階級を経験したことは、選手としての大きな財産になった。
シャンバーグ・ブーマーズで独立リーグに挑戦
ダイヤモンドバックス退団後、吉川氏はアメリカでのプレーを続ける道を選んだ。
2022年4月、フロンティア・リーグのシャンバーグ・ブーマーズと契約したことが報じられた。
2022年の成績は20登板、7勝9敗、防御率5.43。
2023年1月にも再契約し、引き続き同球団でプレーした。
【引退理由】2023年、28歳で現役生活に終止符
2023年9月6日(日本時間7日)、吉川峻平氏は自身のXで現役引退を発表した。
当時28歳。アメリカでの挑戦を終える決断だった。
引退発表で伝えた野球人生への思い
日刊スポーツが報じた引退発表では、吉川氏は次のようにコメントしている。
「後悔が無い事はありませんが、自分の野球人生には非常に満足しています。本当にたくさんの出会いがあり、その全ての出会いに感謝しています」
日本語と英語の両方で感謝を伝え、2023年シーズンをもって現役を退くことを明らかにした。
引退理由は明確に公表されているのか
気になるのは、なぜ28歳という比較的若い年齢で引退したのかという点だ。
報道された引退発表では、特定のけがや病気、家庭の事情などを引退の直接的な理由として挙げていない。
そのため、単一の理由に絞って説明することはできない。
確認できるのは、ダイヤモンドバックスを2022年に退団した後も独立リーグでプレーを続け、2023年シーズン終了を区切りに現役生活を終えたという経緯だ。
2024年のスポニチの取材では、メジャー挑戦を選んだこと自体について、後悔はないという本人の考えも紹介されている。一方、事前にもっと調べておけばよかったという趣旨の振り返りもあった。
つまり、海外挑戦という決断への納得感と、その過程で経験した反省点は両立している。
引退後も野球から離れなかった
吉川氏のキャリアで興味深いのは、選手生活を終えた後も野球との関係を維持していることだ。
アメリカでの挑戦を終えた翌年の2024年9月にはGOATを開校。
自分自身が選手として経験したことを、今度は後輩たちに伝える仕事を始めた。
選手としてメジャーリーグに到達する夢は実現しなかったが、アメリカでの経験を指導に転用する新しいキャリアを築いている。
【プロの結論】吉川峻平の野球人生から見える3つのポイント
吉川氏のキャリアを振り返ると、単なる海外挑戦の成功・失敗という二択では整理できない特徴がある。
1. 挑戦する意思と制度を理解することは別問題
吉川氏がアメリカを選んだ理由は、自分の可能性を若いうちに試したいという考えにあった。
一方で、社会人野球の登録規定への抵触は、海外挑戦そのものとは切り分けて考える必要がある。
キャリアの選択肢を広げるためには、本人の意欲だけでなく、所属組織の規則、契約手続き、関係者との調整も欠かせない。
この一件は、アマチュア選手が海外プロ球団と契約する際の制度面の課題を浮き彫りにした。
2. マイナーリーグの経験は指導者としての資産になる
アメリカではルーキーリーグから3Aまでを経験した。
異なる競争環境や選手育成の方法を知ったことは、国内だけでプレーしてきた選手とは異なる視点につながる。
現在のGOATで投手の個別指導に力を入れていることも、こうした経験と無関係ではない。
3. 現役引退は野球人生の終わりではない
2023年の引退は、選手としてのキャリアの区切りだった。
しかし2024年に野球教室を開校し、2026年現在も指導を続けている。
選手として自分が目指した目標と、指導者として次の世代に提供できる価値は異なる。
吉川氏の場合、海外で得た経験を若い選手の成長に役立てることが、新たなキャリアの軸になっている。
【よくある質問】吉川峻平の現在・経歴・引退に関するFAQ
Q1:吉川峻平は2026年現在何をしていますか?
A:大阪府堺市と岸和田市を拠点とするGOAT Baseball Academyの代表として、野球指導を行っています。特に投手の個別指導に力を入れています。
Q2:吉川峻平はなぜメジャーリーグに挑戦したのですか?
A:若いうちにアメリカへ渡り、マイナーリーグからメジャーを目指したいという考えがあったためです。本人は、NPBを経由するよりもアメリカで挑戦する方が後悔が少ないと考えたと語っています。
Q3:吉川峻平は日本野球連盟から永久追放されたのですか?
A:2018年9月、日本野球連盟から登録資格剥奪と再登録禁止の処分を受けました。社会人野球では選手・指導者として活動できなくなる厳しい処分でしたが、野球界全体からの活動禁止ではありません。
Q4:吉川峻平のダイヤモンドバックス時代の成績は?
A:マイナーリーグ通算31試合、5勝8敗、防御率4.61です。最高で3Aまで昇格しました。
Q5:吉川峻平はいつ現役を引退しましたか?
A:2023年シーズン終了後です。2023年9月に当時28歳で引退を発表しました。
Q6:GOAT Baseball Academyはどこにありますか?
A:2026年10月時点では、大阪府堺市の堺本校と岸和田市・和泉市エリアの岸和田和泉校が案内されています。
Q7:吉川峻平はプロ野球の監督やコーチになったのですか?
A:NPB球団の監督・コーチに就任したという情報は確認できません。現在の活動は、自身が代表を務めるGOAT Baseball Academyでの野球指導です。
まとめ:吉川峻平は現在、海外経験を生かす野球指導者へ
吉川峻平氏の野球人生は、関大北陽高校、関西大学、パナソニックを経て、2018年のダイヤモンドバックス傘下入りによって大きく方向を変えた。
日本野球連盟の登録資格剥奪という厳しい処分を受けながらも、アメリカでマイナーリーグから独立リーグまで挑戦を続け、2023年に28歳で現役を引退した。
そして2024年9月、GOAT Baseball Academyを開校。2026年現在は大阪府の2拠点で、投手を中心とした野球指導に携わっている。
注目すべきなのは、メジャーリーグ昇格という当初の目標だけで彼の野球人生を評価できないことだ。
日本の大学・社会人野球、アメリカのマイナーリーグ、独立リーグという複数の環境を経験したことは、現在の指導活動に生かされている。
吉川峻平氏は、選手としての挑戦を終えた後も、野球に携わり続けている。
今後はGOATでどのような選手を育てていくのか。アメリカで得た経験を次世代に伝える指導者としての歩みにも注目したい。
主な参考資料:関西大学公式発表、侍ジャパン公式発表、パナソニック公式記録、日本野球連盟の処分に関する報道、日刊スポーツ、スポーツニッポン、週刊ベースボール(2026年1月31日掲載)、GOAT Baseball Academy公式サイト・代表挨拶。